【名古屋大学】 国内外地を通じて「最後の帝国大学」略称は名大であり、「めいだい」と発音
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名古屋大学
名古屋大学
名古屋大学正門付近
大学設置 1939年
創立 1871年
学校種別 国立
設置者 国立大学法人名古屋大学
本部所在地 愛知県名古屋市千種区不老町
キャンパス 東山(名古屋市千種区)
鶴舞(名古屋市昭和区)
大幸(名古屋市東区)
豊川(豊川市穂ノ原)
【学部】
文学部
教育学部
法学部
経済学部
情報文化学部
理学部
医学部
工学部
農学部
【研究科】
文学研究科
教育発達科学研究科
法学研究科
経済学研究科
理学研究科
医学系研究科
工学研究科
生命農学研究科
国際開発研究科
多元数理科学研究科
国際言語文化研究科
環境学研究科
情報科学研究科
ウェブサイト 名古屋大学公式サイト
表・話・編・歴
■■■大学(なごやだいがく、英語: Nagoya University)は、愛知県名古屋市千種区不老町に本部を置く日本の国立大学である。1939年に設置された。大学の略称は名大(めいだい)。
目次 [非表示]
1 概観
1.1 大学全体
1.2 学術憲章
1.3 学風および特色
2 沿革
2.1 略歴
2.2 年表
3 基礎データ
3.1 所在地
3.2 象徴
3.2.1 シンボルマーク
3.2.2 スクールカラー
3.2.3 学生歌等
4 教育および研究
4.1 組織
4.1.1 学部
4.1.2 大学院
4.1.3 附属機関
4.1.3.1 エコトピア科学研究所
4.1.3.2 附属図書館
4.1.3.3 名古屋大学博物館
4.2 研究
4.2.1 21世紀COEプログラム
4.2.2 グローバルCOEプログラム
4.3 教育
5 学生生活
5.1 大学祭
5.2 スポーツ
6 大学関係者と組織
6.1 大学関係者組織
6.2 大学関係者一覧
7 施設
7.1 キャンパス
7.1.1 東山キャンパス
7.1.1.1 町区画
7.1.1.2 地下鉄
7.1.1.3 FOREST
7.1.2 鶴舞キャンパス
7.1.3 大幸キャンパス
7.1.4 豊川キャンパス
7.2 学生食堂
7.3 購買
7.3.1 ファミリーマート名古屋大学店
7.4 講堂
8 対外関係
8.1 他大学との協定
9 附属学校
10 脚注
11 Wiki関係他プロジェクトリンク
12 公式サイト
概観 [編集]
大学全体 [編集]
東山キャンパス名古屋大学は、1939年に設立された名古屋帝国大学を直接の母体とする国立大学である。名古屋帝国大学は9番目(内地では7番目)に設立され、国内外地を通じて「最後の帝国大学」となった。帝国大学設立当初は医学部と理工学部の2学部のみを設置していたが、第二次世界大戦後の旧制学制残滓期間内に法経学部と文学部の2学部を拡充、新制名古屋大学となった後も教育学部、農学部等の学部や大学院研究科及び附属研究施設等を拡張し続け、現在9学部13研究科を設置している。
2008年現在、関係者に4名のノーベル賞受賞者がいる。そのうち、名古屋大学が博士号を授与した者は3名で、学士号を授与した卒業生は2名となっている。[1][2][3]。
大学の略称は名大であり、「めいだい」と発音する。この「名大」という略称は商標登録(第4861457号)もされている。明治大学の略称である明大(めいだい)と発音が同じであるため、「なだい」と発音する人もいる[4]が、商標登録第4861457号の参考情報として付随している称呼が「メーダイ」であることから、公式には「めいだい」が正しい。
学術憲章 [編集]
国立大学であるため[要出典]、創立時に「建学の精神」などは明確に定められなかった。しかし、2000年に、名古屋大学の基本理念の概要を示す『名古屋大学学術憲章』が定められた。この憲章においては、自発性・創造性・先進性・国際性などの重視が示されており、「勇気ある知識人を育てる」ことが目標に掲げられている。なお、「勇気ある知識人」は国立大学法人名古屋大学によって商標登録(第4967427号)されている。
学風および特色 [編集]
