夏目漱石 彼岸過迄
彼岸過迄
夏目漱石
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)身体《からだ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長い間|抑《おさ》えられたものが
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+蝶のつくり」、第3水準1-87-56]
-------------------------------------------------------
彼岸過迄に就て
事実を読者の前に告白すると、去年の八月頃すでに自分の小説を紙上に連載すべきはずだったのである。ところが余り暑い盛りに大患後の身体《からだ》をぶっ通《とお》しに使うのはどんなものだろうという親切な心配をしてくれる人が出て来たので、それを好《い》い機会《しお》に、なお二箇月の暇を貪《むさぼ》ることにとりきめて貰ったのが原《もと》で、とうとうその二箇月が過去った十月にも筆を執《と》らず、十一十二もつい紙上へは杳《よう》たる有様で暮してしまった。自分の当然やるべき仕事が、こういう風に、崩《くず》れた波の崩れながら伝わって行くような具合で、ただだらしなく延びるのはけっして心持の好いものではない。
歳の改まる元旦から、いよいよ事始める緒口《いとぐち》を開くように事がきまった時は、長い間|抑《おさ》えられたものが伸びる時の楽《たのしみ》よりは、背中に背負《しょわ》された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉《うれ》しかった。けれども長い間|抛《ほう》り出しておいたこの義務を、どうしたら例《いつも》よりも手際《てぎわ》よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない。
久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければすまないという気がいくらかある。それに自分の健康状態やらその他の事情に対して寛容の精神に充《み》ちた取り扱い方をしてくれた社友の好意だの、また自分の書くものを毎日日課のようにして読んでくれる読者の好意だのに、酬《むく》いなくてはすまないという心持がだいぶつけ加わって来る。で、どうかして旨《うま》いものができるようにと念じている。けれどもただ念力だけでは作物《さくぶつ》のできばえを左右する訳にはどうしたって行きっこない、いくら佳《い》いものをと思っても、思うようになるかならないか自分にさえ予言のできかねるのが述作の常であるから、今度こそは長い間休んだ埋合《うめあわ》せをするつもりであると公言する勇気が出ない。そこに一種の苦痛が潜《ひそ》んでいるのである。
この作を公《おおやけ》にするにあたって、自分はただ以上の事だけを言っておきたい気がする。作の性質だの、作物に対する自己の見識だの主張だのは今述べる必要を認めていない。実をいうと自分は自然派の作家でもなければ象徴派の作家でもない。近頃しばしば耳にするネオ浪漫派《ローマンは》の作家ではなおさらない。自分はこれらの主義を高く標榜《ひょうぼう》して路傍《ろぼう》の人の注意を惹《ひ》くほどに、自分の作物が固定した色に染つけられているという自信を持ち得ぬものである。またそんな自信を不必要とするものである。ただ自分は自分であるという信念を持っている。そうして自分が自分である以上は、自然派でなかろうが、象徴派でなかろうが、ないしネオのつく浪漫派でなかろうが全く構わないつもりである。
自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴《ふいちょう》する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。
自分はすべて文壇に濫用《らんよう》される空疎な流行語を藉《か》りて自分の作物の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒気《げんき》があって自分以上を装《よそお》うようなものができたりして、読者にすまない結果を齎《もたら》すのを恐れるだけである。
東京大阪を通じて計算すると、吾《わが》朝日新聞の購読者は実に何十万という多数に上っている。その内で自分の作物《さくぶつ》を読んでくれる人は何人あるか知らないが、その何人かの大部分はおそらく文壇の裏通りも露路《ろじ》も覗《のぞ》いた経験はあるまい。全くただの人間として大自然の空気を真率《しんそつ》に呼吸しつつ穏当に生息しているだけだろうと思う。自分はこれらの教育あるかつ尋常なる士人の前にわが作物を公《おおやけ》にし得る自分を幸福と信じている。
「彼岸過迄《ひがんすぎまで》」というのは元日から始めて、彼岸過まで書く予定だから単にそう名づけたまでに過ぎない実は空《むな》しい標題《みだし》である。かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持《じ》していた。が、ついそれを試みる機会もなくて今日《こんにち》まで過ぎたのであるから、もし自分の手際《てぎわ》が許すならばこの「彼岸過迄」をかねての思わく通りに作り上げたいと考えている。けれども小説は建築家の図面と違って、いくら下手でも活動と発展を含まない訳に行かないので、たとい自分が作るとは云いながら、自分の計画通りに進行しかねる場合がよく起って来るのは、普通の実世間において吾々の企《くわだ》てが意外の障害を受けて予期のごとくに纏《まと》まらないのと一般である。したがってこれはずっと書進んで見ないとちょっと分らない全く未来に属する問題かも知れない。けれどもよし旨《うま》く行かなくっても、離れるともつくとも片《かた》のつかない短篇が続くだけの事だろうとは予想できる。自分はそれでも差支《さしつか》えなかろうと思っている。
[#地から2字上げ](明治四十五年一月此作を朝日新聞に公けにしたる時の緒言)
風呂の後
一
