母が生きている間、自由に何かをするということができませんでした。
パソコンでメールやブログのチェックをしていても、
「何やってんの?」
「まだやるの?」
「いつ終わるの?」
ってうるさいのです。
それが終わったら何か頼みたいことがあるからきく、ということならまだわかります。
でも、何があるわけではありません。
だったらどうしてそんなにうるさくきくのかとこっちもイラつくので、自然とできなくなってしまうのです。
テレビもそうです。
だんながいると見たいものを見られないので、見たい番組は録画します。
録画した番組を見ていても、母にとって興味がないものだと、全く関係ないことを大声でべらべらしゃります。
そのうち、
「こんなのがおもしろいの?」
などと聞いて来ますし、聞こえなくても問題ないような番組ならいいのですが、セリフの1つ1つも聞き逃したくないような番組だと、何を言っているのか分からないので、結局見られません。
こういうことでイライラがたまると、ささいなことでも気になります。
母はよく、
「さぁ! ○○でもしようかな」
と、これからすることを宣言していました。
トイレにでも行こうかなとか、煮物でも作ろうかな、という程度のことですが。
しかし、そうやって宣言したものの、いつまでたっても寝ころんだままです。
30分たっても、1時間たっても寝ころんだままです。
なのに、その「さぁ! ○○でもしようかな」だけは、2回も3回も言うのです。
やりもしないことなら、どうして何度も言うのかと、本当に腹立たしい思いで聞いていました。
母がいなくなり、パソコンに関しては自由にできるようになりました。
私が何時間パソコンの前に座っていようが、だんなには関係ないからです。
でも、テレビはそういうわけにいきません。
だんながいると、リモコン片手にチャンネルをかえかえするので、見たいものを見られるとは限りません。
そのため、地上波以外の番組は、2階のテレビでしか見られないように画策しました。
おかげで、ゴルフの大会がやっているときなどはずっと2階にいてくれるので、私が見たい番組を自由に見られます。
しかし、そうでないときはけっこう1階リビングにいます。
早く2階行って寝ろよ、と思います。
そんなときにだんなが、
「さ、天気予報見たら2階行くか」
などと言うと、
「天気予報が終われば録画した番組が見られる」
と期待します。
だんなもよく宣言する人なのです。
しかし、宣言しても全く動かなかった母と違い、だんなは、天気予報が終わると、
「さ、みかん食ったら2階へ行くか」
と意見を変えます。
そしてみかんを食べると、
「さ、トイレ行ったら2階へ行くか」
と言って、トイレに行きます。
しかし、トイレから帰って来るとまた寝転がるのです!!!
どうしてやりもしないことを宣言するのでしょうね!?
こちらは一度期待するだけに、余計に腹が立ちます。