現在は、「自由・闊達・進取」を(stub)としている。 名古屋帝国大学が出来たばかりの頃は、初代総長が十七条憲法の一節で、自身の座右の銘であった「以和為貴」を大学全体の(stub)としていた[5]。 現在は「名古屋大学学術憲章」[6]を定め、それを元に「名古屋大学運営の基本姿勢」[7]を公表している。
沿革 [編集]
略歴 [編集]
この項目は過剰な加筆が行なわれ、読みにくくなっています。
あまり重要ではない事項を細かく解説することは、むしろ閲覧者の理解を妨げ関心を損ないます。これ以上の内容の増大は歓迎されません。内容の削減をノートで検討しています。
尾張藩種痘所取締であった伊藤圭介・石井隆庵ら3名が版籍奉還後の名古屋藩庁に提出した建議書[8]をもとに廃藩置県直後の1871年8月9日[9]、「仮病院・仮医学校」が開設された。以後仮病院・仮医学校は名古屋県の行政運営上の事情や財政難から廃復興の繰り返しの後、公立病院・医学講習所というかたちで存続。その後1903年の専門学校令に基づき愛知県立医学専門学校となり、1920年には大学令に基づき大学に昇格し、県立愛知医科大学と改称する。1931年には国へ移管され官立名古屋医科大学となった。この官立大学誕生を契機として、同医科大の前身学校時代から既に同学校内及び愛知県政財界を中心に展開されていた帝大誘致・設立運動が結実[10]、1939年に官立名古屋医科大学を吸収させるかたちで「名古屋帝国大学」が創設される。同時に官立名古屋医科大学は名古屋帝国大学医学部へ改組された。但し名古屋帝国大学の創設資金900万円(当時)は、地元愛知県が国庫へ全額寄付するというかたちでの設立となった[11]。なお、名古屋帝国大学は、創設時には文科系学部は存在せず、理工学部と医学部のみの学部編成であった。
第二次世界大戦後、まず帝国大学令等の旧制度廃止直前の1948年に「(旧制)名古屋(帝国)大学」のもと法経・文の2学部が設置されたことで、文科系理科系の両系統学部群が揃うこととなった。その上で、教育制度改革に伴う高等教育機関の一本化という行政施策[12]に伴って、愛知県各地域に散在していた旧制官立学校が新制名古屋大学へ包括されて合流する。名古屋高等商業学校は法経学部経済経営両学科、第八高等学校の一部は文学部、第八高等学校の一部および岡崎高等師範学校は旧教養部、それぞれ設立母体となった 。
大学院は、名古屋帝国大学各学部に大学令に基づいた研究科が置かれた時点からの歴史がある。第二次世界大戦後、学校教育法に基づき新制大学院制度が発足すると1953年から1955年にかけて理学、工学、法学、経済学、文学、教育学、医学、農学の8研究科が設置される。しかし大学への予算配分や教官配置の基礎は学部内の講座(chair)制に置かれていた。1991年に当時の文部省が示した大学設置基準の大綱化をもとに大学院の部局化を本格化する。これは事実上の大学院重点化であった。具体的には独立大学院の設置と教養部廃止を前提に大学院研究科を大学における研究・教育の基軸として再編するという2つの施策を実施している。前者は、1991年の国際開発研究科、1992年人間情報学研究科(後述する教養部改組措置を兼ねた研究科として誕生)、1995年多元数理科学研究科、1998年の国際言語文化研究科の各研究科設置という形で実現した。また、後者は教養部を改組の上、前述した人間情報学研究科と情報文化学部(1993年)を創設、1993年に教養部を廃止すると全学一貫教育体制に移行した上で1996年に理、1997年に工、1999年に法、医、生命農学、2000年文、教、経済と各学問分野において大学院重点化を完了させることで実現している。
2001年に表明された文部科学省の方針に基づき、2004年国立大学法人組織に移行され「国立大学法人名古屋大学」が誕生、同年専門職大学院として法科大学院を設置している。
年表 [編集]
1869年~1870年頃(詳細年月日不明) 尾張藩元奥医師等、「洋学医庠」設立建議書を名古屋藩庁に提出。
1871年8月9日 仮病院(名古屋県)・仮医学校開設。
1878年 公立医学校となる。
1881年 愛知医学校となる。
1901年 愛知県立医学校となる。
1903年 専門学校令に基づき愛知県立医学専門学校となる。
1908年 高等学校令に基づき官立第八高等学校が設立される。
1920年 大学令に基づき県立愛知医科大学となる。専門学校令に基づき官立名古屋高等商業学校が設立される。
1931年5月1日 官立移管され官立名古屋医科大学と改称。