敬太郎《けいたろう》はそれほど験《げん》の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気《いやき》が注《さ》して来た。元々|頑丈《がんじょう》にできた身体《からだ》だから単に馳《か》け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸《かか》ったなり居据《いすわ》って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端《とたん》にすぽりと外《はず》れたりする反間《へま》が度重《たびかさ》なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。で、今夜は少し癪《しゃく》も手伝って、飲みたくもない麦酒《ビール》をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁《かいかつ》な気分を自分と誘《いざな》って見た。けれどもいつまで経《た》っても、ことさらに借着をして陽気がろうとする自覚が退《の》かないので、しまいに下女を呼んで、そこいらを片づけさした。下女は敬太郎の顔を見て、「まあ田川さん」と云ったが、その後《あと》からまた「本当にまあ」とつけ足した。敬太郎は自分の顔を撫《な》でながら、「赤いだろう。こんな好い色をいつまでも電灯に照らしておくのはもったいないから、もう寝るんだ。ついでに床を取ってくれ」と云って、下女がまだ何かやり返そうとするのをわざと外《はず》して廊下へ出た。そうして便所から帰って夜具の中に潜《もぐ》り込む時、まあ当分休養する事にするんだと口の内で呟《つぶや》いた。
六
二十二
四
十
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇《ボート》を漕《こ》ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極《きわ》めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖《こわ》いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚《びっくり》して見せる科《しな》が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋《つな》いである和船に向って、船頭はん、その船|空《あ》いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走《ごちそう》を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒《ビール》だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心《かんじん》の御客はよほど威勢のいい男で、遥《はる》か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸《くろはだか》の浦の子僧を一人|生捕《いけど》っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根《こん》かぎりの大きな声で、阿呆《あほう》と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕《こ》ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇《ものずき》だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠《しょうこ》なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭《いと》わなくなったのも、つまりは考えずに観《み》るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已《や》まないのです。白帆《しらほ》が雲のごとく簇《むらが》って淡路島《あわじしま》の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸《ひとまる》の社《やしろ》があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑《ひま》があったらついでだから行って見ようと思います」
結末
敬太郎《けいたろう》の冒険は物語に始まって物語に終った。彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。近頃は眼の前に見える。けれども彼はついにその中に這入《はい》って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪《たんぼう》に過ぎなかった。
彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。けれどもその断片は輪廓《りんかく》と表面から成る極《きわ》めて浅いものであった。したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充《み》ちた彼の頭に吹き込んだだけである。けれども彼の頭の中の隙間《すきま》が、瓦斯《ガス》に似た冒険|譚《だん》で膨脹《ぼうちょう》した奥に、彼は人間としての森本の面影《おもかげ》を、夢現《ゆめうつつ》のごとく見る事を得た。そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺《なが》めているかを少し知った。同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。彼は親しい社会的関係によって繋《つな》がれていながら、まるで毛色の異《こと》なったこの二人の対照を胸に据《す》えて、幾分か己《おの》れの世間的経験が広くなったような心持がした。けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
