「モラハラパーソナリティから離れた〈被害者の心〉には、ぽっかりと大きな〈空洞〉

 ができます」

 

 「やがてガランとした居心地の悪さと空虚感が怖くなってきます」

 

 「悩むことに慣れてしまった心は、悩みごとを求めます」

 

 「・・被害者であった時の自分の方が、心が安定していたようにさえ思えてきます」

 

 「この空虚の時期に・・今の方がつらいのではないかと思って・・そんな時に、相手から、戻っ

 てくることを望んでいるかのようなコンタクトがあろうものなら、被害者は飛びついてしまいま

 す。そして・・やはり自分ひとりでは生きていけないと、これまで以上に思うようになるので

 す」

 

 「長い間被害者で居続けた人は、被害者で居続けることに落ち着きを見いだしてしまいま」

 す」『カウンセラー』

 

 

 父と話す。まだ三ヶ月入院と思っていた父は、正月には一旦、母を戻してくれ、と言った。私が、二ヶ月で退院できることを伝えると、嬉しそうであった。父は親戚以外の者には、母はA依存症で入院しているのではなく、孫の顔を見に、しばらく家を空けていると言っているらしかった。

 「家のこともあるから早く戻してくれ」

 と言った。家のこと?つまり体面である。母は以前、フルマラソンに参加するほどの元気があった。そこまで回復しなくとも良い、とのお達しである。以前、長期療養に賛成したではないか、母をそのように説得してくれ、と私が言うと、

 「お父さんは神様じゃない」

 先生の見解を話すと、

 「そこにいても同じだろ?完全には治らないだろ?」

 と、のたもうた。焦っているのだ。母の体より精神より、己の体面が大事なのだ。母自身が戻りたいのならしょうがない、とのことである。私は反吐が出そうになった。まるで母の自主性はいつでも重んじてきたような口ぶりに。自信に満ちた物言いに。

 

 

 「・・加害者にとって・・誰かと一緒にいるためには、相手のアイデンティティーを破壊し、自分

 と同一化させてしまわなければならないのである」

 

 「・・加害者が相手に影響を与える時・・相手の感情に訴えたり、弱いところをついたりして・・

 被害者は自主性を奪われている・・最初から自由に行動することができないのだ。しかも、

 自分が自由を奪われているとは思わない・・たとえ自分が望まないことをしていても、自発的

 にしていると思いこむ」

 

 「・・相手の意見や意向を認めず、相手を知的、精神的に服従させることだ。加害者はこの支

 配と服従の関係によって、相手から同意をひきだす。その裏には脅迫が隠されていることも

 ある・・被害者のほうは・・自分の考えを伝えることもできなくなってしまう」

 

 「・・(加害者が)相手を対等な人間と見なしていない証拠である」

 

 「この支配関係のなかで、被害者は心理的に束縛され、蜘蛛の巣に捕えられた獲物のよう

 に衰弱していく」

 

 「相手に自分の刻印を残す(たとえば、自分と同じ意見や好みを持たせる)」

 

 「加害者にとって、被害者は平等な権利を有する〈他人〉ではない・・ただひたすら自分に屈

 従する、そういった存在なのである」

 

 「被害者は・・加害者の基準にしたがって物を考え、その望みどおりに行動することを受け入

 れる。批判はいっさい許されない」『モラハラ』

 

 「被害者はまさに、個人の意思や価値観を一切認められない加害者の世界で生きることを

 強いられているのです」

 

 「・・モラハラの場合は・・自分の世界だけが絶対であると信じ、〈相手の人格・価値観〉など、

 すべての世界観を無視します」

 

 「モラハラパーソナリティは、後で問題が起こりそうであったり、決定する責任が重すぎたりす

 る場合、物事の決定を被害者に任せようとします・・自分の望む決定を被害者が下すように

 仕向けています」

 

 「〈どう思う?〉〈お前はどうしたい?〉と、あなたの考えを尋ね、尊重しているかのような言葉

 かけをしますが、あなたが自身の意見や選択肢を述べると、自分の思っていたものと違うと

 必ず否定します」

 

