高向王と、宝皇女の間に生まれた漢皇子。
高向王=蘇我入鹿と言う方がいますが、違います☆
高向王=鏡王のことです☆
鏡王とは、額田王の父親のことです
鏡王は、厩戸皇子の異母兄の、田目皇子と、厩戸皇子の正妃の、うじの貝蛸皇女の間にできた子供です☆
田目皇子には、母親は理由があって書けないが、男の子が一人いたそうです☆
鏡王の生母が、厩戸皇子の正妃だから、鏡王を厩戸皇子の子と考えることはできますが、父親は、田目皇子だそうです。
日本書紀に、「用明天皇の子か孫かわからないが、高向王というのがいた」と書いているのは、おそらく、用明天皇も息子の田目皇子も、「池辺皇子」と呼ばれていたからでしょう。
うじの貝蛸皇女は、その池辺皇子に奪われて、子供を身ごもって、自分の殻に閉じこもってしまったらしいです。
表向き、池辺皇子は、用明天皇とされているので、日本書紀では、高向王(鏡王の)を、用明天皇の子か孫わからない人と、書いたのでしょう。