カーナビくん大忙し


 正造先生のお墓参りを終え、ねむの会が最後に目指したのは旧谷中村でした。なお、谷中村は足尾銅山鉱毒事件の際、渡良瀬遊水池の建設に伴って廃村に追い込まれた悲劇の村として知られています。


 もちろん、私は地理・歴史科教師ですから、谷中村が強制的に廃村に追い込まれた事実については知っていました。でも、それはただ単に「知っているつもり」の薄っぺらい知識に過ぎませんでした。やはり、フィールドワークを通して、自分の目や耳で見聞きし、自分の心で感じたものでない限り、所詮は気が抜けた炭酸ジュースのようなものなのです。


 つい、話が脱線してしまいがちですが、当ブログではフィールドワークを通した郷土史研究、近現代史研究の面白さを訪問者の皆さんにバリバリ紹介させて頂きます♪

 

 旧谷中村を探るため、渡良瀬遊水池内へのアプローチを試してみることにしました。


 まずは群馬県側からアピローチ。すると、たまたま旧谷中村内の無縁仏を祀った合同慰霊碑に到着しました。同所のPの傍らに立つ案内板によれば、確かに堤防の内側、すなわち遊水池の中央に村役場跡や雷電神社跡など、旧谷中村の面影がわずかに遺っていることが判明。しかも、反対側から車でそこまで行けそう・・・


 そこでVOXY君は再発進。そして、反時計回りに遊水池周辺を半周。その間、カーナビくんも大忙し。「ポーん、○○県に入りました」のアナウンスを何度も繰り返しました(笑)。大雑把に言えば、遊水池の西側は群馬、南側は埼玉、北・東側は栃木だが、実際の県境はもっと複雑に入り組んでいました。


 ようやくVOXY君は渡良瀬遊水池の反対側(東側)に回り、潜入を開始。地元の生活道をくぐり抜け、何とか堤防の傍まで辿り着きました。そして、VOXY君は一気に堤防をよじ登ったところ・・・


 「じぇじぇじぇ!通行止めかヨ!!」


 『ここより先進入禁止』と書かれたゲートにVOXY君は行く手を阻まれました。どうやら、9月の大型台風がもたらした大雨によって渡良瀬川水系が増水。遊水池内の水嵩が増したことで道路が水没してしまったようです。


 茫然自失状態の私たちねぬの会を横目に、ロードBIKEのお兄ちゃんが気持ち良さそうにペダルを踏んで通り過ぎて行きました。堤防上の小道が絶好のCYCLINGコースになっていて、自転車をRENTALするお店もありました。


 それでも諦めず、堤防の切れ目から前々に攻め込むVOXY君。その姿は、世界で初めてSUMPLE RETURNの快挙を成し遂げた小惑星探査機はやぶさのようでした。でも、増水の規模は大きく、ついに遊水池内への入口は全てゲートで封鎖されていることが確認できました(涙)。


 そして、VOXY君は結局、最初に立ち寄った合同慰霊碑のPへ。2時間以上もかけて遊水池周辺を一周してしまいました(苦笑)。


 作戦変更。VOXY君を休ませ、徒歩で一気に堤防をよじ登ると、そこには見晴らしの良い景色が広がっていました。果てしなく広がる関東平野。空も広い。そして辺り一面に広がる大湿原。極めて単調ではあるものの、癒やされる景色でした。


 そして、堤防の内側に眠る谷中村跡を目指し、果てしない大湿原のなかを歩き続けました・・・



 旧谷中村の遺構に立つ同志たち 渡良瀬遊水池内で平成23年9月23日撮影。合同慰霊碑のPから徒歩30分。渡良瀬遊水池のほぼ真ん中です。


 今回は以上です。ご訪問頂き、ありがとうございました。


 次回は、田中正造先生が生命を賭して守ろうとした谷中村の遺構の数々について、写真を交えながら紹介させて頂きます。乞うご期待!