 「最終的には、あなたの意見・選択肢は、あなた自身のものではなく、相手の思い通りのも

 のになっているのです」

 「ただし、その決定によって不都合が生じれば、当然、あなたの責任とされます」『カウンセラ

 ー』

 

 「モラハラパーソナリティによって、相手視点の行動や決定をいつの間にか自分視点で決め

 ているように思わされるという誘導があったはずです」『モラ環』

 

 

 今回の入院に関して、失敗だったなと、妹と意見が一致したことの一つに、父と母の連絡を許したことがある。

 

 

 「〈俺が悪かった。もう二度としないから〉と、泣いて謝るモラハラパーソナリティさえいます。

 それは大人の計算された行動ではなく、子供がしているような本能的な行動です」

 

 「自分の力を取り戻そうとするあなたを、相手は敏感に察知し、それを阻止しようとします。そ

 のパワーはかなり強力なものになるはずです」

              

 「少しでも長い期間、攻撃にさらされない環境を得て・・なるべく相手と接触しないようにしま

 す・・相手は・・攻撃を緩め、あなたを引き戻すことに全力を注いできます」

 

 「再び自分のテリトリーに引き戻そうとする行動・・相手と接触を続けると、あなたは、相手を

 中心とした思考を展開せずにいられなくなります」『カウンセラー』

 

 「加害者は・・いつでも他人に責任を引き受けてもらう必要を感じている・・その結果、相手に

 しがみつき、別れることに恐怖を覚える・・だが、この関係を必要としているのは相手のほう

 だと考える」

 

 「・・自分が相手にしがみついているのに、相手が自分に依存しているように見える状態、そ

 ういった状態を求めているのである」『モラハラ』             

 

 

 私は強制的に母を残そうかとまで考えてみたが・・。

 

 

 「そもそも、被害者が依存的であったとしても、依存的な人なりの生き方の選択をする自由

 があります。依存的な生き方を否定し、修正していくことができるのは、それをやめたいと考

 える本人だけです。第三者に、その人がどう生きるかの選択を迫る権利はありません」『モラ

 環』

 

 

 ちなみに妹は、この頃にはさすがに母の説得をあきらめて、いったん戻してまた駄目なら今度こそ父も母もあきらめがつくのではないか、と話していた。私も徐々にその考えになり、最終的には母が決めることを尊重するが、と父に言うと、

 「そうか。お母さんが決めるか」

 との父の自信に満ちた物言いに、また眩暈がし、吐き気を催した。

 

 この頃、私は父に対してあなたは「モラオ」であると、電話で告げていた。そして本を贈るので、読んでくれと言った。どうせ読まないはずであった。

 

 「悲劇のヒロインぶってるようにしか見えない」                  

 と母に言ったことがある。その時は正直にそう思ったのだ。本当は、母が根本のところでは何を考えているのか掴めず、焦りと苛立ちが少しあったのだ。それに、母は長年のモラハラ攻撃により思考が閉じているのだと思っていた私は、母の怒りの感情を刺激してみようと少し思ってもいた。

 母は私や妹に怒りの感情を出すようになっていた。私はそれをよい兆候だと思っていた。しかしその怒りは学生時代の私のように、一向、父には向かないのだ。

 四十五年は、長い。                              

 

 

 「〈怒り〉は取り戻せたエネルギーでは決してありません・・怒らない人を怒らせようとすること

 は、支援者側の〈エネルギーを取り戻した被害者〉のイメージを押しつけてしまっていないか

 見つめてほしいと思います」『モラ環』

 

 

 数年前から実家では、父方の祖母の面倒を見ていた。施設に入ったり、出たりしながららしいが、とにかく大変らしく、父はそれでかなりイライラしているとのこと。母はそのストレスから酒量が増えたと思われる。否。根本問題は、父が母を人として平等に見ず、そのような話し合いができないからなのだ。ちなみに父も母も、長子である。責任感の押し付けに最適の材料として、使われているらしい。「長男の嫁」、「責任感」、「義務」等々。

 

 私は、自分にも関わることなので、

 「インナーチャイルド~本当のあなたを取り戻す方法」(以下、『インナー』)

