ひげのブログ

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葉っぱ踏み踏み

横から出てきやがる

 

右折のウインカーを出しながら、直進する

 

停車中の車

 

ウインカーを出さずに発進する

 

左側のブレーキランプが切れている

 

日本郵便の配達車だった!!!

 

一時停止無視ですか(女性運転者)

 

一時停止無視ですか(患者返送者)

 

一時停止違反を取り締まり中

 

招き猫のはじまり(江戸時代)

最も有名なのは、江戸時代の寺にまつわる話です。

豪徳寺 の伝説

江戸時代、世田谷は、彦根藩の領地でした

明治初期の世田谷は、彦根がある長浜県の飛地だった

2代目藩主井伊直孝(1590-1659)が鷹狩の時、

住職の愛猫「たま」により雷雨を避けた伝説

幸運を招く「招き猫」の元祖とされている(諸説あり)

家内安全、商売繁盛、心願成就を願うとされている

 

👉 その恩から寺は栄え、猫は「福を招く存在」とされた

井伊直孝の戒名から「豪徳寺」となった

 

豪徳寺の招き猫は、「招福猫児」と呼ばれ、

小判を抱いていないのは招き入れるためとされる

様々な門や殿に招福猫児(まねぎねこ)を見つけることができます

 

 

「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」などの書物には

「豪徳寺」の項目に、猫や招き猫、招福猫児の文字はない

豪徳寺の招き猫は、いつから始まったのかが疑問で

東急世田谷線開通時(大正14年)に

観光客を集めるために作られたという伝説があるが

世田谷で焼き物があった話は何処にもないし、発掘もない

 

常滑で招き猫が作られるようになったのは1930年代後半で

豪徳寺の逸話を契機に、

「猫が手招きをして幸運を呼び込む」という信仰は全国に広まる

江戸後期から明治にかけて、

陶器で作られた招き猫が市中で販売されるようになり、

庶民の間で親しまれる存在となります

 

1600年代では、陶器で作られている物証はなく

近隣でも焼き物のある地域がありません

従って、豪徳寺の招き猫は早くても江戸後期である

 

大河ドラマ「直虎」で井伊家が注目されて、

井伊家の菩提寺だった豪徳寺がフォーカスされて

観光客が増えたとか招き猫の話が知られるようになった

海外のガイドブックから観光客も多くなった

 

 

現在での豪徳寺の招き猫は、

500円~7000円で販売されています

1年間自宅に置いて、1年後に招福殿に奉納して

新しい「招福猫児」を購入するようです

 

彦根藩の領地だったので、豪徳寺の招き猫が

「ひこにゃん」になった

浅草の今戸周辺では、
貧しい老婆が手放した猫が夢に現れ、

「私の姿を人形にして売れば救われる」

と言われたという伝説があります。

これが「招き猫人形」の始まりともされている

 

今戸神社に着きました

観光客は超まばらです

今戸焼の原点の神社です

 

 

招き猫の詩

「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」

 

本殿に参拝します

 

 

現在の今戸神社での招き猫は、

絵馬に託した「縁結び」になっていました

 

 

ところどころに招き猫が・・・・

(以前はもっとたくさん置いてあったのだが)

 

 

おまけ;

境内のさくらは、満開でした

 

神社帰りの言問橋からの東京スカイツリー