1939年4月1日 帝国大学令及び名古屋帝国大学官制に基づいた名古屋帝国大学が創設され、官立名古屋医科大学を同帝大医学部に改組。
1940年 理工学部を新設。
1942年 理工学部を理学部と工学部に分離。
1943年 航空医学研究所を附置。
1945年 師範教育令に基づき官立岡崎高等師範学校が設立される。航空医学研究所を廃止。
1946年 環境医学研究所を附置。
1947年 帝国大学令は国立総合大学令に改称され、大学名も名古屋大学と改称される。
1948年 法経学部、文学部を設置。
1949年 学制改革に伴い帝国大学令等の旧制度諸法が廃止され国立学校設置法が制定される。同法に基づき旧制名古屋大学、第八高等学校、岡崎高等師範学校、名古屋経済専門学校(名古屋高等商業学校の後身)等を包括、教育学部を増設した新制大学へ改組、(新制)名古屋大学が誕生する。空電研究所を附置。教養部を設置(学内措置)。
1950年 法経学部を法学部と経済学部に分離。
1951年 農学部を設置。
1953年 新制大学院発足。文学、教育学、法学、経済学、理学、工学の各研究科を設置。
1955年 医学研究科、農学研究科を設置。
1961年 プラズマ研究所を附置。
1963年 教養部を正式に設置。
1966年 農学部移転で、東山キャンパスへの統合移転完了。
1971年 大型計算機センターを設置。
1973年 水圏科学研究所を附置。
1977年 医学部附属の看護学校等を改組、医療技術短期大学部を設置。
1989年 プラズマ研究所を核融合科学研究所に改組し、大学共同利用機関に移行。
1990年 空電研究所と理学部附属宇宙線望遠鏡研究施設を統合改組し、太陽地球環境研究所を附置。
1991年 国際開発研究科を設置。
1992年 人間情報学研究科を設置(教養部の改組措置)。
1993年 情報文化学部を設置(教養部の改組措置)。教養部を廃止。水圏科学研究所を改組し、大気水圏科学研究所を附置。
1995年 多元数理科学研究科を設置。
1997年 農学研究科を生命農学研究科と改称。
1998年 医療技術短期大学部を改組し、医学部保健学科を設置。国際言語文化研究科を設置。
2000年 教育学研究科を教育発達科学研究科と改称。
2001年 大気水圏科学研究所を廃止。環境学研究科、地球水循環研究センターを設置。
2002年 医学研究科を医学系研究科と改称。大型計算機センターおよび関連施設を改組し、情報連携基盤センターを設置。
2003年 人間情報学研究科と工学研究科情報工学専攻を統合改組して情報科学研究科を設置。
2004年 国立大学法人法に基づき国立大学法人名古屋大学となる。法科大学院を設置。エコトピア科学研究機構を設置。
2005年 エコトピア科学研究機構を改組し、エコトピア科学研究所を設置(学内措置)。
2006年 エコトピア科学研究所を正式に附置。
基礎データ [編集]
所在地 [編集]
東山キャンパス(愛知県名古屋市千種区)
鶴舞キャンパス(愛知県名古屋市昭和区)
大幸キャンパス(愛知県名古屋市東区)
豊川キャンパス(愛知県豊川市穂ノ原)
象徴 [編集]
シンボルマーク [編集]
シンボルマークは、Nagoya Universityの頭文字「nu」に篆書体の「名大」を合成したもので、通称「NUマーク」である。名古屋大学学章規程により正式に定められている。1958年に教養部2年の学生によるデザインが学内公募により選定され、それを基に作成された。
スクールカラー [編集]
スクールカラーは濃緑である。『濃緑』は、名古屋大学体育会の機関紙の名称にもなっている。その機関紙によると、「濃は不屈・永遠を表し、緑は若さを表す」とされている。
学生歌等 [編集]
名古屋大学には正式な校歌や大学歌は存在しないが、以下に示す歌が存在する。
学生歌
『若き我等』(1956年制定)
『若草もゆる』(1954年制定)
現在主に歌われるのは前者である。
応援歌
『天にとどろく』
『大空に光はみてり』(1955年制定)
『この旗の下に』
寮歌
上記の他、運動部等の行事でよく歌われるものに、第八高等学校寮歌『伊吹おろし』がある。第八高等学校は名古屋大学の前身校の一つである。
教育および研究 [編集]
組織 [編集]
学部 [編集]
文学部
人文学科
教育学部
人間発達科学科
法学部