 という本を購入し、読んでみた。いわゆる「アダルトチルドレン」(以下AC)ものである。

 私はこの本で自分が完全にACであると自覚した。

 そして父もまたそうであると。

 

 父は己の過去を語らない。私は父の若かりし頃の話を一切、聞いたことがない。

 

 

 「内部が空洞であるナルシシストは、まるで吸血鬼のように他人の実体を必要とする」

 

 「・・加害者は、他人という鏡のなかに自分の姿を空しく捜している、ただ像をつくりだす機械

 にすぎないのである」

 

 「加害者には本当の意味での感情がない・・したがって苦しみも感じない・・実体がないの

 で・・〈個人史〉を持つこともできない」『モラハラ』

 

 

 説得すればするほど母は頑なになる感じであった。しかしそれは、頑なに曖昧という感じであって、己の信ずる道を行く、という風でもなかった。迷っているなと私は思っていた。父には、母とあまり連絡を取らないでくれと、私も妹も話していたのだが、やはり電話はやメールはくるようであった。

 

 後悔先に立たず。

 

 さて、十二月も半ばになれば、いよいよ具体的に退院後のことを想定して話を勧めなければならない。まだ完全にあきらめていなかった私は、東京で母が私と住むことを前提に、新居探しも続けていた。

 何せフリーターの警備員である私の資金は限られているが、それでも目ぼしいところを見つけ、いつでも引っ越せる心の準備はしていた。病院の先生方も、ここに(関東圏か東京に)残る案を推してくれていた。

 

 「今、あの環境に戻ることは勧められない。もっと具体的な生活改善の案を提示して、息子さんや娘さんを説得しなさい。ただ戻る、では誰も納得できない」

 私は先生の、母に対する熱のこもった説得の言葉に感動した。

 母は、何かあれば逃げる場所はある、と言った。叔母の家や黒島の実家があると。

 先生は、長期が嫌なら半年とか三ヶ月と区切って、ここに残ったらどうかと提案した。そのあと帰るか残るか決めればよいと。

 母は曖昧に返事した。先生には強く言えないようであった。

 そして私には、帰って確認したいことがある、の一点張りなのだ。

 

 「なぜ私のわがままは聞いてくれないの」と逆切れ?もした。

 私はこのセリフに、長期間、己の感情を殺してきた人間の悲しい自虐的な自己主張を、捕らえられた動物の檻の中での抵抗を、羽をもがれた鳥の跳躍する姿勢を見た。

 父が見たらほくそ笑むであろうその箱の中のノミの姿は、四十五年という歳月の長さを物語り、よど号事件の犯人たちを思い出させ、もはや原爆を投下された怒りをアメリカに向けることのできなくなった我々自身の姿さえ、突きつけてくるのであった。

 

 日本なる母と、アメリカなる父。

 

 私は『モラハラ』や『カウンセラー』から得た知識で、とにかく母を酒のことで責めない、ということを周りにも伝えていた。母は犠牲者なのだ。母が上京した時、空港で出迎えた妹は、「今までお酒のことであれこれ言ってごめんね」と母に言ったらしい。その言葉に母は涙した、と後から聞いた。

 

 先生が、今戻れば九割方再飲酒すると言っていると父に伝えても、私が母と一緒に住むからしばらくここで療養させろと言っても、皆がこの案に賛成だと言っても、母を説得してくれと頼んでも、父は何やかやと賛成しないのであった。

 私は父に「その判断は狂ってる」と言った。

 父は「じゃあ、狂ってる人間とこれ以上喋るな!」と、怒鳴って電話を切った。これは妹もよくされることである。

 

 今さら自覚したことだが、父は私と対等な大人として話したことはない。父にはできない技なのだ。私は父のDNAを受け継いだものらしく、感情的なメールを送った。

 「人殺しの烙印を捺させるなよ。母は九割死んでいる。止めを刺すから戻ってこいと言っている。ことは全て公にする。密室ですませられると思うなよ」

 「あと、二度と母に電話するな!」

 