彼は千代子という女性《にょしょう》の口を通して幼児の死を聞いた。千代子によって叙《じょ》せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画《え》を見るようなところに、彼の快感を惹《ひ》いた。けれどもその快感のうちには涙が交っていた。苦痛を逃《のが》れるために已《やむ》を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱《いだ》いていたい意味から出る涙が交《まじ》っていた。彼は独身ものであった。小児に対する同情は極めて乏しかった。それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐《あわ》れであった。彼は雛祭《ひなまつり》の宵《よい》に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐《かれん》に聞いた。
彼は須永《すなが》の口から一調子《ひとちょうし》狂った母子《おやこ》の関係を聞かされて驚ろいた。彼も国元に一人の母を有《も》つ身であった。けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果《いんが》に纏綿《てんめん》されていなかった。彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。同時に親子の間は平凡なものと諦《あき》らめていた。より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟《ひっきょう》夫婦として作られたものか、朋友《ほうゆう》として存在すべきものか、もしくは敵《かたき》として睨《にら》み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆《か》って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜《くわ》えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委《くわ》しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審《つまび》らかにした。
顧《かえり》みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日《こんにち》までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖《ステッキ》を大事そうに突いて、電車から下りる霜降《しもふり》の外套《がいとう》を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後《あと》を跟《つ》けたくらいのものである。それも今になって記憶の台に載《の》せて眺《なが》めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯《じぎ》であった。彼はそれがために位地《いち》にありつく事はできた。けれども人間の経験としては滑稽《こっけい》の意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目《まじめ》な、行動に過ぎなかった。
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席《いくせき》かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々《ぜんぜん》深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入《はい》れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇《へび》の頭を呪《のろ》い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転《るてん》して行くだろうかを考えた。
底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年3月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月から1972(昭和47)年1月
※疑問箇所は、新潮文庫、角川文庫の両方で確認できたもののみを修正し、注記した。
入力:柴田卓治
校正:伊藤時也
1999年9月18日公開
2004年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/
)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
Google【高大連携情報誌(調べもの新聞) 夏目漱石 彼岸過迄】=2010-6-18
検索オプション約 209 件 (0.41 秒) 検索結果
坂口安吾とは - はてなキーワード
坂口安吾に関する求人情報. [求人] epis Education Centre への正社員転職募集内容:香港を舞台に活躍! .... 2010-06-06. 『彼岸過迄』夏目漱石 · my beds on fire ... Twitter=調べもの新聞 Google[ 高大連携情報... waseda717の日記 · Google[ 高大連携情報誌 高校生クイズ 小田原評定] ... waseda717の日記 ...
d.hatena.ne.jp/keyword/坂口安吾 - キャッシュ - 類似ページ
小田高図書館へ! あなたの?をここで解決! - waseda717の日記
2010年3月27日 ... 高大連携情報誌 調べもの新聞. 【ブログ=穴埋め・論述問題】. 小田高図書館へ! あなたの?をここで解決! 利用案内 開館カレンダー 開館時間 ..... 先生 B9-ナ- 彼岸過迄 夏目漱石 新潮社. 先生 B9-ナ- 文鳥・夢十夜 夏目漱石 新潮社 ...
d.hatena.ne.jp/waseda717/20100327/1269669447?sid... - キャッシュ
d.hatena.ne.jp からの検索結果 »
nakamurayoshio6113のブログ : 『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目 ...