法律・政治学科
経済学部
経済学科
経営学科
情報文化学部
自然情報学科
社会システム情報学科
理学部
数理学科
物理学科
化学科
生命理学科
地球惑星科学科
医学部
医学科(6年制)
保健学科
工学部
化学・生物工学科
物理工学科
電気電子・情報工学科
機械・航空工学科
社会環境工学科
農学部
生物環境科学科
資源生物科学科
応用生命科学科
大学院 [編集]
以下、特記していない専攻は博士前期課程・博士後期課程である。
文学研究科
人文学専攻
教育発達科学研究科
教育科学専攻
心理発達科学専攻
法学研究科
総合法政専攻
実務法曹養成専攻(専門職学位課程、法科大学院)
経済学研究科
社会経済システム専攻
産業経営システム専攻
理学研究科
素粒子宇宙物理学専攻
物質理学専攻
生命理学専攻
多元数理科学研究科
多元数理科学専攻
医学系研究科
医科学専攻(修士課程)
分子総合医学専攻(4年制博士課程)
細胞情報医学専攻(4年制博士課程)
機能構築医学専攻(4年制博士課程)
健康社会医学専攻(4年制博士課程)
看護学専攻
医療技術学専攻
リハビリテーション療法学専攻
工学研究科
化学・生物工学専攻
マテリアル理工学専攻
電子情報システム専攻
機械理工学専攻
航空宇宙工学専攻
社会基盤工学専攻
結晶材料工学専攻
エネルギー理工学専攻
量子工学専攻
マイクロ・ナノシステム工学専攻
物質制御工学専攻
計算理工学専攻
生命農学研究科
生物圏資源学専攻
生物機構・機能科学専攻
応用分子生命科学専攻
生命技術科学専攻
国際言語文化研究科
日本言語文化専攻
国際多元文化専攻
国際開発研究科
国際開発専攻
国際協力専攻
国際コミュニケーション専攻
環境学研究科
地球環境科学専攻
都市環境学専攻
社会環境学専攻
情報科学研究科
計算機数理科学専攻
情報システム学専攻
メディア科学専攻
複雑系科学専攻
社会システム情報学専攻
附属機関 [編集]
附置研究所
環境医学研究所
附属近未来環境シミュレーションセンター
太陽地球環境研究所
附属ジオスペース研究センター
エコトピア科学研究所
ベンチャービジネス・ラボラトリー
附属超高圧電子顕微鏡施設
全国共同利用施設
情報基盤センター
地球水循環研究センター
学内共同教育研究施設等
アイソトープ総合センター
遺伝子実験施設
留学生センター
物質科学国際研究センター
高等教育研究センター
農学国際教育協力研究センター
年代測定総合研究センター
博物館
発達心理精神科学教育研究センター
法政国際教育研究研究センター
生物機能開発利用研究センター
先端技術共同研究センター
大学文書資料室
学生相談総合センター
留学生相談室
医学部附属病院その他
教養教育院
高等研究院
総合保健体育科学センター
附属図書館
研究開発室
全学技術センター
医学部附属病院
大幸医療センター
エコトピア科学研究所 [編集]
理工科学総合研究センター、高効率エネルギー変換研究センター、難処理人工物研究センター、環境量子リサイクル研究センターを統合して2004年に設置されたエコトピア科学研究機構を前身とし、2005年に設置された研究所である。これは学内措置による設置であったが、文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会の審議を経た2006年、文部科学大臣により中期目標の変更が提示され、正式に附置研究所と定められた。エコトピア(EcoTopia)とは、ecologyとutopiaの合成語で、環境に配慮した理想郷、環境調和型社会といったような意味である。材料技術、エネルギー技術、廃棄物処理技術、情報・通信技術などを研究している。理系研究科の教員に加えて、文系研究科の教員も参画しており、文理融合した研究が行われている。
附属図書館 [編集]
附属図書館は中央館、医学部分館、34の部局図書室がある。総蔵書数は約293万冊(2008年4月現在)。年間利用者は中央館のみで延べ約70万9千人、貸出冊数は約13万3千冊(2007年度)である。[13]
名古屋大学博物館 [編集]
名古屋大学博物館は、2000年4月[14]に日本の大学が設置する総合研究博物館としては5番目の設置[要出典]。東山キャンパスの古川記念館内に設置された。名古屋大学が所蔵する学術標本の収集・研究・保護・展示や異分野交流、大学の研究成果の展示、情報発信の目的を担っている[15]。
