秩父事件に関わった無名の戦士たちを顕彰する石碑です。決起した秩父困民党の軍勢が集まった音楽寺境内に建てられています。当時は政府に逆らった「暴徒」とされ、処分された戦士の一族は厳しい差別にさらされました。
2 音楽寺から望む武甲山
音楽寺境内の高台から秩父市街を背景に撮影しました。さらに後背の山地は、セメント原料である石灰岩の産地として知られる武甲山です。総理の田代栄助をはじめ、ここで待機した困民党の軍勢もこれと同じ眺めを見たはずです。
3 音楽寺の鐘
秩父事件の際、困民党の軍勢はこの鐘を乱打してから一気に大宮郷(現・秩父中心市街)に向かったとされています。さすがに乱打することはできませんでした。
4 椋神社境内の「秩父事件百年の碑」
明治17(1884)年11月1日、秩父困民党の3000人を超す農民が武装蜂起した椋神社。その境内に秩父事件で挙兵した戦士たちの名誉回復を明記した顕彰碑が建てられています。立派な石碑に、地元民の秩父事件に寄せる想いの熱さを感じます。
5 椋神社境内のブロンズ像
秩父困民党に加わった人々は、政府に逆らった「暴徒」と
されため、その子孫は厳しい差別に苦しみました。この立派なブロンズ像は1984年、秩父事件100周年を記念して制作されたものです。秩父困民党復権のシンボルとされてます。
6 秩父困民党副総理加藤織平の生家
中央のお二人が、秩父困民党副総理加藤織平の曾孫に当たる加藤I男さんご夫妻です。自宅に御邪魔させて頂き、織平直筆の手紙を見せて頂いたり、『草の乱』撮影時に俳優の杉本哲太さんが自宅に訪問した時の話などを聞かせて頂きました。大感謝です!
7 秩父困民党副総理加藤織平の墓
秩父困民党副総理加藤織平の墓にお参りしました。織平は山里奥深い旧石間村の傾斜地に佇む加藤家の屋敷下の炉端に静かに眠っていました。合掌。
8 井上伝蔵の屋敷跡
井上伝蔵は、秩父事件を描いた映画『草の乱』の主人公です。俳優の緒方直人さんが好演しました。なお、伝蔵は欠席裁判で死刑判決を受けたもののし、ばらくは地元の知人宅に匿われ、その後単身で北海道に移住。再婚をし、子供ももうけています。大正7(1918)年に64歳で亡くなりますが、臨終の間際に自分が秩父事件の関係者だとて家族に告白しています。余談ですが、映画『草の乱』に私の職場の隣の先生はエキストラ(官憲に銃殺された戦士役)で参加したそうです。
[研修のまとめ]
本研修の最大の成果は、秩父困民党№2の加藤織平の生家を訪ね、曾孫のI男さんと直接お話しができたことでした。なお、I男さんは何と予科練出身!つまり文武ともに優れた超エリートでした(最敬礼!)。そして、織平や秩父事件の話はさておき、予科練の話の方に夢中になってしまいました(苦笑)。
昔のアルバムを取り出し、見せて下さった写真の数々。なかでもI男さんの「7つボタンに桜にいかり」姿は実に凛々しかった!曽祖父の織平だけではなく、現当主も凄かった!!
当時85歳。初めてお会いした時のように、屋敷下の日当たりの良いゲートボール場で近所の仲間といつまでも賑やかに過ごしておられることを願っています(つづく)。