 すると深夜二時過ぎに返信がくる。

 「面白いなそこまで言うんだからよっぽど自信があるんだな、今後に全て責任持てるて言うことか?ならびに任せるよ。」(原文ママ)

 続いて早朝にも。

 「次、会う時はどちらかが死ぬな楽しみだね。待ってるから・・。」(原文ママ)

 

 六十五歳の父。四十一歳の息子。

 毎週のように親殺し子殺し、または夫殺し妻殺しのニュースが流れている。

 まったくもって身近なニュースだと感じる。果たしてあの家に母を戻して、一生後悔することになりはしまいか。

 

 母が、石垣島に帰ったら何かバイトでも探そう、選ばなければ何かあるはず、と、まったくの絵空事を空空しく語ったとき、私は母の説得を完全にあきらめた。妹の言うように、いったん帰って駄目なら母も父もあきらめがつくだろうと考えた。もっとも父が二度と母を手放すことは考えられず(今回は妹の勢いに押されたのだろうが、かなり焦っている様子がありありと伺えたので、二度と同じ過ち!は繰り返すまい)、母が自ら上京することを選択することはあるだろうか?今後何もなく平穏に暮らしていけばよいのだが、誰もそんなことは信じられず、おそらく本人たちもそうなのだ。

 

 

 「二人に間には相談がない。すべてが押しつけられたものなのだ。被害者は罠にかけられ、

 この暴力的な関係にひきずりこまれ、そこから抜けだすことができない」

 

 「加害者のほうは非難をいつでも外に向ける。被害者のほうは非難をいつでも自分に向け

 る」

 

 「・・被害者が事態をきちんと理解しはじめると、加害者にとって被害者は危険な存在になり

 はじめる。そうなったら、加害者は被害者を恐怖によって黙らせようとする」『モラハラ』

 

 

 むろん希望がゼロというわけでもない。私はいつでも引っ越せる準備はしていると母には伝えてあるし、母も様々な情報を得て以前とは対応が変わるであろうし、父もまた己の過去に立ち向かい、克服してくれるかもしれないのだ。

 その、かすかな希望は、捨てたくない。

 

 

 「・・ベトナム戦争など激しい戦場から帰ってきて戦争神経症にならなかったのは、モラルハ 

 ラスメントの加害者になるような人々だけである」

 

 「加害者は被害者にすべての責任を押しつけてしまうことによって、ストレスや苦しみから逃

 れる」『モラハラ』

 

 「・・加害者は、被害者が結婚生活にとまどっていても、困っていても、迷っていてもお構いな

 しに、自分の時間や価値観、生き方を尊重し続け、自分のイメージを押しつけ続けるので

 す」

 

 「モラハラパーソナリティは、〈自分の行為はモラハラという暴力であり、自分はその行為に

 依存して自分を守ろうとしているのだ〉と、なかなか自覚できません。自覚がなければ、克服

 はできません」

 

 「相手(加害者)は自分の間違いや矛盾を認めません」

 

 「彼ら(加害者)は自分を省みず、自分のその行動に対する理由を見つめようとは決してしま

 せん。そして、変わりたいと思いません」

 

 「長い間、心の問題と向き合わず避けてきたモラハラパーソナリティが、これまで放置してき

 た多くの問題に、いまさら向き合うはずがありません」

 

 「本当の自分を認めるくらいなら、偽りのイメージの世界に生き続け・・その世界を守る手段

 であるモラハラは、いくらでも肯定する材料が手に入ります」『カウンセラー』

 

 

 兄のこと。愛知県に住む兄は、今回の件に関してというより、両親の動向にほぼ無関心である。両親が死んでもたぶん俺は悲しまないだろうと話したこともあるという。そして私は、兄は否定するかもしれないが、その気持ちがよくわかる。よくわかるのだ。当然だと思っている。家族の中で一番傷を負っているのは兄なのだ。

 私との関係、それを修復しようともしない父、兄はまるで長男としての敬意を払われず、相応の愛情も受けず、「世の中には必要のない人間もいる」という父のありがたい言葉を受けて家を出た。私には未だ、兄が犯罪者になっていないことが奇跡のように思える。

 

