実は国防の中枢機関だった! ~わが国有事の安全対策を司る国土地理院~

1 念願叶った国土地理院訪問

  平成27年4月5日。息子の入学式が午後からなので、午前中はつくば市内を散策。


 まずは国土地理院さんへ


 ちなみに、高校地理教師を本業とする私ですが、恥ずかしながら地図教育の本丸ともいうべき国土地理院の門を一度もくぐったことがありませんでした。なので、今回は息子の入学式のついでに、長年の念願を一気に叶えてしまう決意を固めていました。


  ところで、国土地理院と言えば、わが国の基本図である「地形図」の発行元として有名。地形図と聞けば、中学・高校の社会科や地理の授業を思い出される方が少なくないはず。でも、「地形図って大嫌い!」などと、当時毛嫌いした方も多いのでは



 国土地理院
 国土地理院は、国土交通省設置法及び測量法に基づいて測量行政を行う、国土交通省管轄の特別機関です。前身は、陸軍参謀本部の外局として国内外の地理、地形などの測量・管理等を担当した「陸地測量部」(東京三宅坂)です。以下、写真の撮影日時は全て平成27年4月5日です。



 実は、国土地理院は地形図を発行する他にも、多様な国家的業務を行っています。主なものは次の通り。


(1)国内における基本測量(すべての測量の基礎となる測量)。

(2)国の行政機関や地方公共団体が実施する公共測量の指導・助言。

(3)地理空間情報の国際標準化及び国連地名標準化会議などの国際会合への参画。

(4)宇宙測地や重力測定の国際的事業への参画。

(5)国家地図作成機関としての国際協力。

(6)測量士・測量士補試験の実施を主とする測量士登録行政。


 上記以外にも、国土地理院は、外国からの武力攻撃を受けたり、地震・火山噴火に伴って災害が発生したりした際、指定行政機関として地形図や空中写真をはじめとする地理空間情報の提供やGNSS測量などによる災害観測も行ことが義務付けられています(災害対策基本法第2条第3号、武力攻撃事態法第2条第4号の規定による)。

 つまり、国土地理院は、単純に国土を測って地図を作っているだけのお気楽なお役所ではなく、実は国防の中枢機能わが国有事の際、その被害状況を精査し、国家全体として安全対策を講じていく上で極めて重大な責任を負っています 

  それでは、国土地理院の概観を写真で紹介させて頂きます。


 国土地理院の正門
 西大通り(国道●●号)に面した正門に、赤く大きな文字で「特別警戒中」と書かれたデカい看板がありました。国土地理院は、その名前こそ平和的なニュアンスを漂わせますが、実はわが国有事の際、国民の安全を確保する上で極めて重大な責任を負っていことを物語っています。



 正門前を南北に延びる国道●●号 正面左側にはつくば市郊外に出店したCOSTCOさんがあります。なお、商品は前橋のそれとほとんど同じでしたが、客層は全く異なり、外国人の比率が極めて高い前橋に対し、こちらは若い日本人のご家族連れが圧倒的に多く見られました。



 正門脇のサクラのお花さん 
息子の大学合格を祝うかのように、つくばのサクラのお花さんが私たち家族を歓迎してくれました



 つくばサイエンスツアーバス 重要な国家機関であると同時に、つくば市内有数の観光スポットにもなっています。このバスが次に向かうのはおそらくJAXAでしょう。



 国土地理院のVLBI観測局 正門を過ぎて右側の駐車場の最奥に見える巨大なアンテナが国土地理院の所在を象徴する「VLBI観測局」です



 国土地理院のVLBI観測局(拡大)
 VLBI(超長基線電波干渉法)とは、離れたアンテナで観測したデータを原子時計などで計測したタイミング情報とセットにして磁気テープなどに保存し、郵送などにより1か所に集約して相関させることで像を得る手法で、高い精度が求められる測量に役立っています。また、プレートの運動の研究、国際的な測地系の構築、地球回転計測、世界時の監視などにも応用されています。



  さすがに、本庁舎は立ち入りが制限されていました。そこで、素直に案内に従い、本庁舎の南隣に設けられた「地図と測量の科学館」にお邪魔させて頂きました。なお、当館の入場料は無料です

 

 地図と測量の科学館
 地図や測量に関する展示を行う、わが国最初の施設として、平成8年に開館したそうです。
                       

 
  「地図と測量の科学館」の入口
 当日、「戦災からの復興」と題した企画展が館内で開かれていました。戦後70年目という節目を意識したものだと思われます。


 
 マッピーくん 「地図と測量の科学館」のキャラクターとしても活躍中です



2 地図に特化した展示品の数々
  
  入館と同時に驚かされたのが、入口のホールの床面に描かれた「日本列島空中散歩マップ」。縮尺は10万分の1で、縦7m×横25mからなる巨大地図でした

 陸地に等高段彩が施されているだけではなく、日本列島周辺の海底地形まで詳しく描かれている点はサスガでした

 

 日本列島空中散歩マップ(1) 
赤青の3Dメガネをかけると、地図、つまり日本列島が立体的に見えるそうです。



 日本列島空中散歩マップ(2) 2階からの眺めです。デカ過ぎて、とても一枚の写真には収まりきれませんでした。 



 1階には、他にも画面をタッチして新旧の地形図を閲覧できる「たっちず」と命名されたコンピュータ端末、そして「被災地周辺の空中写真」の展示コーナーがあります。

 


