続 山陽・山陰車中泊の旅 ( 10日目 ②日御碕神社、出雲日御碕灯台 ) からの続きです。
山陽・山陰車中泊の旅 10日目 ( 3月28日 ( 月 ) )
この日の、出雲日御碕灯台から先の時間は、ちゃんと下調べをしていなかったために、道を間違えたり、車中泊する場所が定まらなかったりして、今回の車中泊の旅の中で、最も 「 なんくるないさぁ 」 の旅になってしまいました。
まあ、それはそれで楽しかったのですが、
計画では、日本海を見ながら島根半島の最北端の道路を東に進み、途中で南下して宍道湖沿いを走って松江に行く予定でしたが、それが出来ませんでした。
気ままな旅ですが、3月31日には、南紀白浜に戻って、通院 ( 薬を貰うため ) している病院に行かなくてはならなかったので、どうしても気ままな旅にも制約がありました。
日御碕灯台を見た後、日本海沿いの海岸線を走るため、宇龍漁港の方に出ました。
海沿いの細い道を軽快に走っていたのですが、事もあろうに行き止まり。
宇龍という所から先は道がありませんでした。大失敗です。
この時は、カーナビの案内をあてにせず、カーナビの地図だけを頼りに海沿いを走っていたので、表示される地図の縮尺の関係で、行き止まりになっていることに全く気が付きませんでした。
事前に航空地図などを見ておけばこんな失敗はしないのに、本当に情けない話です。
それで、山の中を走って、
出雲日御碕灯台に行くときの道に一旦出て南下し、そして途中で鷺浦の方に行き、再び日本海を見ながら東進することにしました。
鷺浦漁港です。
しかし、場所的には、次の写真を過ぎた辺りの猪目海岸付近だと思いますが、小さな三差路を左折して海辺を走ろうとすると、理由は分かりませんが、県道23号線は通行止めになっていました。
おそらく、崖崩れでもあったのではないかと思います。
それでやむなく右に曲がって、道成に進むと、出雲大社の横の道に出ました。
そして再び、出雲大社の前の鳥居の所に出ました。
出雲日御碕灯台の駐車場からストレートに出雲大社の鳥居前に行けば20分くらいで行けるものを、1時間10分ほどかかってしまいました。
それで、当初予定していた日本海側を走るのをやめ、宍道湖の北側の道路 ( 国道431号線 ) を湖に沿って東へ走りました。
道路の右側は、宍道湖です。
途中、宍道湖沿いにある道の駅 「 秋鹿なぎさ公園 」 で小休止しました。
2両編成の電車が走って行きました。
綺麗な道の駅で、駐車場も広く、トイレも綺麗でした。
海みたいな感じですね。
いつもはどうか知りませんが、水が濁っていました。
宍道湖大橋が見えてきました。
宍道湖大橋を渡っている所です。
松江市内に行きたかったのは、
以前、テレビ放送で、地元の方が、宍道湖大橋を入れて松江城の写真を撮れる場所があり、素晴らしい景観だとと言っていたのを聞き、テレビに映っていた写真と同じ場所から松江城を見てみたかったからです。
それで、県立美術館の近くに行きました。
でも、肝心のお城が見えません。
見えている島は、嫁ヶ島と言うのだそうです。
その時、高校生風の2人がやって来たので、その場所を聞くと、見たことは無いが、橋の近くにも無料の駐車場があるから、もしかしたら見えるかもしれないとのことでした。
それで、また道を戻って、教えてもらった白潟公園の無料駐車場へ行きました。
駐車場から道路を横切ると、公園になっていました。
それで、公園から橋の方を見ながらお城を探していたところ、有りました。松江城が。
テレビでも、こんな感じで松江城が見えていたと思います。
写真の右上の方に松江城が見えています。
テレビで地元の方が言っていたように、宍道湖大橋の街路灯が邪魔ですね。
でも、何とか宍道湖大橋の街路灯と街路灯の間に松江城を入れて写真を撮ることが出来ました。
その後、美保関灯台に行くため、駐車場を後にしました。
途中JR の松江駅が見えました。
道路は、渋滞していましたが、カーナビは前の信号を右折せよとの指示。大した時間のロスもなく、島根半島の国道431号線から県道2号線の海沿いを東進しました。
対岸が見えてきました。
もしやと思い、撮った写真の画面を拡大してみると、大山に雪がありました。
島根半島から境港に渡る境水道大橋も見えてきました。
大橋の下から見た境水道大橋です。
美保関観光案内図です。
美保関の町です。
美保神社の案内もされていましたが、暗くならないうちにと、灯台に行くことにしました。
出雲日御碕灯台の駐車場を出てから、ロス時間や寄り道した時間も含めて約4時間30分。午後6時8分に美保関灯台 ( 地蔵崎 ) の駐車場に到着しました。