 兄との会話で印象に残っているものがある。今回の騒動に関してだが、

「母は昔から立ち位置不鮮明だったしな」と言うのだ。これもよくわかる。母は子供たちとの接し方について明らかに迷っていた。父のやり方に公然と反対はできないのだ。父を信じて、目をつぶって流れに身をまかせたのだ。結果、兄の心は遠いところへ行った。当然である。私は兄に対していた態度を一生、懺悔しなければならない。

 

 

 「モラハラ環境で育つ子どもたちは、被害親が、自分らしい親のあり方を見せることができず

 に加害親中心の生活を送るため、本当の親とはどういうものかを知らずに育つことになりま

 す」『カウンセラー』

 

 「モラハラパーソナリティにコントロールされ、自分らしく子どもに接することができなくなって

 いる被害者側の親の態度は、子どもにとっては安心して甘えて身をゆだねることができない

 存在として映ります」

 

 「モラハラ環境にある子どもは、無条件に愛され、すべてを受け止めて貰うという経験をしま

 せん」

 

 「モラハラパーソナリティは、自分の振るまいが子どもを傷つけていることに当然気づきませ

 んし気づこうとしません・・」『モラ環』

 

 「嫉妬や不和の種を蒔き、人を争わせる・・加害者が得意とすることだ・・それとなく人の悪口

 を言う・・誰かが言っていたことを暴露する。時には噓をついてまで人を争わせる・・」

 

 「・・加害者にとって、自分の力によって誰かが破滅するのを見るのは至上の喜びである。戦

 いに疲れてぼろぼろになった二人を見ると、自分が絶対的な力を持ったような気がするの

 だ」『モラハラ』

 

 

 十二月末、娘連れの妹が母の退院に立会い、私は途中で合流し、皆で羽田空港へ向かう。

 空港内の食堂で食事をして、母は直行便で石垣への帰途についた。飲酒の危険を顧みず、我々が納得する材料も提示せずの母であったが、唯一説得力のある言葉を一週間前、私に言った。曰く、

 「(父方の)祖母の面倒はもう見ない」

 とのことであった。こういう具体的な提示を出し続けることができれば、何とかやれるのではないかと私は期待した。何より以前の母と違い、今は関東圏(妹)や東京(私)にも逃げ場所があると知っているし、モラハラのことも知っている。今回の件は大方のいとこや親戚も知っている。これで何とかいけるのではないかと・・。

 

 母が帰ったあと、こちらから連絡しない限り母から連絡がくることはない。むろん父からもこない。病院の先生の話しや、A依存症の本を読んだ限りでは、母が完全にアルコールを絶つことは難しいと知ってはいた。そして二人きりの家で、父と母がどのような会話を交わしているか、もっと言えば、父が母にどのような態度で接し、いかなる言葉をかけているか、母が話さない限り永遠にわからないのだ。

 

 年が明けて何度か母と電話で話した。妹もよく言うのだが、変なテンションで明らかに飲酒の形跡を残したまま、話すことがある。どのような話の流れだったか、母と口論になった時もある。穏やかに爽やかに話し終える時もある。

 

 ほどなくして母の問題行動?が伝わってくる。泣きたくなるが以前ほどは落ち込まない。この件で父と話す。やはり東京で私と住んで、通院すればよいではないかと。あれほど言ったのに何の根拠もなく反対し、何の根拠もなく母を見る自信があると言い、そしてあっさりと元の木阿弥であると。そして予想通り、父は怒鳴り散らすのだ。                       

 「そっちに行ってもどうせ昼間、酒飲むぞ!」

 「じゃあ、今すぐそっちに送るからお前が責任持って面倒見れ!」

 「今、どうするかお母さんと相談してる!」

 

 俺のせいじゃない!俺のせいじゃない!俺のせいじゃない!父の言いたいことはそれだけである。最善と思われる案を、何の検討もせず、己の下卑た感情にまかせて母を戻させたくせに、その責任は相変わらず一ミリも感じていないご様子。

 己の妻がこうなっている、明らかに周りの者に迷惑と心配をかけている、ということに罪悪感、羞恥心、憐憫の情、後悔、同情など、あらゆる感情が感じられない。批判者を寄せ付けず、裸の王様な状態になっているのにどうしても自分を省みることができないのだ。母と子供たちを「連帯」させるものかという意志も感じる。

        

 石垣島という小さな島で、擬似王国でも造りたかったのか?

