頭デッカチの先生方を容赦なく薄っぺらい「歴史屋さん」と断じ、しかも考古学までこきおろした前回。何と!毒を11回も吐き出してしまいました

 
 今回は現地・現物観察至上主義にこだわる理由について、できる限り毒は抑え、ソフトなタッチで学生時代の思い出を交えながら論じさせて頂きます

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  続・私が現地・現物観察至上主義にこだわるわけとは?


 お世話になった3名の先生方


 自分で確かめないと気が済まない。そんな私の性格は、実は学生時代に培われたものでした


 私は当ブログで何度か自己紹介させて頂いたことがあるかもしれませんが、大学生は教育学部で学びました。そして、歴史が得意だった私は、なぜか地理学を専攻。そのきっかけについては後述させて頂きます


 ところで、大学で地理学を専攻した私は、3名の先生方にお世話になりました。年長のY先生は自然地理学、中堅のY先生は都市地理学・地理教育、若手のK先生は農業・農村地理学がそれぞれご専門でした。


 そして、3名に共通したのは、フィールドワーク(野外調査)への強いこだわり。それを私たち学生は徹底して叩き込まれました。つまり、地理学は他人が書いた本や論文を読んで楽しむだけの机上の学問ではない!自分で外に出て見聞を広めることで成り立つ、ダイナミックな学問であることを教えて頂きました。その研究姿勢は、地理学から離れて近現代史・戦史研究に傾倒している私ではありますが、不文律のバイブルのような価値を持っています


 まず年長のY先生は、「自然地理学」の講座で、「赤城山麓の微気候」を研究テーマとして設定。そして、寒暖の差を計る指標として桑園の桑の芽の生長状態を私たち学生に逐一調べさせました。

 それはそれは大がかりな調査でした。何しろ地理学を専攻した延べ20名の学生と10台の自動車(学生のマイカー)が動員され、春先の赤城山南麓に繰り出し、あちこちの桑園をくまなく調べ尽くしましたから ようやく調査を終え、大学に戻れた頃、すでに陽が落ちていたことを覚えています


 次は、教育学部社会科学科の必修科目「社会科教育法」の講座を担当された中堅のY先生。Y先生は、夏休みの宿題として「前橋崖線周辺の土地利用に関する景観的特徴」を現地での観察を通して明らかにするよう、学生全員にレポート提出を求めました。

 私たちは、酷暑の前橋市街地に繰り出し、カメラやメモ帳を手に右往左往しました。夏が終わった頃、同講座の受講生はみんな肌が黒々とよく焼けていました


 そして、私が師匠に仰いだのはK先生でした。K先生は、当時30歳になられたばかりでお若く、気さくな御方なので、学生たちから慕われていました。当時遊び捲っていた私にとって、この先生とならばウマが合いそうだと直感しました。そして、K先生からの誘いもあったため、もちろん断る理由も見当たらず、すんなりと門下生に加えて頂くことになりました


 K先生が私を誘って下さったときのお言葉。それは次の通りです。


 「ボクのとこ〈研究室〉ラクだから〈入ってね〉


 思い起こせば、K先生のこの軽い一言が私の人生を大きく左右しました。何しろ私は大学卒業後、今まで30年近くも地理教師を続けて参りましたから



 私の師匠、K先生の教え


 実際、K先生に師事させて頂いたところ、農業地理学にせよ、地理学野外調査にせよ、確かに成績は全てA(4段階評価の最高)の判子がもらえました。テストも簡単でした


 K先生は当時妙なことをよく口にされておられました。


 K先生「ボクは成績付けでAの判子しか押さない。だってボク、A以外の判子を持ってないんだもん」


 私たち「・・・(変わった先生だな。この人)」


 学生にとって実に有り難いお言葉。ただし・・・


 K先生が私たち学生に求めるフィールドワークの質と量は、決して半端ではありませんでした


 3年次、酷暑のなか、地理学野外実習を専攻した学生全員(20名前後)、昭和村の土地利用調査に2泊3日で出掛けました。宿泊地は沼田中心市街の青池旅館さんでした。


 調査に当たり、私たちは2人1組の班に分けられ、それぞれ古い空中写真の白黒コピーを渡されました。私たちの仕事の内容は、そのコピーに写し出された耕地片の模様を手掛かりとして、現在の農業的土地利用を2日がかりで調べ直すというものでした。


