続 芳養八幡神社例祭 ( その1 流鏑馬 ) | 南紀白浜で暮らす

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長年住み慣れた大阪から石垣島に移住。その後、2011年に南紀白浜に移住しました。
南紀白浜を中心とした素晴らしい景色や行事、アドベンチャーワールドのパンダなどの動物達のこと。
そして日々の生活、好きな旅行や海の中のことなどについてもご紹介したいと思います。


11月3日に行われた、南紀白浜の隣の田辺市の中芳養にある芳養 ( はや ) 八幡神社の例祭の模様を、4回 ( 流鏑馬 ( やぶさめ )、渡御祭、還御祭、駆馬 ( かけうま )) に分けてご紹介したいと思います。



初めに、祭りの行われた芳養八幡神社ですが、和歌山県神社庁によると、


神社は、平安時代からあった芳養荘 ( 京都石清水八幡宮領 ) の鎮守として、鎌倉時代の1289年2月に創建された由緒ある神社だそうです。


平安時代以降、芳養谷一帯は、石清水八幡宮の荘園で、石清水八幡から勧請されたのが、この芳養八幡宮、中芳養、上芳養旧8ヶ村の氏神だそうです。



芳養八幡神社の鳥居です。


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芳養八幡神社の氏子8地区 ( 日向、林、西山、平野、西野、東山、田尻、小野 ) による例祭 ( 秋の祭り ) は、


宵宮の2日は、芳養の中浜海岸で、海水でみそぎを行う ( 潮垢離 ( しおごり)) 、清祓式 ( きよはらいしき ) を行い、


本祭りには、神前大前の儀、流鏑馬 ( やぶさめ ) 、神社から御旅所までの渡御、御旅所祭、神楽奉納、還御祭、駆馬 ( かけうま ) などが行われます。


この祭りは、別名 「 馬祭 」 とも言われ、和歌山県の無形民族文化財に指定されています。



この日は、熊野人倶楽部 ( 代表 濱田八洲男さん ) の主催する見学会の一員として参加しました。


見学会は、先に、八幡神社の近くにある泉養寺 ( せんにょうじ ) の見学をしました。


この泉養寺には、八幡神社の別当寺であった鷲峰 ( じゅうぶ ) 寺の仏像で、明治初年の神仏分離により、泉養寺に移されたという、鎌倉時代に作られた阿弥陀如来が置かれています。


泉養寺の見学の後、当日祭りが行われる芳養八幡神社に行きました。



神社の鳥居をくぐって境内に入っていくと、馬場の近くに設けられた陣所には、既に、美しく化粧した殆どの地区の馬が入っていました。


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長床前の鳥居です。


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拝殿です。

既に、上半身赤装束の流鏑馬の射手の方も来られていました。


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境内には、本殿の前両脇に馬の像が2体あって、

黒い馬は、「 願馬 」 と呼ばれ、白い馬は、「 神鳩 ・ 神馬 」 と呼ばれています。


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流鏑馬の射手の方々です。


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正午ごろから、本殿 ( 拝殿 ) で神事、「 神前大前の儀 」 が行われ、同時に、鳥居の階段を下りたところの馬場で、東西南北に矢を射る 「 四方祓いの儀 」 が行われました。


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「 四方祓いの儀 」 が終わると、「 流鏑馬 ( やぶさめ )」 を行うため、馬場を御旅所の方向に移動して行きました。


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流鏑馬の2番手以後の射手の方々が階段を下りて来て、


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順次自分の地区の馬に乗り、


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馬場を御旅所の方向に移動して行きました。


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そして全区が揃うと、ゆっくりとした歩調で前進し、


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1頭ずつ的に向け矢を射ました。


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矢が的に当たると、紙吹雪が舞い、歓声があがります。


近距離から、いきなり花吹雪の紙が投げられ、大きな歓声があがるので、これに驚いた馬が、暴れるシーンも度々ありました。


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的は近いと言っても、この沢山の観客の前で、しかも、歩く速さが一定していない馬に乗って矢を射るわけですから、的に当てるのは大変です。


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的に命中している矢がお分かりいただけるでしょうか。


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よーくみていただきますと、的に矢が。

いずれの射られた矢も、的にはささりません。 下に落ちるようになっています。


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流鏑馬を終えた馬が陣所に戻るところです。


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続 芳養八幡神社例祭 ( その2 渡御祭・御旅所祭・神楽奉納 ) に続きます。




今回の芳養八幡神社例祭のブログです。


芳養八幡神社例祭

( その2 渡御祭 ・ 御旅所祭 ・ 神楽奉納 ) → こちら  です。


芳養八幡神社例祭 ( その3 還御祭 ) → こちら  です。


芳養八幡神社例祭 ( その4 駆馬 ) → こちら  です。