高大連携情報誌 調べもの新聞 【ブログ=穴埋め・論述問題】. 夢十夜『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目漱石著の .... 坊つちやん - 草枕 - 二百十日 - 野分 - 虞美人草 - 坑夫 - 三四郎 - それから - 門 - 彼岸過迄 - 行人 - こゝろ - 道草 - 明暗 ...
blog.livedoor.jp/.../archives/50900200.html - キャッシュ - 類似ページ
nakamurayoshio6113のブログ : 2009年09月
2010年6月11日 ... 高大連携情報誌 調べもの新聞 【ブログ=穴埋め・論述問題】. 夢十夜『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、夏目漱石著の .... 草枕 - 二百十日 - 野分 - 虞美人草 - 坑夫 - 三四郎 - それから - 門 - 彼岸過迄 - 行人 - こゝろ - 道草 - 明暗 ...
blog.livedoor.jp/nakamurayoshio6113/archives/2009-09.html?p... - キャッシュ
まとめて知識検索 - 教えて!goo
夏目漱石の『彼岸過迄』が出題されたのが意外。漢文は 良問との声が多い。 ■123点(代ゼミ) 121点(河合) 119点(駿台 . ... 高大連携情報誌 調べもの新聞 【ブログ=穴埋め・論述問題】夢十夜『夢十夜』(ゆめ じゅうや)は、夏目漱石著の小説。1908 ...
oshiete.goo.ne.jp/search_cse/?&... - キャッシュ
【彼岸過迄】2008年1月19日に実施された大学入試センター試験の国語の本試験に出題された。
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
【彼岸過迄】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
ウィキポータル 文学
『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)は、夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載され、同年に春陽堂から刊行された。
「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。後期3部作の第1作である。
目次 [非表示]
1 作品解説
2 あらすじ
3 関係図
4 作品の利用・引用
5 外部リンク
6 注釈
作品解説 [編集]
漱石は1910年の夏に病を悪化させ、危篤状態になった(修善寺の大患)。この1年半ののちに「彼岸過迄」の連載が始まったのだが、漱石は連載開始に当たり、初日(1月1日)に、「彼岸過迄に就て」という題の序文を発表している。これによれば、長く休んだために面白いものを書かなくてはいけないと感じているとしている。また、「彼岸過迄」という題名は、元日から始めて彼岸過ぎまで書くつもりだったので名づけたことがわかる。
漱石は修善寺の大患のほかにも、発表前年の11月に、生後2年の五女ひな子が死亡している。また、江藤淳は漱石がこの時期に文壇で孤立化していたと指摘している[1]。「彼岸過迄」は、序文にある通り、数本の短編が集まって一つの長編を構成する、という手法が採られている。これは「吾輩は猫である」と同じ構成であるため、柄谷行人はこれを漱石が原点回帰を図った作品であると指摘している[2]。
--------------------------------------------------------------------------------
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
--------------------------------------------------------------------------------
あらすじ [編集]
地方から出てきて、大学を卒業したばかりの敬太郎は、就職活動に奔走し、苦労の末友人である須永の叔父の世話でやっと地位を得ることができた。その縁故で須永や彼の叔父、従妹の千代子とも親しくなるが、元来好奇心が強い彼は須永と千代子がただならぬ仲であることを感じる。やがて、須永や彼のもう一人の叔父、松本の話を聞きだすことができた。
目次
彼岸過迄に就いて
風呂の後
停留場
報告
雨の降る日
須永の話
松本の話
結末
関係図 [編集]
父(死去)┳母━━━━━━━妹(田口夫人)━━━━━━弟(松本)
┃ ┃ ┃
┏━━━┻━┓ ┏━━━┻┳━━━┓ ┏━━┻━━━┓
(主人公) ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
田川敬太郎───須永市蔵 妹(夭折) 千代子 百代子 吾一 兄2姉2 宵子(夭折)
