海老蔵さんが、精神修行のために、どこかに
こもるという報道を聞いて思うのですが、
精神を鍛えるのに、なぜ現実から逃避しなくては
いけないのでしょうか ?
修行とは、現実の社会や生活の中で、いろんなことに
もまれながら、強く成長していくものではないのかな ?
どこか、山とか岩とかにこもったり、滝に打たれるのが、
修行だと勘違いしている人が多いですよね。
そんなのはただの、気休めでしょう。
そこからまた、現実に戻ったときにどうやって
試練を乗り越えるって言うんでしょうか ???
そんなに人生は、甘いものではありまっしぇん !!
苦難の連続のようなものなのです。
それが人生さ。
それが、生き様だぜい。
若いときに鍛えないでいつ鍛えるのかい ?
その人生修行は、あくまでも人との交じり合いの中にしか
ありえないのです。
こもって、荒行とか、禅をくむとか、滝に打たれるとか、
そんなのは、修行とは言わないよ。
本当の仏道修行というのは、日々の日常の生活の
なかにしかないのである。
弱い自分との、毎日の格闘の中にしかないのである。
現実を離れて得るものなど何もない。
ただの、まやかし、気休め、自己満足なだけである。
間違った教えというものは怖い事です。
正しい仏道修行をお勧めします。
海老蔵さんへ。
てなことを、思ったので語ってみました。
またね。