 K先生によれば、新旧の地形図の比較だけでは全然ダメなんです。なぜなら、農作物の種類までシビアに記録することが求められましたから。


 私が任されたのは片品川の河岸段丘の低位面から中位面にかけてでした。幸いにも最高美人のK子先輩とペアを組ませて頂いたお陰で、2日間は実に幸せな時間を過ごさせて頂きました。K子先輩はおそらく今、どこかの小・中学校で先生をされておられることでしょう。小柄でとにかく笑顔が可愛らしい女性でした


 オッと!話が脱線してしまいました。軌道修正致します


 なぜ、わざわざ農作物の種類にまでこだわるのか?


 当時いたいけな少年に過ぎなかった磨人くんは、そんな過酷な求めに対し、疑問すら抱きませんでした。つまり、先生が「やれ!」というからそのまま片付けただけでした。


 でも、後になってK先生のこだわりがよく理解できました

 つまり、地理学はフィールドワークこそ命なのです。 フィールドワークを通して初めて見えてくるものが確かにたくさんありました


 一例を挙げれば、低位面の土地利用は水利の関係で水田が支配的です。なかには、コンニャク芋畑に転換された水田も少なくありませんでした。なお、今でも昭和村は全国屈指のコンニャク芋の生産地です。


 そして、中位面ですが、次第に畑作が目立つようになります。その中心はやはりコンニャク芋でした。弱冠ホウレン草やレタスなどの野菜類もちらちら見られるようになります。

 さらに高位面になると水田は皆無で、専らレタスやアスパラガスなどの野菜類とコンニャク芋の栽培が卓越。典型的な高冷地農業が展開する赤城火山斜面へとその土地利用が連続して参ります。


 なかでも面白かったのは、自分が担当した中位面のあちこちにウドやタラノキなどの畑が見られた点。それらは主に低位面に展開する自給生産として稲作+商品作物としてのコンニャク芋栽培を営農の基本とする農業と、主に高位面や火山斜面に展開する都市向けの野菜をそれぞれ端境期に出荷することで成り立つ高冷地農業との境目に当たりました。つまり、ウドやタラノキの栽培は高冷地農業に準じた形で河岸段丘の高度差を活かしながら商品生産として見事に成立していました。 


 もちろん、野外実習に参加した学生全員に対し、K先生はAを与えました。でも、2日間とも暑くて暑くて大変でした。体調を崩した仲間もいましたから、A以外はありえませんでした


 でも、最も重要なのは、教科書や地形図だけでは読み取れない、味わえない地理学の楽しさをK先生から教えて頂いた点。その後も、群馬県内のあちこちに連れていかれ、土地利用調査だけではなく、農家の聴き取り調査など、フィールドワークに勤しみました


 以上のような大学時代の経験が今の私の研究姿勢の根本にあります。
私は、人文科学を掘り下げる一人の学徒として、研究分野が違えども、土地とそこで暮らす人から直接得られる情報こそ真に価値ある「知識」だと確信しています



 
  旧六合村赤岩地区の湯本家 湯本家は高野長英が潜伏したことで知られています。3年前にお邪魔させて頂き、現当主Sさん(写真右側)から長英が生活した部屋に案内して頂きました。そして、驚きと感動・・・それこそがフィールドワークの醍醐味でした。後日、機会があれば、当ブログでその模様を紹介させて頂きます。

 
 時には辛らつに頭デッカチの歴史屋さんをこき落とす過激な私。それは自分の研究姿勢を貫くための最大の防御でもあります。攻撃こそ最大の防御ですから。

 フィールドワークを大事にする研究姿勢。それだけはブレずに守り抜きます


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 2回にわたってお送りした本シリーズは以上です。


 いかがでしたか?読者の皆さんからご意見、ご感想をお待ち申し上げます。


 ご訪問頂き、ありがとうございました。