│ (友人) │
│ │
│ │
森本 高木
(同じ下宿) (百代子の友人の兄)
作品の利用・引用 [編集]
作中「須永の話」の高木に関する部分が、2008年1月19日に実施された大学入試センター試験の国語の本試験に出題された。
外部リンク [編集]
『彼岸過迄』:新字新仮名(青空文庫)
『彼岸過迄』:デジタル画像(近代デジタルライブラリー)
注釈 [編集]
^ 江藤淳『漱石とその時代』より
^ 新潮文庫『彼岸過迄』の解説(1990年改版後に追加されているもの)より
[隠す]表・話・編・歴夏目漱石の作品
中・長編小説 吾輩は猫である - 坊つちやん - 草枕 - 二百十日 - 野分 - 虞美人草 - 坑夫 - 三四郎 - それから - 門 - 彼岸過迄 - 行人 - こゝろ - 道草 - 明暗
短編小説・小品 倫敦塔 - 幻影の盾 - 琴のそら音 - 一夜 - 薤露行 - 趣味の遺伝 - 夢十夜 - 永日小品
その他の作品 現代日本の開化 - 私の個人主義 - 硝子戸の中
関連項目 高等遊民
関連カテゴリ 夏目漱石 - 小説
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E9%81%8E%E8%BF%84
」より作成
カテゴリ: 夏目漱石の小説 | 1912年の小説 | 朝日新聞の連載小説
隠しカテゴリ: ウィキポータル文学の関連記事
個人用ツール
新機能 ログインまたはアカウント作成 名前空間
ページ ノート 変種表示
閲覧 編集 履歴表示 操作検索
最終更新 2009年12月28日 (月) 21:51
Google【彼岸過迄 あらすじ】=2010-6-18
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
Google【彼岸過迄 あらすじ】=2010-6-18
検索オプション約 1190 件 (0.26 秒) 検索結果
彼岸過迄 - Wikipedia
あらすじ に移動: あらすじ. 地方から出てきて、大学を卒業したばかりの敬太郎は、就職活動に奔走し、苦労の末友人である須永の叔父の世話でやっと地位を ... 彼岸過迄に就いて; 風呂の後; 停留場; 報告; 雨の降る日; 須永の話; 松本の話; 結末 ...
作品解説 - あらすじ - 関係図 - 作品の利用・引用
ja.wikipedia.org/wiki/彼岸過迄 - キャッシュ - 類似ページ
彼岸過迄(夏目漱石): 立川春秋
2007年1月30日 ... 彼岸過迄(夏目漱石). Higannsugimadeshohann_1 漱石を読むシリース、今回は「彼岸過迄」です。明治45年1月2日から4月29日まで朝日新聞に連載されました。まずは、あらすじを振り返ってみます。 …………あらすじ… ...
kijuro27.cocolog-nifty.com/blog/.../post_9157.html - キャッシュ - 類似ページ
知ってるようで意外と知らないあの名作「一分でわかる!あらすじ図書館」
このサイトでは名作と言われる文学作品のあらすじを紹介しています。 最近は活字離れが進み、本を読まない方も増えていると ... 彼岸過迄-------「恐れない女」と「恐れる男」との結婚を望んではいなかった。 ◇カインの未裔---大地から恵を得られない ...
arasuzitosyokan.web.fc2.com/ - キャッシュ - 類似ページ
目次>彼岸過迄----------夏目漱石
「彼岸過迄」--夏目漱石. 就職活動に疲れた田川敬太郎は、. 風呂の後に同じ下宿の森本からおもしろい昔話を聞いたのだが、 ... 「あらすじで読む!芥川龍之介集」名作30作品が30分でわかる! 詳しくは、http://nrkakutagawa.web.fc2.com/
...
arasuzitosyokan.web.fc2.com/.../higansugimade.html - キャッシュ - 類似ページ
原文のみで構成した、夏目漱石『彼岸過迄』(須永と千代子の恋)の ...
2009年12月4日 ... 広末涼子さん&『ビーチボーイズ』の原文のみで構成した、夏目漱石『彼岸過迄』(須永と千代子の恋)のあらすじに関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)☆省略した部分は1行空け、漢字のいくつかをかなに変えました。
rhfriendly.at.webry.info/200912/article_17.html - キャッシュ
彼岸過迄/羊の本棚/SILENTSHEEP*NET
2006年5月7日 ... 彼岸過迄. 夏目漱石(1956年刊岩波書店・漱石全集第10巻). 2006.04.22読了 2006.04.23メモ ... もらわないで女々しく悩んでいる男、というのがこの物語の(乱暴な)あらすじなのであるが、下女らには結婚の自由や選択の余地はなかった。 ...