 独裁者に憧れていたのか?

 

 私も兄も、「喜ばせ組」にはならなかった。父の最期はリア王のごとくであろうか?

 そしてその前に、すでに内臓が相当悪くなっている母は無事だろうか。今のところ、自分の意思で再び上京してくる様子はない。もはや命に関わるレベルのはずだが父の切迫感は感じられない。

 そんな父は三月末で定年退職した。母の状態は変わらずよろしくない。妹や私にも電話口で怒り、電話を切ることもあった。そして父を擁護する発言をするのだ。

 

 私なりに考える。母だって四十六年に及ぶ結婚生活が失敗だったと、今さら考えたくないはずだ。母の入院時に私は、もはや完全に洗脳された状態でそこから自力では抜けれないのだとも考えた。たかだか二ヶ月離れたくらいでは、と。

 しかし、最近ではやはりこう思える。以前から妹や叔母との話でも出てきた言葉であるが、それは「復讐」である。母は「言葉の通じない父」に、全身で、命がけで「復讐」している。

 

 父は我々子供たちに最低限の「社会的」言葉はかけた。世間からみてまともな親であると思われる、とおそらく父本人が思っている言葉であり、その「衣」を被せつつ、しかし「全身」で己の価値観を家族全員に押し付けていたのだ。「言葉」で世間に対する予防線を張り、「態度」でそれを否定する。いざとなれば「暴力」という武器もある。

 

 しかして子供たちは父の「悪意」を自覚することなく、ほぼ「無意識」に父と離れた。ただの頑固親父くらいに思っていたのだ。そして母が取り残された。父の「悪意」に一人で対峙してきた母はどうしたか?

 

 頑張ったのだ。それでも頑張って父を支えようとしてきたのだ。そして父は母の頑張りに報いることはなかった。母は父に言葉では勝てない。恐怖もある。だから表面上は父のやり方、言い方を踏襲し、模倣する。習い性になっているのだ。

 そしてここからが私には判別がつかないのだが、意識的にか無意識的にか、母は父に抵抗しだしたのだ。もしくはもはや無意識に父のやり方に従う己の行動に抵抗したのかもしれない。

 母の本音がどこにあるか?本人にもわからないかもしれない。

 父には変わらず従順な態度なのだろう。しかし、酒を飲むのだ。何を言われようと、されようと、酔っていれば怖くない。父の評判も下がる。困らせたい。もっと困らせたい。話し合えば、負ける。従順にしていればよい。口では頑張ると言えばよい、父を擁護し、喜ばせる発言をすればよい、入院したくないと泣けばよい。そして酒を飲むのだ。

 

 これらすべて「復讐」であると考えれば私的には納得できる。いくら父と話しても、父は己を変えないし、変われないし、一生涯変わらない、ということに母はとうの昔に絶望し、「今さら」ではなく、「前から」言葉によらない「態度」での復讐に舵を切ったのだ。

 そのやり方の基礎は長年父から学んだのだ。長年苦しんできた、言葉と態度の「不一致」、これがどれだけ相手を混乱させ、不安にさせるか母は身をもって知っている。今、それを復讐の材料に、命をかけて「実験」しているのだ。

 

 せっかく「外」に出れたのに、なぜ「籠の中」に戻りたがったのか、「確認したいことがある」とは何なのか、そう考えると腑に落ちるのだ。どこまで意識的なのかは誰にもわからない。おそらく母はこのやり方に「手応え」を感じたのかもしれない。言葉ではびくともしなかった父が、少しでも困る方法を見出したと。四十六年の恨み辛みをすべてこれで表現しようとしているのかもしれない。

 

 父はこれが自分に対する復讐だとは認識しない。できない。仮にしたとしても、今度は母がその「話し合い」には応じない。「否定」するであろう。もっとも父は、そんな母でさえ、攻撃の材料とし、冷めた目で見下ろしている姿は容易に想像できるのだ。

