ねむの会 川中島古戦場から松代大本営へ
平成22年7月下旬の猛暑日。ねむの会は満を持して信州松代へ。お目当ては川中島合戦で有名な武田氏の海津城(松代城)と松代大本営跡、そして栗林忠道陸軍大将のお墓参りでした。
VOXY君はねむの会四人組を乗せ、吾妻谷を遡上。鳥居峠を過ぎ、ようやく信州松代の市街地へ。あとはカーナビ君に案内を任せ、海津城にすんなり到着しました。
国指定史跡 海津城 戦国乱世で武田・上杉両軍の攻防の舞台となった名城です。
城は千曲川の河川敷に設けられた平城で、国の史跡に指定されています。天守閣は失われているものの、石垣や櫓門、内堀などが往時を偲ばせ、名城百選に名を連ねるだけのことはあります。
次に、松代市街の真田邸へ。ところが、当日修理中。引き返して松代大本営跡に向かいました。
再びカーナビ君の出番です。VOXY君は松代市街をどんどん離れ、辺りは小高い山々が迫ってきました(この山のどこかに(大本営が)掘られたんですかねえ・・・)。
VOXY君は右往左往したものの、何とか松代大本営跡(象山地下壕)に到着。狭い路地の行き詰まりにその入り口はありました。
松代大本営(象山地下壕入口) 写真はWikipediaから引用。
早速、入り口脇の資料館へ。長い顎ヒゲを生やした仙人のような顔立ちの男性係員の説明を受けました。一度見たら忘れられない顔。10㎝位ある長いヒゲ。まるで山羊のようでした(失礼!)。無精ヒゲの私は思わず脱帽!いや、ヘルメットを装着して洞窟の中へ突入・・・ 予想以上に壕内は広く、沖縄のガマのような低い天井とは全く異質のものでした。一般公開されているのは約500mの直線部分だけ。ほんの一部だけだそうです。
地下壕内部 予想外に広く、とても涼しかったです(写真はWikipediaから引用)。
大東亜戦争の末期、米軍機の空爆にさらされ、苦境に立たされた日本は、「神州不滅」にも通じる信州の山々の地下に大本営のほか、中央省庁、日本放送協会(NHK)などを東京から移設しようと考えました。そして、硬い岩盤を掘削し、米軍との本土決戦に備えようとしました。でも、昭和天皇は皇居を移すことに同意しなかったそうです。
硫黄島の戦いでも、栗林大将は上陸するであろう米軍に多大な損害を与えるため、島全体の地下要塞化を決定。持久戦を展開するために地下壕を縦横無尽に掘らせました。そのため、硫黄島に送られた兵士たちは来る日も来る日もキツい穴掘りの連続。米軍の接近に伴い、ようやく穴掘り作業が終了。誰もがホッとしました。敵と戦うことの方が、穴掘りよりも楽だったそうです。
この松代大本営の地下壕を掘る作業も、それと同様に相当ツラかった違いありません。先人たちの強靭な精神力に脱帽!(脱ヘルメットか?)
うどんは予約制!?信州松代「沙羅樹庵」さん
衝撃の地下壕見学を終え、昼食は近くの「沙羅樹庵」さんへ。予めネットで探したそば屋さんでしたが、MENUにうどんを置いているのでねむの会にとっては好都合でした。なぜなら、織平先生はそばアレルギーなのです。
店舗の佇まい 歴史の町松代にフィットした渋い外観です。
暖簾をくぐると「2階へどうぞ」と女将。早速、もりそばの大盛りを注文。もちろん、織平先生は満を持してうどんを注文。ところが・・・
すかさず「すみません。うどんは予約でお出ししております」と女将にキッパリ断られてしまいました。
おいおい、うどんは『予約』って?そりゃネーだろっ!(もちろん内心です)
どうやら、うどんの麺の在庫が切れている模様。
私は無駄な抵抗を避け、織平先生に謝罪。それでも織平先生はMENUを凝視し、「それじゃー、天ぷらとビールをお願いします」と周囲を気遣ってくれました。それ以来、織平先生が松代研修を天ぷらとビールで凌いだ事実がねむの会の伝説となりました(笑)。
織平先生に申し訳なさそうに、他の3人で出来上がりを早速手繰りました。
すると、麺は細めで、そばの香りがほんのり。まずまずの感じです。でも、肝心な麺のつながりがあまり良くありませんでした。つゆは辛目でしたが、だしのとり方が物足りない感じがしました(生意気ですみません!)。
こんなはずでは・・・
それでも優しいねむの会の仲間たち。食後、「旨かったヨ」と口を揃えてくれました。
ネット上では高評価の沙羅樹さんでしたが・・・
日頃そばを手繰り捲くっている私は騙されません!観光地周辺のそば屋さんに多いのですが、客の入りが良い休日にそばの質をわざと落とす。つまり、そば粉(小麦粉よりも高額)を節約するために、つなぎ粉として安価な小麦粉を多用するのです。そして、(前日に?)麺を大量に作り置き、忙しくなりそうな休日に備える・・・
これらは明らかに邪道です!そんなニセそばばかり打ち捲くるそば屋さんは要りません!そばが日本の誇るべき伝統的な食文化である以上、その良き継承者として誇りを持って欲しいと思います。
ところで、旨いそばを作るためには、「挽きたて、打ちたて、茹でたて」の≪三たて≫へのこだわりが欠かせません。こちらのそばは「打ちたて」ではないため、粉同士をつないでいたはずのグルテンが時間の経過で干乾びてしまい、せっかく細く長くつないだはずの麺が、ボイル時に鍋の中で激しくダンシング。その結果、粉々に千切れてしまったのです(私には全てお見通しです!)。
まさに因果応報。手を抜いた報い。そば道は、手抜きを一切許しません!茹で上がった麺の出来映えが全てなのです。製粉から製麺に至るまでの工程が全て正常に行われることで初めてそばは本来の強烈な個性を発揮し、手繰る者を真に悦ばせてくれるのです。
今回は、そばネタを長々と続けてしまいましたが、次回はいよいよ私が近現代史にのめり込む最大のきっかけとなった栗林家への訪問について紹介させて頂きます。
ご訪問頂き、有難うございました。