silentsheep.net/book/higansugimade.html - キャッシュ - 類似ページ
縦書き図書館 夏目 漱石「彼岸過迄」
漱石を読むシリース、今回は「彼岸過迄」です。明治45年1月2日から4月29日まで朝日新聞に連載されました。まずは、あらすじを振り返ってみます。( 続きを読む). この作品へのトラックバック. トラックバックURL:. この作品へのトラックバックはまだ ...
tategaki.wesa.jp/index_page/workitem_765.html - キャッシュ - 類似ページ
夏目漱石「彼岸過迄」~恐ろしい事だけ知った男と、恐ろしい事を知ら ...
【あらすじ】 誠実だが行動力のない内向的性格の須永と、純粋な感情を持ち怖れるところなく行動する彼の従妹の千代子。 .... 後期三部作も、今「行人」を読んでいる最中ですが、「彼岸過迄」とはまだつながりを見出せません(笑)。 ...
blogs.yahoo.co.jp/mepochzo/59823548.html - キャッシュ - 類似ページ
彼岸過迄 夏目漱石 - 行きかふ人も又 - 楽天ブログ(Blog)
2009年3月5日 ... (あらすじ) 地方から出てきて、大学を卒業したばかりの敬太郎は、就職活動に奔走し、苦労の末友人である須永の叔父の ... 漱石は好きなんですけど、「彼岸過迄」は読んでないのですよ。 漱石マニアの知人が、「このタイトルはとても ...
plaza.rakuten.co.jp/okojyo3/diary/200903050000/ - キャッシュ - 類似ページ
彼岸過迄@モバウィキ>あらすじ - モバゲータウン
2 あらすじ. 地方から出てきて、大学を卒業したばかりの敬太郎は、就職活動に奔走し、苦労の末友人である須永の叔父の世話でやっと地位 ... 彼岸過迄に就いて; 風呂の後; 停留場; 報告; 雨の降る日; 須永の話; 松本の話; 結末. ■関連モバゲーコンテンツ ...
www.mbga.jp/.pc/mbkwd_word/
彼岸過迄?curp=1 - キャッシュ
彼岸過迄 あらすじに関連する検索キーワード
彼岸過迄
夏目漱石 彼岸過迄
google【高大連携情報誌 【彼岸過迄 あらすじ】 】=2010-6-18
検索オプション2 件 (0.28 秒) 検索結果
日本全国書誌 JAPANESE NATIONAL BIBLIOGRAPHY 2008年35号
インドネシア国における情報セキュリティ基盤整備のための実証事業報告書. 第2分冊/2分冊. -- [東京] : 日本貿易振興機構, 2008.3. -- 258p ; 30cm. NDC(9): 336.17 ...... 膳所高校-京都大学高大連携プロジェクトのまとめ : 膳所高等学校生徒を対象とした京都大学の公開講座. 平成19年度. ...... あらすじで大づかみ『源氏物語』と平安文学 / 川合章子[著]. -- 東京 : 講談社, 2008.6. -- 253p ; 16cm. ..... 彼岸過迄 / 夏目漱石作. -- 東京 : 岩波書店, 2008.7. -- 352p ; 19cm. -- (ワイド版岩波文庫) ...
www.ndl.go.jp/jp/publication/jnbwl/jnb_200835.html
- キャッシュ - 類似ページ
2008年8月 - 【情報の達人】は 【ランキング】⇒【検索の達人】から
2008年8月24日 ... 「源氏物語」登場人物、あらすじ、人物系図等、常に進化し続ける源氏を長い眼でお楽しみください。 ...... 彼岸過迄 2 20. 彼岸過迄 3 21. 彼岸過迄 4 22. 彼岸過迄 5 ・・・評論・・・ 「文芸の哲学的基礎」 【高大連携情報誌「大学受験 ...
210.165.9.64/shirabemono2008/d/20080824/1 - キャッシュ
最も的確な結果を表示するために、上の2件と似たページは除外されています。
検索結果をすべて表示するには、ここから再検索してください。