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三 家
ジョバンニが勢いよく帰ってきたのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には、空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植えてあって、小さな二つの窓には日覆いが下りたままになっていました。
「お母さん。いま帰ったよ。具合悪くなかった?」ジョバンニは靴をぬぎながらいいました。
「ああ、ジョバンニ、お仕事が大変だったろう。今日は涼しくてね。わたしはずうっと具合がいいよ」
ジョバンニが玄関を上がっていきますと、お母さんはすぐ入口の部屋に白い布をかぶって休んでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。
「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って」
「ああ、お前さきにおあがり。わたしはまだほしくないんだから」
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの?」
「ああ、三時ころ帰ったよ。そこらを片付けてくれてね」
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか」
「来なかったかねえ」
「ぼく行ってとってこよう」
「ああ、わたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり。姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いていったよ」
「じゃぼくは食べよう」
ジョバンニは窓のところからトマトの皿をとって、パンといっしょにしばらくむしゃむしゃ食べました。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ」
「ああ、わたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの?」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁はたいへんよかったと書いてあったよ」
「だけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない」
「きっと出ているよ。お父さんが監獄へ入るようなそんな悪いことをしたはずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈した大きなかにの甲らだの、トナカイの角だの、今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で(ここから下は空白で文章が途切れています)」
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着を持ってくるといったねえ」
「みんながぼくにあうとそれをいうよ。ひやかすようにいうんだ」
「おまえに悪口をいうの?」
「うん、でもカムパネルラは決していわない。カムパネルラはみんながそんなことをいうときは気の毒そうにしているよ」
「カムパネルラのお父さんとうちのお父さんとは、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ」
「だからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへ行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中たびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせると円くなって、それに電柱や信号標もついていて、信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐(かま・蒸気機関車のボイラー)がすっかりすすけたよ」
「そうかい」
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家じゅうまだしぃんとしているから」
「早いからねえ」
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるでほうきのようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ」
「そうだ。今晩は銀河のお祭りだねえ」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね」
「ぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ」
「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒なら心配はないから」
「きっと一緒だよ。お母さん、窓をしめておこうか」
「そうだね、もう涼しいからね」
ジョバンニは立って窓をしめ、お皿やパンの袋を片づけると勢いよく靴をはいて
「では一時間半で帰ってくるよ」といいながら暗い戸口を出ました。