遠藤ミチロウが亡くなってしまった。享年68歳。萩原健一も68歳だった。人生100年時代なんて国と保険会社の嘘っぱちだ。

 学園祭などでの学生バンドや、学校の行事で見たプロのジャズハンドとかではなく、自分が初めて自主的に見に行ったライブは友部正人。場所はラフォーレ原宿。当時、友部さんがやっていた「待ちあわせ」コンサートシリーズの第5回で、そのゲストが遠藤ミチロウだった。当時は二人の関係性が分からなかったので、「なんでフォークの友部さんのライブにパンクのミチロウが?」という疑問があった。その前に雑誌の記事で、頭脳警察のパンタのライブに友川かずきがゲストで出たけれど帰れコールをされたというのを読んでいたので、「もしかしたら、過激なミチロウファンに友部さんが帰れコールをされるのでは?」と危惧していたが、そんな心配は無用の良いライブだった。その時に、パッフェルベルの曲に歌詞を乗せた「カノン」を歌ったというのを覚えている。

 それから、ソロやバンドのライブを色々な場所で見た。ソロの時はアリアのエレアコを2本用意しているのだが、1、2曲で弦を切ってしまうので、もう1本に持ち替えて歌っている間にスタッフが弦を張り替えるというのが通例だった。

 いつぞや、エレアコを2本抱えて歩いているミチロウさんを東京駅で見たことがある。多分、遠征先に向かうところだったのだろう。小さい体で2本のエレアコのケースを抱えて当たり前のように歩くミチロウさんを見て、何だか良いもの見たなあという気になった。

 去年、秋葉原でTHE ENDを見たのが最後となった。

 さようなら遠藤ミチロウ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Rc3zERX-bl0