週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。


こんばんは、わたしです。

 

連チャンで記事を投稿するやる気が出たことに大変驚いています。

 

まぁここ最近行事ネタが溜まりつつあるので、

 

ネタに事欠かないというのが大きいとは思いますが。

 

そんな中今回の登校日(予定)は7/7

 

七夕ですね星


七夕と言えばあれがデネブアルタイルベガ流れ星

 

君が指さす夏の大三角形、に関連する織姫彦星の伝説が有名で、


笹の葉に短冊をつけて願い事をするのが慣例となっていますキラキラ


ただこの七夕、由来や行事内容は色々な信仰が混在しています。


分かりやすいところで例に出すと、


神道由来

・笹の葉と短冊右矢印夏越の大祓の茅の輪についていた笹を流用

・七夕(たなばた)の読み右矢印天棚機比売命


仏教由来

・五節句の1つ、七夕の節句


道教由来

・織姫と彦星の天の川伝説

 

といった風に3つの信仰体系をごちゃ混ぜにしたものが


現代でも伝わっています笑い


まさに外来のものでも取り入れてアレンジを加える


日本人らしさの極みみたいな行事です。


ということで今回はその中で星に関連した、

 

遠いようで近いこちらの神社を紹介いたします。

 

 

  村社 大甕神社

 

神社鎮座地:茨城県日立市みか町

 

神社御祭神:建葉槌命

 

神社旧社格:村社

 

神社御朱印:ありキラキラ

 

はい、ということで今回は日立市の大甕神社です。

 

御祭神は建葉槌命さまで、鹿島神宮の武甕槌命、香取神宮の経津主命さま方とともに、

 

天津神に従わないまつろわぬ神たちを調伏していた方です。

 

また、機織りを生業としていた倭文氏の氏神として全国の倭文神社で祀られています。

 

 

 

 

JR大甕駅を降りて茨城キリスト教大学を横目に

 

緩やかな坂を上った先にあります。

 

社殿正面の鳥居をくぐり、左手に社務所が見えますが基本的にこちらは無人です。

 

 

というところで大甕神社の由緒です。

 

主祭神の建葉槌命さまとともに祀られているのが、

 

当社の地主神とされている甕星香々背男さまです。

 

この方は天津甕星とも呼ばれており、日本神話においては

 

星の神とされています。

 

余談ですがっ少し前にとあるソシャゲで

 

阿曇磯良がシリウスの神格化として登場しましたね。

 

まさかなかなか神話の登場回も少ないあの方をあんな風に

 

ストーリーに盛り込むとは・・・あ、マジ関係ない話です。

 

創作を除くなら日本神話で星の神はこの方だけです。

 

 ただ日本神話においてはギリシャ神話のように星座などの空の星に関するネタはありませんし、


なんなら香々背男さまは国津神のまつろわぬ神ですので、


まさに地上の星です。つーばーめよー

 

 

神話においてまつろわぬ神として登場する香々背男さまは

 

武甕槌・経津主の最強タッグに最後の最後まで抵抗します。

 

埒が明かなくなった2柱は建葉槌命さまを召し、

 

香々背男さまを交渉の末に従わせたとされています。

 

当社はこの拝殿の裏手にある宿魂石と呼ばれる大岩に

 

香々背男さまの荒魂を封じたと伝えています。

 



当社の創建としては皇紀元年(紀元前660年)とされており、

 

創建年代が判明(伝承込み)している神社の中でも古社に入りますが、

 

なんと延喜式神明帳には記載されていません。

 

神話的背景から考えると香取・鹿島の神様と協力した方であるため

 

載っていてもおかしくはない、いえ実際には載っています。

 

というのも建葉槌命さまを祀る神社としては常陸国二宮の静神社があり、

 

こちらは式内社であり香取鹿島と同じく明神大社に列しています。

 

拝殿に掲げられている扁額には「式外」と書かれています。

 

延喜式神明帳に載っている神社を式内社と呼びならわすのに対し、

 

神明帳編纂時ですでに創建されているが記載のない神社のことを

 

式外社と呼んでいます。

 

