素敵なピアノライブ
久々のブログ。
今日、大学で知り合った方のピアノライブ「深呼吸」の行った。
今帰ってきた。
とっても素晴らしい時間を過ごせた。
なんか・・・とっても優しい気持ちにさせてもらえた気がする。
『深呼吸』という曲(だったかな?)。
目を閉じて聞いていると緑の木々、川の流れ、昆虫や魚の姿がうかんだ。
まるで静かな山の中にいるようだった。
「自然」の音っていいなぁとなんかあらたまって感じた。
海とか山とか「自然」の音に囲まれたいな、そんな場所に行きたいなと無性に感じた。
それと同時に、音楽を聞いてそんなことを感じる感性というか心が自分にもあるんだという驚きもあった。
うれしかった。
音楽っておもしろいなと思った。
「この曲はこんなイメージで作りました。」という説明を受けたうえでその曲を聴いても、
作曲者のイメージと必ずしも僕のイメージが重ならない。
僕には、僕が日々みたり考えたり感じたりするものを音楽で表現することはできないけど、
もし僕がその曲を作ったとして、その曲のイメージを紹介するとしたら全く別なんだなぁとか思ったりして。
やっぱり人ってみんな違うな。
おもしろいな。
すべての物事はその人個人しかわからないし、他人と共有できることなんで厳密には無いようにも思える。
だから、自分しか受け取れないそんな世界を自分自身の方法で表現できる人って素晴らしいなと思う。
・・・自分でもだんだんよくわからなくなってきた。
とっても楽しかった。
「何が?どんなところが?」を結局上手に説明できていないようだけど・・・。
そもそも、「楽しい!!」って気持ちを理路整然と説明する必要があるのだろうか?
説明できないということは実際は「楽しい」という思い込み、幻覚なのだろうか?
ということをふと思ったのだけれども、そんなことは無いと思う。
アンデルセンの『絵のない絵本』の冒頭に…
何か深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが縛り付けられているような気持になる。
そんなときには、心の中でいきいきと感じていることでも、そのまま絵にかくことも言い表すこともできない。
私は絵かきなのに。
ということが書いてあった。
そんなことだと思う。
とても楽しかった。
会場の「呼吸」というお店も素敵だった。
また行こう。
『ソーシャルネットワーク』
といってももう2週間くらい前の話なのだけれども。
2週間たって何故か『ソーシャルネットワーク』をみて思ったことを書こうと思った。
ふと、朝シャワーを浴びている時。
内容は・・・facebook設立までのドラマを実話に基づき多少脚色を加えて描かれている感じでしょうか。
映画をみて何を思ったか。
さびしさを感じた。
映画の中に登場するすべての人が、何かしらのさびしさを帯びているような気がした。
facebookという今をときめく一大ツール(?)をつくったり、それに関わったりと間近にいる人たちなのに。
なんでみんなあんなに悲しそうなのでしょう?
facebookは友達が輪が爆発的に広がる画期的な、素敵なツールじゃないの?
映画をつくった人(監督かな?)はfacebookのようなソーシャルメディア(?)を好意的に捉えていないのではないだろうか?
少なくとも私はこの映画をみて、facebookのようなソーシャルメディアの利用について
胸躍るようなワクワク感や将来への好意的な展望を得ることはできていない。
むしろその逆。
上手く表現できないけど、人間として必要なものを失うのではないかという気もする。
または、必要なものがない自分がその状態から逃避するために逃げ込んでしまっているような気がする。
私がfacebookを有効に活用できていないからなのかな?
またはそれ以前の自分自身の問題?
きっと使い方次第なんだよね。
人と人とのつながりって何なんだろう?
『180゜SOUTH』
1月22日に「180゜SOUTH」を観た。
「旅」っていうもの、言葉について考えさせられ、その世界に惹きこまれました。
「旅」という言葉には、どこかに行くとか旅行をするというアウトドアな意味だけでなく、もっともっと大きな意味があるように感じた。
人生すべてが「旅」であるのではないだろうか?
僕は旅をしているだろうか?人生を旅しているだろうか?
「旅をしなきゃ!!」て思った!!
アウトドア好きの人とか嫌いな人とか関係なく惹きこまれる映画。
映画の中の言葉も心に何かを残してくれるものがとってもたくさんあった。
この映画は、映画ができて、上映されて完成・終わりではなく、
この映画を観た人が何を感じ、何を考え、何をするのか、そこから何が起こるのかまで続いていく映画だねって友人が言ってた。想田さんのつくる観察映画も同じ。
確かにそうだな思ったな。
イヴァンとダグの哲学観(?)の違いも興味深かった。(どう違うかは正確には覚えていないけど)
自然と共に生きること。旅をすること。
そこにあるものは何 かもっと考えたい。
今書けるにはこんな感じ。
とっても良かった。もう一度映画館に観に行こうかな
『アブラクサスの祭』
今日、「アブラクサスの祭」を観た。
「アブラクサス」とは、善も悪もひっくるめた神の名前らしい(パンフレットより)。
「あるがままの自分など無い、無いがままの自分で生きていこう。」
自分って何なんだろうと考える。あるがままの自分でありたいと思う。
そう考えた自分はもう「自分」ではないのかもしれない。
あるがままに自分には何が「ある」のだろうか?