 他の点では母は従順かもしれない。しかし「飲酒」という自堕落な行為を捨て去ることはできない。これ以外の方法はないのだ。いくら父が母を詰っても、母はアル中だと回りに吹聴しても、母は困らない。酔えば何も怖くない。父は真剣に手を打とうとはしていない。兄に言わせると「母が死んで、父に保険金が入れば、父は万々歳なんじゃないの」

 もはや袋小路のこの夫婦をどうすれば救えるのだろう。

 

 以上、「復讐」の部分は私の浅はかな想像である。これらすべてが私の思い違い、勘違い、的外れな妄想であり、私はピエロのごとく煩悶し、一人相撲で喜んでいたのだ・・となれば最良の結末なのだけれど、事実母はA依存症で、今現在も完全に酒は辞められず、父もそれを止められず(止めず?)、相談する専門医も少数で、断酒会にも通わず・・これが2017年、4月現在の状況である。

 

 このような文章をなぜブログに書くのか?                    

モラハラに限らず犯罪は密室で進行することが多いであろうから、できるだけ密室な「空気」にしないための「半公開」であり、もし母が父に復讐したいのなら、こうやって公的に情報を晒すことが父にはダメージであろうから、少しでもその「復讐心」を和らげたいと思ったからであり、もしも我々と同じような境遇にある人たちがいれば、世の中にはモラハラという行為があり、それを実践している人がいますよ、その影響下にあった家族はこうなりますよ、というモデルとして知ってもらい、参考にしてもらえればなと考えたためであり、そして何よりも、私自身のためなのです。 

         

 ブログ公開は、私の父に対する反抗であり、「復讐」なのです。親に愛されたいと願う子どもの心に応えてくれず、むしろ踏みにじってきた父に対する、ささやかな、復讐。

 

 今回の一連の件(まだ終わってませんが)、発端は母の行動からですが、幼い頃から私の中で渦巻いていた感情が整理整頓され、そういうことだったのかと、腑に落ちる点を多々、発見できたのは思わぬ副産物でした。

 ずっとほっておくつもりであった、父という違和感。二十代前半から精神分析関連の本は少し読んでいたのに、なぜ、今までそこに目が向かなかったのか、というくらいの収穫が、あったのです。目をそらしていた現実が。心の奥底に抑圧していた感情が。

 

 私はその昔、兄を憎み、殺したかったのではなく、父を憎み、殺したかったのだ。

 

 

 最後に、この父と母を知る人にお願いがあるのです。

 

 石垣島の皆様へ。

 お願いします。父と母と関わりを持ってください。父母と同級生だった方たちも結構いると思います。疎遠かもしれませんが、できるだけ我が家に顔を出し、特に母と会話し、勇気づけてあげて下さい。味方になってあげて下さい。我が家を牢獄のような密室にしないであげて下さい。母は本来、気立てがよくて優しくて、若い頃は一年だけですが学校の先生をしたこともあるほど聡明な人です。やや内向的ですが愛想が良くて、気配りができて、人の文句は言わず、地道に頑張る人で、フルマラソンも完走したし、花や植物が好きで、読書が好きな繊細な人です。我が家を殺風景な牢獄にしないように頑張ってきた一輪の花なのです。このまま枯れて欲しくないのです。

 皆さん。我が家を訪ねて下さい。母と知り合いになって下さい。

 そして一緒に酒を、もとい、お茶を飲んで下さい。

 出来の悪い息子たちには電話やメールをする以外に今は手立てがありません。

 誠に勝手で不遜ながら、今は皆さんの善意に、友好の気持ちに甘えるほかありません。

 2017年、平成29年、今年で四十二歳になる私、地べたに頭をつけ、心から、お願い致します。

 

 

 

 一昨年の十月、島を訪れた際に感じた家の中の雰囲気と、空の青さ、雲の白さのコントラスト。家の中の雰囲気は父の内面である。洞窟に咲いた花は、光が当たらず、枯れるのみなのでしょうか。

 

  この続きは、またいづれ・・。