しかし実際にこの呼称を使っている神社ほめったになく、

 

私も当社以外には名古屋市の星宮社が社号碑に入れているのを

 

見たことがあるくらいです。

 

なぜ使われてないのか、これはあくまで私の想像ですが、

 

式外社という呼称が公式で使われていないからだと思われます。

 

神明帳未記載の神社ということで式内「以外の」神社を式外社としていますが、

 

様々な理由で記載を外れた「以外の」神社をカテゴライズすることはほぼなかったため、

 

「式外社」という呼称を使う必要がなかったのではないかと考えます。

 

ちなみにこの「式外」を使う大甕神社と星宮社の共通点は、

 

御祭神が香々背男さまであることです。

 

 …とここまで式外社として語っておいて今更ですが、


式内社の大甕神社はあります。


というのも記載があるのは遠江国長下郡であり、


これが浜松市中央区中野町の大甕神社を比定しています。


こちらは星の神ではなく松尾大社と同じく大山咋神さまを祀っており、


社名は酒に使う瓶子を由来としています。

 お稲荷さんもあります。


いつもお世話になっておりm(グー

 

摂末社は拝殿と同じく宿魂石の周りに点在しています。

 

と言ってもそれほど多くはありません。

 

そして拝殿から右手に抜ける参道を進むと本殿までの参道があります。

 

実はこちらの本殿はその宿魂石の頂上にあります。

 

 

割とガッツリ岩山です。

 

一応最低限の階段は作られていますので、登ることは難しくありません。

 

 

鎖場コースもあります。

 

修験系の山へ登る方はまずこちらで感覚をつかんでもいいかもしれません。

そんなこんなで登ってたら見えてきましたね。

 

こちらが頂上の本殿です。

 

宿魂石の上なのでそれほど大きくはないですし、

 

参道も広くないので2人くらいが参拝の限界です。

 

なんかこの本殿の配置を考えると、

 

宿魂石の下に封じられた香々背男さまを建葉槌さまが上から抑えている、

 

どこの要石だよみたいな図に感じますね。

 

 

 

 

めっちゃそれっぽい石も本殿横にありますし。

 

 

 

 

 

こちらは宿魂石の北側にある境界石という名の

 

アーチ状になっている石です。

 

縁結びや縁切りを祈願して祈願札と呼ばれるお札を貼り付けています。

 

形式や遠目からの形では安居金毘羅宮の縁切り縁結び碑に似てますね口笛

 

ちなみにこの祈願札には「とほかみえみため」が書かれています。

 

こちらは香々背男社です。

 

 大甕神社と宿魂石を挟んだ向かい側に鎮座しており、


名前の通り地主神の香々背男さまを祀ります。


大きさとしては岩上の本殿と同じサイズであり、


神紋はその星の神の通り五芒星となっています星

 

参集殿です。二階建てにもなっておりとても立派です。

 

なんなら社殿よりも立派ですね。

 

どうも祈願自体もこちらで遥拝の形式をとる、のかな?

 

 

参集殿から本社へ至るまでの参道には鶏小屋があります。

 

このニワトリは「東天紅鶏」という品種であり

 

日本の三大長鳴き鶏の1つで天然記念物に指定されています。

 

基本的には小屋の中で飼育されていますが、

 

1,2羽だけなぜか参集殿周辺で放し飼いにされています。

 

二度目に参拝したときには雛がたくさん生まれていてかわいかったです。

 

 

 

・・・さて神社についての解説はこんくらいにしまして、

 

ここからが本題です。

 

ここから7月7日に投稿し目的をお話します。

 

  7月7日 甕星祭

 

大甕神社の例祭は5月5日なのですが、

 

7月7日の七夕の日には香々背男社で甕星祭が行われます。

 

今回は昨年行った時の模様を書かせていただきます。

 

記事冒頭は茅の輪があるように2年前の6月に参拝したのですが、

 

その時には基礎しかなかった楼門が

 

昨年には写真の通り立派に建てられていました。

 

とはいえまだ石段工事も仕上げ段階ですし、

 

何より随神さんがまだ鎮座していませんでした。

 

多分今はもう完成しているとは思いますが。

 

