知的障がいのある安永健太さんが、なぜ、このような目にあうのか?
なにが、問題なのか?
弁護士の河西龍太郎氏は言います。
「私は原審判決は裁判の基本である「市民」という概念の理解を欠いていると考えます。
市民とは女性・男性・障がい者・子ども・老人・病人・けが人等ありとあらゆる人々を含む概念です。
そして、憲法はこれらの人々の権利を総てに対等なものであるとしています。
さらに警察官や裁判官はこれらの市民の中でも特に弱者の立場になる人達の権利については、特別な配慮をして守らなければならないはずです。
しかし、原審判決はこのような配慮を一切していません。」
警察官が、市民の中には、障がい者もいて、答えられない者も居る、怒鳴られたり、掴まれたりしたら、身を守ろうと、抗うこともあるとう認識もないとすれば、私はおちおち次郎を歩かせることができません。
それは、障がい者に限らず、だれもが同じ目にあうかもしれないということです。
健太さんの家族にとってみれば、健太さんが何をするかわからない乱暴者のように言われ、百箇所におよぶ傷も本人が勝手に作ったものと言われた裁判は無念の一言でしょう。
報告会では弟さんのお話を聞くことが出来ました。
「私は2才違いの兄をずっと見てきました。ずっと一緒に育ってきました。その私は、兄が怒るところを見たことが一度もあありません。大声をあげるところも一度も見たことがありません。その兄が大声をあげたとすれば、大声をあげなければならないようなことをされたとしか思えません。」
弟さんの体からは、炎がめらめらと立ち昇るようでした。
ご家族は控訴してくださっています。
私は「私たちの子どもたちのために、本当にありがとうございます。」と声をかけました。
言いたいことが、込み上げて、目を見つめるばかりでした。
一緒に闘って行こうと決心しています。