50年の時を超えて
そのご老人は、八重洲ブックセンターの前で立って待ってくれていました。一見すると誰もが思うといえるほど温厚そうなその方と目があっただけで、お互いに「徳永さんですか?」「白石さんですか?」と声をかけあってました。すごく人ごみの多い、センターの入り口でなんとなく、この人だと思えました。
夕食の予約時間まですこし時間があったので、中二階の喫茶でお茶をしてから出かけることにしました。「今日はありがとう御座います。」と私はご挨拶をしながら、目が涙でうるんでしまいました。この方が、私の会社の名付け親なんだな。ありがたいという気持ちと、久しぶりに父親に会えたような思いとがかさなって、こみ上げてきたのだと思います。
昭和30年から36年までの6年間、鹿島建設の新卒での配属が新居浜だったそうです。私の会社が34年に会社として設立ですので、徳永さんが私の会社の名前のことを親父と話したのは新居浜に赴任されてしばらくしてからのことだったようです。
「君と会ってると、50年前の記憶が、どんどんよみがえってくるよ。」そうおっしゃりながら、当時のはなしをずっと聞かせていただきました。
話を伺いながら、私も50年前の新居浜の町並みや情景がすこしだけうかんできます。初めてお会いした方なのに、気さくに話してくれるし、徳永さんも自分が20代前半のその当時の自分に戻ったように、若々しく話してくれました。
徳永さんは、社会人の最初の6年間を新居浜で過ごし、その後東京の本社に戻り、技術研究所に出た後、八重洲ブックセンターの設立準備から携わっているそうで、ブックセンターの社長も13年間務めたそうでした。ですから鹿島建設の四国支店で探してもらってもなかなかわからなかったはずです。
徳永さんは話せば話すほどに、いろんな記憶がよみがえってくるようで、その当時の同僚や、多くの方の実名がでてきました。
田嶋さん、松島さん、三島さん、水野さん、篠原さん、、、、、、。
徳永翁の記憶力に脱帽です。
あっというまに時間が過ぎてゆき、
最後にまた「よう、会いに来てくれた。ありがとう。私は最高にうれしい!!」と何十年も東京に在住なのに広島弁で、、、。
また、こみ上げてくる涙を抑えながら「私の方こそ、ありがとう御座いました。是非、またお目にかかりたいです。」と言うのが精一杯でした。
この夜の機会を与えてくれた、親父に感謝!徳永さんありがとうございました。そして、鹿島新居浜の真鍋さん、そして、前所長の篠原さん、ありがとう御座いました。