自分はこうだとかああだとか、こんな自分になりたいとかこうすべきとか、そんなことはいい。
何にも無い自分。無いがままの自分。
そうだっていいじゃん、そんな自分を解き放とう。感情や思いを開放しよう。
「from here to eternal (ここからとわに)」
今の何も無い自分から動き出そう。それがどこまで行くのか、どこに行くのかわからなくても。
自殺した父親に対して何もしてあげることができなかった息子。
どうすることもできない後悔。苦しい、悲しい。どうしたらいいのだろう。
どうすることもできない。それを胸に抱いて生きていくしかない。
あの場面、なんか感動したな。涙出た。
スネオヘヤーの表情に惹きこれたな。
登場人物それぞれのつくりだす雰囲気もなんかよかった気がする。様々な心が描かれていた気がする。
その心を僕は観ながら理解することはできていないが、そこに心があるような気はした。
というかんじで印象に残ったことをメモ。
『ノルウェイの森』
「ノルウェイの森」を見に行った。
前から見たいと思っていた。映画を見る前に原作も読んだ。
映画「ノルウェイの森」を観て・・・。
あれは、どんな映画だったのだろう。恋愛映画?
一見すると原作小説のハイライト、ダイジェスト映画のような気もしなくもなかった。
原作を先に読んでしまったからだろうか?もし原作を読んでなかったら・・・どんな風に観た、感じたのだろうか?
みどり役はとってもよかった。水原さん(?)かわいい!!
最初は「僕のイメージではもっと強そうな、がさつな面があるんだけどなあ。かわいすぎじゃない?」と思ったが、次第に彼女が作り出す雰囲気に惹かれてしまった。
多くの人が原作を読んでいて、きっとそれぞれが「この役はこんなイメージ」というものを持っていると思う。
だから、「この役は持っとこう!!」といった作り手への批評に近い感じで見てしまう面が多々あるような気がする。
僕はそうだった。しかしそれは最初だけ。次第にそんな感じの観かたはどこかにいってしまった。
監督が作り出す「ノルウェイの森」に引き込まれ、純粋にその世界を観ることができたような気がする。原作を知らなかったかのように。
さっき「一見すると原作のダイジェスト映画のような気もしなくもない」と書いたが、実際は違うと思う。
少なくとも今僕はそうは思わない。
確かに、原作の流れからカットされた部分がかなりあったから、「こんなにカットして話の流れわかるの?」とは思う。
ちょっと興味があるのは、原作を読まずに映画を見た人がどう感じたか。
原作を呼んだ僕は、自分の中で補いつつ、しかしそれは至極自然で、無意識に近い感覚だったと思う。
さっき書いたように、途中からは監督が作り出す「ノルウェイの森」に引き込まれ、原作を知らなかったかのように純粋にその世界を観ることができた。
直子をなくしたワタナベが放浪の旅にで、海で泣き叫ぶシーン。
このシーンには鳥肌が立った。恐怖を感じた。震えだしそうだった。
映像と音が、僕を孤独と絶望であふれた真っ暗な世界で僕を包み込むような気がした。鳥肌が立った。
最初の戻って、「ノルウェイの森」とはどのような作品なのだろうか?あそこに描かれていたものとは何だったのだろうか?
人間が持った「傷、痛み、苦しみ」の行方が描かれていたのかな。
傷を負うと人間はそこから逃げようとする。自分を守ろうと自分の世界にこもる。傷から目を背ける。
しかし、人間は孤独には耐えられない。人恋しくなる。
同じ傷を負った仲間を求める。お互いを慰めあう。同情しあう。
(永沢さんが「自分に同情するな。そんなことするのは低次元の人間がすることだ」といっていた。心に残った。)
最初はいいのかもしれない。しかし、それは実は目を離していた傷に目を向けること。
本当の意味で傷に向き合おうとはしていないのに目の前にやってくる傷。それに耐えられない。
「悲しみは悲しみ抜くしかない。しかもその経験はその場限りで次回の処方箋にはならない。」
最後にワタナベは自分の「居場所」がどこなのかわからなくなる。
今まで自分の位置を作り上げていたものだすべてなくなってしまった。
この状況の先に何が待っているのか僕は理解できない。この先ワタナベはどうなるのか。
正直言って、僕のチープな言葉では全然表現できないと感じた。
こういう映画を観て、何かを感じ、それを言葉で表現できるようになりたい。
そのための訓練として現在の僕が精一杯感じたことを書きました。
この監督がつくる映画は、ストーリーの流れとかを越えた世界にあるように感じた。
言葉以外の様々なもので僕に何かを訴えかけている気がした。
しかし、今の僕にはそれを受け取ることが十分にできていない。
こんな作品が素直に体にしみこんでくる自分になりたい。
終わり
