前回の書評で「探偵物語」の小説版を取り上げた。
そしたら松田優作絡みの本をもう一冊読みたいという衝動に駆られてしまい、そういや、未読のまま埋もれた本があったなと思い、いつものようにサルベージしてみたら、出てきた出てきた。
というワケで今回取り上げるのは、「松田優作+丸山昇一未発表シナリオ集」(幻冬舎アウトロー文庫)である。
1989年11月6日に松田優作が40歳の若さで亡くなってから、優作関連の書籍、CD、DVDが幾多もリリースされた時期がしばらくあった。優作ファンだったので最初はリリースの度買いまくったのだが、あまりにも多く出過ぎたのでさすがにもういいやとなった。なので、僕の部屋にある優作関連蔵書は「松田優作論」が余裕で執筆出来そうな程はあると思う。
「未発表シナリオ集」は、そんな時期に刊行された異色の産物といっていい。1995年11月に幻冬舎から刊行された。僕が持っているのは、1996年8月25日に幻冬舎アウトロー文庫から刊行された文庫版である。
本書の共著として優作と共に名を連ねた丸山昇一は、優作主演映画の脚本を多く手がけ、優作が“共犯関係”と公言する程の盟友としてよく知られた脚本家で、高橋伴明監督が撮った最新脚本作『安楽死特区』(2026)がつい最近公開されたばかり。
書名の通り、松田優作主演の映画やTVドラマとして企画されながら、様々な事情から映像化にいたらなかった幻のシナリオ全6本が本書に掲載されている。
シナリオは脚本とも台本とも読む。そしてそれを職業とする方は、シナリオライター、脚本家と呼ぶ。因みにシナリオライターは和製英語である。英語だと、映画、ドラマ、アニメがスクリーンライター(screenwriter)、映画、テレビ番組、ラジオ番組がスクリプトライター(scriptwriter)、舞台劇がプレイライト(playwright)となっていて、メディアの種類によって使い分けているようだ。
そもそもシナリオというものはあくまで設計図に過ぎず、本来は撮影現場スタッフやキャストしか読めないものである。シナリオが書籍化するのはよほどの大御所脚本家の作品か大ヒットした映画やドラマくらいである。ましてや未映像化シナリオだ。それだけ優作のブランド力が強まったということだな。
最初の「荒神」は、中上健次による同名短編を原作に脚色したもの。消火器のセールスマンのフリして、行く先々で強盗殺人を無軌道的に繰り返す男・ゴロの姿をひたすら描いたハナシで、1980年の作品。当時アクションヒーロー役ばかり演じることに嫌気がさしていた優作は、ゴロを演じたがっていた。今村昌平監督『復讐するは我にあり』(1979)で連続殺人鬼役を演じた緒形拳辺りを意識したのかな。『野獣死すべし』(1980)での怪演は、ゴロ役を演じるための準備運動だったのだろうか。『青春の蹉跌』(1974)の神代辰巳監督が撮るという案があったようだ。優作と神代辰巳監督のコラボ。観たかった。
続く「たった一人のオリンピック」は、マイナースポーツだったボートのシングル・スカルという競技でモスクワ・オリンピック出場をひたすら目指した一人の男を描いた実話が元になったハナシで、もし映像になったら、優作によるひとり『がんばっていきまっしょい』みたいなカンジになったのかな。このシナリオの原作となった山際淳司による同名ノンフィクションも読んだが(それが収録された角川文庫刊「スローカーブを、もう一度」を丁度持っていたので。この本には有名過ぎる「江夏の21球」も収録)、こちらはメジャースポーツとマイナースポーツの格差の現実をクッキリと描いていた。特にモスクワ・オリンピックの日本ボイコットを受けての当時フルマラソンのエースだった瀬古利彦選手のコメントはシナリオにも拾われたが、オリンピックだけが全てはないと云いたかったんだろうが、これは所詮恵まれた環境にいる者によるコメントであり、オリンピックに全てをかけた者に対する配慮の欠片がないなと思った。イマだったら即炎上である。
「船頭・深谷心平」は、連続TVドラマの初回のシナリオ。優作主演の連ドラ企画があったんだ。それも船頭役とはね。てっきり時代劇かと思いきや、現代劇であった。イマだったらオダギリジョーが演じそうな役だ。
「プロデュース」は、映像化前提ではなく優作にプレゼントする目的で書かれた脚本なのがユニーク。振り回され体質のうだつの上がらない映画プロデューサーが、あることをきっかけにキレてささやかな反逆をする。丸山がよく知る映画業界の裏側を舞台にした点では、1997年11月に刊行された書き下ろし長編小説「負犬道」(幻冬舎)に通じるものがあった。
「チャイナ・タウン」は、「船頭・深谷心平」と同じく優作主演の連続TVドラマとして企画されたものの初回シナリオ。探偵モノで1話完結。まさにセントラルアーツ調ってカンジのハードボイルドモノで素直に面白かった。1988年の作品。亡くなる1年前か。これはちゃんと映像化して欲しいなと思う。未映像のままでは惜しい。
そして「緑色の血が流れる」は、またもや探偵役だが、SFサスペンスアクションという設定。優作生涯唯一の監督作『ア・ホーマンス』(1986)と同じ世界線というかそれ以上に振り切った内容で、スリリングで読み応えがあった。
丸山のシナリオをちゃんと読んだのは初めてだが、ト書きに独特のクセがあり、特に“こなす”という表現が印象深かった。普通は処理する意味で“こなす”が用いられるが、丸山の場合は「促す」または「見る」の意味合いで用いている様子。九州だと“こなす”に色々な意味があるようだ。因みに丸山は、宮崎出身である。
掲載シナリオの殆どは優作がアイデアを提示して丸山がそれを独自にアレンジしてシナリオという形に仕上げたものだから、本書が優作と丸山の共著となっているのは妥当といっていい。
優作夫人で現在は芸能プロダクション「オフィス作」代表でもある松田美由紀が本書の「おわりに」にて優作と丸山の“共犯関係”について振り返っていたが、シナリオの打ち合わせは主に優作の自宅の部屋で行われていて、「優作と丸山さんが脚本の打ち合わせをする我が家の部屋は誰も入ることが出来ない神聖な部屋だった」そうで、打ち合わせ前には遊びたい盛りの子供達を外に出していたのだから、相当緊迫感があったのだろう。
それにしてもこの優作と丸山の“共犯関係”が、優作が亡くなるまで10年間も続いたこと自体がスゴイな。確かに優作はカッコ良くてスゴイ俳優なんだけど、人間としての優作となると様々なエピソードをきく限り、あまりにも妥協がなくコダワリも強過ぎて、付き合うには相当面倒臭そうな方だなと思った。当の丸山自身が2025年8月に刊行した最新著書「生きている松田優作」(集英社インターナショナル)の中で率直に優作に対する愛憎を吐露していた。なおこの本も近日書評をアップ予定。




























































































































































































