暑い毎日が続いてますね。


先日、仕事のついでに福岡県久留米市田主丸


というところへ、墓参りに行ってきました。




レンタカーを借りて、やって来ました。


ここは、わが父のルーツである、先祖代々が


歴史に名を残したところであり、まさに


家系図のある街です。


私も父も白倉という姓を名乗っていますが、


父が養子に来た家が白倉という姓であり、


元は、倉富という家柄である。


この久留米市田主丸という地に、遠く


戦国時代から住み付いた、戦国武将であった。


そのもとは、藤原北家の秀郷を祖とする


造寺という、武家の血筋であったが、


その龍造寺胤知がここに移り住み、名を倉富と改めた。


その末裔である、わが父の父の父の墓参りに


初めて訪れました。




古い墓ばかりが居並ぶ、この寺の入り口付近に


わが倉富の墓がありました。


回りも ほとんどが倉富家の墓ばかりですが・・・





ついに見つけました。わがルーツ。


私の壽男という名前は、この墓石に刻まれている


壽市という祖父から一字いただいてつけられた名前です。


そして左端の、勇三郎というひとが、祖祖父です。


この方は、知る人ぞや知る、大正から昭和にかけて、


日本の歴史上の人物だったのです。


第16代 内閣法制局長官も勤め、後に男爵も授かった、


れっきとした、貴族だったのです。


今の自分からは想像も出来ない血筋ですが


これは、紛れも無い、本当のことです。


だからといって、何がどう変わるわけではないのですが、


最近いろいろネットで調べていて解かった事実だったのです。


やっと、ルーツが発見できた。


そのことで、今とてもスッキリしました。


長年のもやもやが、吹っ飛んで行った感じです。


ご拝読有り難うございました。