11月3日に行われた、南紀白浜の隣の田辺市の中芳養にある芳養 ( はや ) 八幡神社の例祭の模様を、4回 ( 流鏑馬 ( やぶさめ )、渡御祭、還御祭、駆馬 ( かけうま )) に分けてご紹介したいと思います。
初めに、祭りの行われた芳養八幡神社ですが、和歌山県神社庁によると、
神社は、平安時代からあった芳養荘 ( 京都石清水八幡宮領 ) の鎮守として、鎌倉時代の1289年2月に創建された由緒ある神社だそうです。
平安時代以降、芳養谷一帯は、石清水八幡宮の荘園で、石清水八幡から勧請されたのが、この芳養八幡宮、中芳養、上芳養旧8ヶ村の氏神だそうです。
芳養八幡神社の鳥居です。
芳養八幡神社の氏子8地区 ( 日向、林、西山、平野、西野、東山、田尻、小野 ) による例祭 ( 秋の祭り ) は、
宵宮の2日は、芳養の中浜海岸で、海水でみそぎを行う ( 潮垢離 ( しおごり)) 、清祓式 ( きよはらいしき ) を行い、
本祭りには、神前大前の儀、流鏑馬 ( やぶさめ ) 、神社から御旅所までの渡御、御旅所祭、神楽奉納、還御祭、駆馬 ( かけうま ) などが行われます。
この祭りは、別名 「 馬祭 」 とも言われ、和歌山県の無形民族文化財に指定されています。
この日は、熊野人倶楽部 ( 代表 濱田八洲男さん ) の主催する見学会の一員として参加しました。
見学会は、先に、八幡神社の近くにある泉養寺 ( せんにょうじ ) の見学をしました。
この泉養寺には、八幡神社の別当寺であった鷲峰 ( じゅうぶ ) 寺の仏像で、明治初年の神仏分離により、泉養寺に移されたという、鎌倉時代に作られた阿弥陀如来が置かれています。
泉養寺の見学の後、当日祭りが行われる芳養八幡神社に行きました。
神社の鳥居をくぐって境内に入っていくと、馬場の近くに設けられた陣所には、既に、美しく化粧した殆どの地区の馬が入っていました。
長床前の鳥居です。
拝殿です。
既に、上半身赤装束の流鏑馬の射手の方も来られていました。
境内には、本殿の前両脇に馬の像が2体あって、
黒い馬は、「 願馬 」 と呼ばれ、白い馬は、「 神鳩 ・ 神馬 」 と呼ばれています。
流鏑馬の射手の方々です。
正午ごろから、本殿 ( 拝殿 ) で神事、「 神前大前の儀 」 が行われ、同時に、鳥居の階段を下りたところの馬場で、東西南北に矢を射る 「 四方祓いの儀 」 が行われました。
「 四方祓いの儀 」 が終わると、「 流鏑馬 ( やぶさめ )」 を行うため、馬場を御旅所の方向に移動して行きました。
流鏑馬の2番手以後の射手の方々が階段を下りて来て、
順次自分の地区の馬に乗り、
馬場を御旅所の方向に移動して行きました。
そして全区が揃うと、ゆっくりとした歩調で前進し、
1頭ずつ的に向け矢を射ました。
矢が的に当たると、紙吹雪が舞い、歓声があがります。
近距離から、いきなり花吹雪の紙が投げられ、大きな歓声があがるので、これに驚いた馬が、暴れるシーンも度々ありました。
的は近いと言っても、この沢山の観客の前で、しかも、歩く速さが一定していない馬に乗って矢を射るわけですから、的に当てるのは大変です。
的に命中している矢がお分かりいただけるでしょうか。
よーくみていただきますと、的に矢が。
いずれの射られた矢も、的にはささりません。 下に落ちるようになっています。
流鏑馬を終えた馬が陣所に戻るところです。
続 芳養八幡神社例祭 ( その2 渡御祭・御旅所祭・神楽奉納 ) に続きます。
今回の芳養八幡神社例祭のブログです。
芳養八幡神社例祭
( その2 渡御祭 ・ 御旅所祭 ・ 神楽奉納 ) → こちら です。
芳養八幡神社例祭 ( その3 還御祭 ) → こちら
です。
芳養八幡神社例祭 ( その4 駆馬 ) → こちら です。