 「被災地周辺の空中写真」の展示コーナー
 災害発生時などの有事に機能する国土地理院の性格を表しています。



 3.11大津波の波高
 2階の柱に茨城県内各地の大津波の波高が記されていました。



 次は2階ですが、重厚な資料が所狭しとばかり、数多く展示されていました。


 まずは当館のメインである常設展示場。「地球に向かう」、「情報に向かう」、「暮らしに向かう」の3つのテーマに沿って展示されていました。


 「地球に向かう」のエリアでは、数々の測量機器や一等三角点の標石などが展示されていました。



 立体図化機 かつて2万5千分の1地形図を作成する際に使用されました。



 一等三角点の標石 
三角点とは、三角測量に用いる、経度・緯度・標高の基準の基準となる地点のことです。山頂部など、見晴らしの良い場所に多く設置されています。



 「情報に向かう」のエリアでは、地図の歴史や日本の古地図などが展示されていました。伊能忠敬先生の測量による古地図もレプリカですが、展示されていました。



 「情報に向かう」エリア(1) 等高線や正距方位図法など、中学社会科教科書や高校地理教科書に登場する地図学習そのものでした。



 「情報に向かう」エリア(2) 
人類の世界観をの変遷を背景とした地図の歴史が詳しく紹介されていました。


 「情報に向かう」エリア(3) 
日本の古地図のほか、世界各国の地形図も展示されていました。ガラス越しのため、写真が上手に撮れませんでした


 

 「日本の古地図に明記された竹島
 「改姓日本輿地路程全図」という古地図の一部を拡大。日本海にハッキリと竹島が記されていました。
竹島は紛れもなく日本固有の領土です



 「.暮らしに向かう」のエリアでは、コンピュータを用いた地図製作が体験できます。子供たちの校外学習には最適な環境が整っているようです



3 戦災と復興を地図と写真でつぶさに記録した国土地理院

  また、2階の特別展示室では、前述させて頂いた「戦災からの復興」と題した企画展が開催されていました。



 特別展示室の入口
 企画展の副題には、いかにも国土地理院らしく、「地図や写真でたどる復興の道のりと国土の変貌」と書かれていました。



 以下、企画展の主な展示物を当日撮影した写真で紹介させて頂きます。 
 


 東京の戦災概況 
東京空襲による主な罹災地域が日付別に分かりやすく色分けしていました。ピンクの部分が昭和20年3月10日に焼き尽くされた地域です。



 米軍が撮影した戦後の東京 
東京湾の上空から撮影したもの。中央に流れる大きな川は荒川です。戦災で焼け野原になってしまった下町がクリアに写し出されています




 「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」 
赤く塗られた場所が米軍機の爆撃で焼失した区域です。


 また、戦災で焦土と化した東京が元気に復興していく様子が写真で紹介されていました。



 東京都心部の復興状況(1) 
戦後間もないころに撮影された写真です。ピンボケで申し訳ありませんが、建物があまり残っていない様子が確認できます。




 東京都心部の復興状況(2) 
昭和30年代後半に撮影されて写真です。現在のような摩天楼はまだ見られません。




 東京都心部の復興状況(3)
 昭和40年代か?霞が関の官庁街がクッキリと撮られています。 




 東京都心部の復興状況(4) 
昭和60年代か?東京駅(写真右側)の付近(丸の内、大手町など)に超高層ビルが林立しています。



 戦災からたくましく上がり、奇跡の復興を成し遂げた東京を詳しく紹介する一方で、米軍機の空襲を中心とした地方都市の戦災についても内容の濃い展示がありました。私の準地元である前橋で起きた、全く罪のない民間人が500人以上も米軍の無差別爆撃の餌食にされた前橋空襲(昭和20年8月5日)も紹介されていました。



 前橋空襲の展示物一覧 
展示物には「前橋・・・焼失市街地にゆとりある都市空間を創造し発展」というタイトルが与えられていました。 




 前橋復興都市計画図
 昭和25年に
復興事業として前橋駅北口にケヤキ並木が植栽され、その後市内各所に広がり、前橋のシンボルとなっていったことなどが紹介されていました。



 米軍播布の伝単
 伝単の表には「日本國民に告ぐ」と題して、『あなたは自分や親兄弟友達の命を助けたいとは思ひませんか』で優しく始まるものの、実は地方都市への無差別爆撃を予告するという悪魔からのビラでした。



 米軍播布の伝単(拡大) 
米軍は攻撃対象として12の地方都市を指定。そのなかに前橋が含まれていました。なお、当時前橋には、軍用機の受注生産を行った中島飛行機の大工場が置かれていました。


 沖縄戦についても展示がありました。戦況を地図を用いて詳しく説明したところに国土地理院のこだわりを感じました。



 鉄血勤皇隊と女子学徒隊及び南部戦跡等 
沖縄本島の南部を拡大して描いた地図上に、当時の女子学徒隊の出身学校や海軍司令愚壕などの写真が刺し込まれていました。



 
アレアレ

 今回だけ誇り高き高校地理教師として一応専門領域である地図と地理について元気に語る予定でしたが、結局のところ、いつも通り大東亜戦争の話題に深入りしてしまいました   

 どうもスミマセン




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