まだまだあるゾ!アジア・太平洋地域の戦争遺跡


 昨日、ついに長編シリーズのパラオ探訪記(参照:
パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(50) ~ さらば!!我が良き友よ 編~
を書き終え、ホッと一息ついた私ですが、来年は再びアジア・太平洋地域に出掛けようと思います。白人国家の世界支配カルテルに反旗を翻し、同地域の解放・独立を実現するために戦って散華された日本の誇り高き先人たちに想いを寄せ、パラオ旅行と同様に戦争遺跡=先人たちの聖地の数々を自分の目で見て参ります
 
 ところで、その候補地として私が現時点で検討しているのは次の通りです。



1 サイパン島(北マリアナ諸島・米国自治領)昭和19(1944)年6月に連合軍が上陸した際、住民を巻き込んだ激しい戦闘が展開されました「バンザイクリフ」は追い詰められた日本兵や民間人が米軍の投降勧告に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)として有名です。
 


 大場栄陸軍大尉 サイパン島守備隊(第43師団)が玉砕した後も大場隊はタッポーチョ山を拠点にゲリラ化し、日本がポツダム宣言を受諾した後も遊撃戦を展開。平成23年に大場隊の戦いを描いた映画『太平洋の奇跡 ~フォックスと呼ばれた男~』が公開され、竹野内豊さんが大場役を演じました。写真は投降後の昭和20(1945)年12月に撮影されたものです(Wikipediaから転用)。

2 ガダルカナル島(ソロモン諸島):「帝国陸軍の墓場」と呼ばれる大東亜戦争の激戦地。戦闘よりむしろ飢餓や疾病で亡くなった日本軍将兵が多かったことから「餓島(ガトウ)」の異名をとります。合掌

3 真珠湾(ハワイ州オアフ島)言わずと知れた米海軍太平洋艦隊の根拠地。昭和16年12月8日(日本時間)、日本軍の奇襲攻撃という形で日米決戦の火蓋が切られた場所。この戦闘で前橋出身の岩佐直治海軍中佐を含む「九軍神」が甲標的による水中特攻で散華されました。なお、岩佐中佐のお墓は私の勤務先のすぐ近くのお寺さんに安置されています。 合掌


4 マバラカットとコレヒドール(フィリピン・ルソン島)マバラカットは神風特別攻撃隊誕生の地。コレヒドールはマニラ湾口に浮かぶ小島で、マニラ防衛上の重要拠点。マッカーサーがこの島から敵前逃亡したことで有名です


5  レイテ島(フィリピン):フィリピンの戦い (昭和19~20年)で散華された日本陸軍将兵はルソン島に次ぐ80557名に上り、全体の約24%に及びます。ただし、昨年の大災害の影響で旅行どころではなさそう・・・


6 九龍半島(香港)軍神」若林東一陸軍中尉が目覚ましい軍功を挙げ、短期間で香港を陥落させるきっかけをつくった場所です。終戦時まで日本軍が統治しました。ただし、個人的にシナはちょっと・・・


7 テニアン島(北マリアナ諸島・米国自治領)昭和20年8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下作戦の B-29 が発進した島として有名。大東亜戦争の当時、南洋諸島で最も大きな飛行場「バゴイ飛行場」が置かれました。

8  タラワ(キリバス)中部太平洋の環礁であり、キリバス共和国の首都が置かれています。あまり有名ではありませんが、大東亜戦争の激戦地の一つに数えられています。


9 アンガウル島(パラオ):再びパラオに出掛けた際にはぜひとも上陸したい島です。ペリリュー島の南に浮かび、高崎歩兵第15連隊第2大隊が死闘を展開し、玉砕したことで知られています。パラオ本島から遠く離れた、波の荒い外洋上にあるため、現地ツアーの対象外ですが、戦争遺跡の凄さはペリリューを凌ぐと言われています。



 以上、思いつくまま列挙させて頂きましたが、読者の皆さんのなかで、白髪磨人こと私にぜひ行かせてみたい国・地域(上掲も含む)がございましたら、コメント欄でご一報下さい。よろしくお願いします

 軍資金はたっぷりあるんだぜ フッフッフ・・・