当日は祭典時間がわからなかったため9時くらいに来てみましたが人はおらず、

 

その後17時くらいに改めてくるとかなり人が集まっていました。

 

 何より驚きなのはその、集客率?参拝者の数?です。


大甕神社は長い表参道などはなく、今回の祭りは縁日のような露店が立ち並んでいません。


本当に神前の神事だけのお祭りです。


しかしその観覧者の人数は最終的に200人以上を超えていました。


今年も氏子さんのポストで300人超の人が来ていたと報告されてましたので、


毎年それだけの人数がいらっしゃるみたいです。


 

 こちら直前の香々背男社前です。


お供物と共に金と銀の御幣、そして中央にはオール麻の大麻が置かれています。


現代においてはその大半を和紙などの紙垂で構成されている大麻なので、


かなり貴重かもしれません。まぁ麻自体が高いですからね…特に国産だと。

 

 

 それでも少し時間があり、他の参拝者も頂上の本社へお参りしてたので同じく行ってきましたお願い

 宿魂石からの参道も電飾や灯籠が設置されておりとても綺麗ですキラキラ


もう少し暗い時間に撮ったら煌びやかだったかもしれませんね笑い

 

 さて夜も更けてきた午後7時。甕星祭が始まりました。


最初に宮司さんによる神饌の献撤、祝詞奏上、そして朝日舞が奉納されます。


そしてこのあと、甕星神楽が奉納されます拍手拍手

 

 

まず最初に白い面をつけた長身長髪の神様が現れます。


こちらが建葉槌命さまで写真がないですがあとで出てきます。


その後にカラフルな獅子舞が現れて激しく舞います。


こちらが香々背男さまで、武甕槌・経津主のタッグに最後まで抵抗したように舞に力強さが感じられます。



 そして二柱が対面するように舞い、少しずつですが香々背男さまが動きが鈍くなっていき、


最終的には打ち取られるように獅子頭を建葉槌さまに刈り取られます。

 

 

 その獅子頭の下から白髪の赤い顔をした神様が現れ、


短冊のついた笹を両手に舞います。


 この香々背男さまの変身が、まつろわぬ神としての振る舞いから、


建葉槌命さまのもとに下ったことにより、地上を守る神への改心を示しているといいます。


このまつろわぬ神時代を獅子という獣のような姿から、


改心後は建葉槌命さまと同じ人型に変わるというのが、


日本の神様の仲間入りしたかのようで分かりやすくて良いですね。

 

 甕星神楽奉納のあと、斎主玉串を行い参列者玉串です。


観覧に来ていた全ての人たちが前に進み出て拝礼を行いました。

 

ものすごい人数での拝礼、皆さんが横入りも後ろから急かすこともなく、


静かにゆっくりとお参りをされていました。



 

 

 

 

 さぁ宮司さんによる挨拶のあとは舞人たちの写真撮影タイム!!


7/7の初夏とはいえ夏の夜、分厚い着物を着ていましたが


約20分弱撮影会は行われており、


場合によっては参拝者の方との3ショットも普通に行うサービス旺盛な神様でした。

 

 

今回のベストショットです


獅子頭だけがぶれてますが全体一番綺麗に撮れています。

 

 

毎年1日に授与される甕星守がありますが、


この甕星祭の限定から頒布される方は本体を倭文織の麻布で包み、


鹿の皮で作った御守袋の中に入っています。


かなり高価ですが毎年20体限定で頒布されます。


祭りが始まる前に戴きに伺ったとき最後の1体となっていました。ラストワン賞ですキラキラ


  ​あ と が き


ということでいかがだったでしょうか。


7月7日の七夕と星の日に、数少ない星の神様を祀る神社で、


その神話をなぞる神楽をご紹介させていただきました。


今回動画とかをXやインスタに投稿するために動画を撮っていたのですが、


ちょっと記事の方に入れるには編集が間に合いませんでした。


やる気とモチベがあって完成したらまた載せておこうと思います。


てな感じで今回はこの辺で筆を置きたいと思います。


また来週、よろしくお願いします。


それでは〜バイバイバイバイバイバイ

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