辞めれば責任は免れるのか | 白石とおるオフィシャルブログ「愛・夢・感動のまちづくり」Powered by Ameba

辞めれば責任は免れるのか

前に、政治の責任の取り方について書いたことがありました。



政治に対して、国際社会からも、日本国民からも、これほど信頼を失墜した状況を作り出してしまった、菅内閣。



それは、菅総理だけの責任であったのでしょうか?



今の、民主党代表選を傍目に見ていても、これまでの民主党の政権運営や、震災対策などを総括して、どのように改めるかということを明確に言う候補者はいません。



現実的に復興を進めてゆく時に、企業や、農林水産事業者にとっても最も重要な、資金の調達について、二重ローンの問題も含めて結論がでないままです。



また、原発問題も、しかりで



これは、すでに世界が注目する問題であって、世界のエネルギー問題にも影響することですから、



日本としてのしっかりした、問題に対する対応が求められます。しかし、まだまだです。



代表戦で支持を仰ぎたいために、これまでの政権運営のまずさなどについて、言及する人はいないのです。



一年ごとに変わる総理の顔、



別にこれまで自民党で起こったことと、何一つ変わらない、若干世代交代は進んでいると思えても、



国家感や国家ビジョンは見えてきません。



政党の代表を変えただけで、全てがリセットできたかなように、次のステップへと進めてゆくのは、いかがなものでしょうか?



人事を改めて、政府や政治全体の、もしくは民主党のイメージを変えてゆこうとするのは、若干の無理がありますよね。



この際、解散総選挙を実施し、



あれほどの支持を受けて発足した、民主党政権のこれまでの2年間を解散、総選挙をすることによって、改めて国民の評価を受けることが必要なのではないでしょうか?!



私が菅総理の立場であったら、



3法案が通ったら辞めるというようなことは、少なくとも言わないでしょう!!



もっと早い段階で、2年前のマニフェストを、野党から突っ込まれて改正するというかたちっではなく、自主的に全名改正して、



そのマニフェストに震災復興対応と、原発問題対応さらに、新たなエネルギー政策を記載した上で、発表し、



それをもって、国民の審判を仰ぐ総選挙に打って出たと思います。



決断しない政治、責任を取らない政治に憤りを感じます。