この時間から観光するのは、少し無理がありますが、夕暮れの景色を楽しむのだと思うと、それはそれで綺麗で良かったと思います。
鳥居の近くにあった美保之碕と彫られた石碑です。
この鳥居の手前で、親子と見られる女性3人がお参りをしていました。
美保関灯台の海側には、綺麗なテラスの展望台がありました。
ここには、「 日本海軍美保関沖遭難事件 」 の説明板が設置されていました。
それによると、昭和2年 ( 1927年 ) 8月24日に演習中の海軍同士の船の出合頭的な事故と、別の海軍同士の船の追突事故が相次いで発生し、119名の犠牲者が出たとのことです。
展望台から、遠く、隠岐の島の島前 ( どうぜん ) が見えました。
島前は、島前3島ということもあるそうです。
美保関灯台が点灯されました。
灯台の周りを回ってみました。
美保関灯台は、明治31年11月に地蔵埼灯台として建設され、その後改称されたそうです。
海面からの高さは83メートル。地上14メートルの灯台で、光の到達距離は23.5海里 ( 約44キロ ) だそうです。
灯台を一周した後、鳥居にお参りに行きました。
この鳥居の前の海には、地之御前島と沖之御前島があり、ここは、後にお参りに行った美保神社の境内になっています。
これは、美保神社の祭神である事代主命 ( ことしろぬしのかみ ) が島で釣りを楽しんだ場所であることから祀られているもので、美保神社の遙拝所となっています。
対岸の町にも灯りが点いています。
もう時間が6時半を回っていましたから、美保関灯台 ( 地蔵崎 ) の駐車場で車中泊をしようかとも考えましたが、先を急いでいましたし、駐車場には私達だけで、ちょっと寂し過ぎるので、美保神社でお参りをした後、境港まで行って車中泊をすることにしました。
美保神社です。
もう暗かったのですが、カップルがお参りをして帰る所でした。
美保神社の祭神は、三穂津姫命 ( みほつひめのみこと ) と、事代主命 ( ことしろぬしのかみ ) で、
三穂津姫命は、
五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲 ( 音楽 ) 」 の守護神。
事代主命は、
海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲 ( 音楽 )、学業 」 の守護神。
だそうです。
歌舞音曲 ( 音楽 ) というのは、聞いたことが有りませんね。
神門と回廊です。
神門です。
しめ縄が立派でした。
拝殿です。
拝殿の中です。
神門から鳥居の方を見たものです。
鳥居の内側、神社の境内に門があって、 「 萬来深謝 」 の提灯が付けられていました。
文字を見れば大体意味は分かりますが、ここは日本。
神社の境内なのに、何故、中国語だけで書かれているのか、ちょっと違和感を感じ、日本人として悲しくなってきました。
おそらく、観光客は中国人が圧倒的に多いのでしょうね。
この通りは、後で分かったのですが、江戸時代の風情を残す街並み 「 青石畳通り 」 の入口なのだそうです。
境港に行く途中にあった、「 男女岩 」。
「 めおといわ 」 と読むのだそうです。
この後、境水道大橋を渡って境港に入りました。
境港では、当初、町から少し離れた 「 夢みなと公園 」 の駐車場で車中泊をする予定でした。
それでトイレを探しましたが、駐車場から少し離れていて、木のドアーでしたので、車中泊をするのをやめ、街中の境港市役所の有料駐車場に行くことにしました。
ところが、思っていたような場所ではありませんでした。
美保関灯台 ( 地蔵崎 ) の駐車場にしても、夢みなと公園 の駐車場にしても、境港市役所の有料駐車場にしても、机上での下調べはしていたのですがパス。
行ったり来たりして夜の道路を走り、最終的に、街中の水木しげるロードの近くの日ノ出駐車場 ( 有料 ) で車中泊をさせてもらうことにしました。
この有料駐車場は、100台以上は止められるかなり広い駐車場でしたが、周りには民家もあり、ドアーの開け閉めなどは音を立てないよう、また、何をするにも気を遣いました。
やはり、街中の車中泊は考えものです。
少し遠くても、郊外ですべきでした。
この日の夕食は、間食もして腹も減っていなかったので、それに、外食をする気力もなかったので、午後9時半近くになって、あるものを食べて寝ました。
初めて疲れを感じた1日でした。
旅をしていれば、道にも迷いますし、アクシデントもありますし、思うようにならないことだってありますよね。
続 山陽・山陰車中泊の旅 ( 11日目 ①水木しげるロード ) に続きます。