何と!栗林大将の生家で現当主直高氏に出会う!!


期待に胸を大きく膨らませて入店させて頂いた「沙羅樹庵」さん。ところが・・・


やや気落ちした白髪磨人。それでも前々勝負の気持ちで、次の目的地、栗林大将のお墓が置かれている明徳寺さんを目指しました。

 なお、栗林大将は、同島に上陸した米軍と死闘を展開した日本軍の指揮官です。国内はもちろん、米国でも今なお評価が高い日本軍人の一人に数えられ、2006年に公開されたアメリカ映画『硫黄島からの手紙』の主人公として再び脚光を浴びました。


 カーナビ君任せで明徳寺さんに到着。松代郊外の山際に静かに佇むお寺でした。


 明徳寺 場所は長野市松代町豊栄地区です。大将のお墓のほかにも、武田信玄の有力な武将の一人として有名な高坂弾正のお墓もあります。写真は「中央線沿線 駅から駅まで ウォーク」さんのHPから引用させて頂きました。


 そして、車から降りて山門をくぐろうとしたところ、正面に『陸軍大将栗林忠道墓所』と大きく書かれた案内板を発見!たちまちと興奮状態のねむの会の面々。早速、山門をくぐり、左手の山裾に一際高く目立つ大将のお墓の前に向かいました。



 栗林大将のお墓 大将の遺骨が収められていないことは承知していますが、近現代史を見つめ直し、日本人としての誇りを取り戻そうと努める私たちにとって、栗林大将のお墓もまさに聖地なのです。合掌。(この写真も前掲のものと出典は同様です)


 お墓の正面に立ち、深々と頭を下げ、「同じ日本人として誇りに感じています。安らかにお眠り下さい」と合掌。


 ところで、こちらの寺には武田信玄の有力な武将であった高坂弾正のお墓もありました。


お墓参りをすませた私の脳裏には、事前研修で大将の生家がお寺の傍であることがよぎりました。折角ここまで出掛けてきたからには探し出すしかない・・・


 そこで、お墓参りを済ませた私たちは、山門下の学童保育施設で、栗林大将の生家の位置を尋ねました。どうやらすぐ近くにあるらしい(なお、後で判明したことですが、この学童保育こそ栗林大将が幼少時に通った西条小学校の跡地でした)。


 言われた通り、VOXY君は大将の家を目指す。すると、明徳寺とは反対側の山際に、20~30軒程の小集落にたどり着いた。どの家も『栗林』の表札を掲げていた。


 途中見掛けた老婦に場所を尋ねたものの、VOXY君はまた右往左往。すると、大将の家らしき場所に、小道に面した木造の古い建物を発見!(これが大将の生家か!?)


 確認のため、VOXY君を路傍に休ませ、その奥にあった新築の家の玄関先へ。そして、家の人を呼び出した。すると、家の奥から女性の声が・・・

「事前に連絡をもらえれば良かったのに」とやや不機嫌そうに玄関に現れた奥様(迷惑なのは当然。何しろアポなしですから)。実はこの御方こそが栗林大将の生家の現当主の奥様でした。


 早速私は強気に「そこの(古い木造の)建物が大将の生家ですか?」と尋ねたところ、「違います!そんなボロ屋に住んでいたはずありません。間違えないで下さい!!」とキツく叱られてしまいた(汗)。


 どうやら午睡のお邪魔をしてしまったようです。逆鱗に触れ、私たちは言葉を失って狼狽。その場から逃走をはかろうとしました。ところが・・・


 「ちょっと待って下さい!」


 奥様と呼び止められ、しばらく玄関先で待機。いい年した私たち4人ですが、まるで先生に叱られ、廊下に立たされた悪ガキのようでした(苦笑)。


 大将の生家の玄関先で気まずい空気が漂うなか、奥様が再び現れました。


 「こんなものですが、良かったらどうぞ!」


 何と!奥様はアポなしで突然お邪魔した私たちに冷たい牛乳を勧めてくれました(今まで飲んだ牛乳の中で最も旨かった!笑)。何ておおらかな方なのでしょう!私たちは感激してしまいました。


 ホッと胸を撫で下ろし、牛乳を一気に飲み干したとき、屋敷の奥から細身ではあるものの眼光の鋭い男性が現れました。その御方こそご主人で、大将の兄の孫に当たる栗林直高氏でした。


 突然の出来事に四人組はビックリ!直高氏は縁側に私たちを招き、大叔父忠道のことを静かに語り始めました・・・



次回は、栗林直高氏からお伺いしたお話の数々を紹介させて頂きます。


 ご訪問頂き、有難うございました。