研究 [編集]
21世紀COEプログラム [編集]
21世紀COEプログラムとして、14件のプロジェクトが採択された。
2002年
生命科学
システム生命科学:分子シグナル系の統合
新世紀の食を担う植物バイオサイエンス
化学・材料科学
物質科学の拠点形成:分子機能の解明と創造
自然に学ぶ材料プロセッシングの創成
情報・電気・電子
先端プラズマ科学が拓くナノ情報デバイス
社会情報基盤のための音声映像の知的統合
人文科学
統合テクスト科学の構築
2003年
医学系
神経疾患・腫瘍の統合分子医学の拠点形成
数学・物理学・地球科学
宇宙と物質の起源:宇宙史の物理学的解読
等式が生む数学の新概念(2005年9月に辞退)
太陽・地球・生命圏相互作用系の変動学
機械・土木・建築・その他工学
情報社会を担うマイクロナノメカトロニクス
学際・複合・新領域
同位体が拓く未来―同位体科学の基盤から応用まで―
2004年
革新的な学術分野
計算科学フロンティア
グローバルCOEプログラム [編集]
グローバルCOEプログラムとして、3件のプロジェクトが採択されている。
2007年
生命科学
システム生命科学の展開:生命機能の設計
化学・材料科学
分子性機能物質科学の国際教育研究拠点形成
人文科学
テクスト布置の解釈学的研究と教育
教育 [編集]
特色ある大学教育支援プログラム
創成型工学教育支援プログラム
教員の自発的な授業改善の促進・支援―授業支援ツールを活用した授業デザイン力の形成―
コアリッションによる工学教育の相乗的改革(複数大学による共同取組、主となる大学:東京工業大学)
学生生活 [編集]
大学祭 [編集]
大学祭は「名大祭」と呼ばれ、1960年から毎年、6月の第1木曜日から次の日曜日に掛けての4日間開催される。また、近年は秋季にも「秋革祭(しゅうかくさい)」と呼ばれるやや小規模なイベントも行われている。一般的には、大学祭は秋季に行われることが多いが、「名大祭」はその第一回開催時に伊勢湾台風の影響で延期となり、翌年の6月に第一回が行われたため、その後も6月に行われることとなった。
名古屋大学は蛸足大学で、多くのキャンパスが市内や周辺市域に分散していたため、大学全体としての学生の結束が弱いとされた[16]。しかしキャンパスが東山地区に統合されるとともに、安保闘争や伊勢湾台風復興を契機に学生運動が高揚すると、大学祭開催への機運が高まり、1960年に第一回名大祭の開催を見た[17]。しかし各学部の学生団体がそれぞれ企画を催すなどのばらつきも見られた。
現在では教養部を除く各学部の団体が統合された名大祭本部実行委員会と呼ばれる団体が6月の名大祭を主催し、教養部の団体の名残である名大祭一・二年生実行委員会が秋季の秋革祭を主催している。とくに名大祭は多くの研究室・部活・サークルの成果の発表の場として、また全学学生の団結力を示す場として位置付けられている。来場者は毎年約5万人程度であり、その規模は東海地方で最大を誇る。またバリアフリーとごみの再資源化に早くから取り組んでいる。
スポーツ [編集]
1956年に名古屋大学体育会が結成され、1961年に大学公認を受けている。同会に所属する部の中には、陸上競技部など旧愛知医学校や第八高等学校からの歴史がある部も存在する[18]。また、全国の旧帝国大学と共に全国七大学総合体育大会に参加している。また、大阪大学との対抗戦として名古屋大学・大阪大学対抗競技大会(名阪戦)を行っている。
1964年からは毎年11月下旬に須賀杯争奪駅伝競走大会が開催されている。これは名古屋大学教授で陸上部顧問(当時)を務めていた須賀太郎が、1963年に豊田工業高等専門学校の初代校長に就任し、同校のスポーツ振興に力を注いだことに由来する。大学と高専が共催するスポーツ大会は日本国内では珍しい[要出典]。
アメリカンフットボール部の愛称はグランパスである。名古屋グランパス創設以前から歴史があり、名古屋グランパスの関係者がグランパスの名前を使用する許可を求めて同部を訪れた逸話がある[19]。
大学関係者と組織 [編集]
大学関係者組織 [編集]
旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授経験者で構成される団体として社団法人学士会があり、名古屋大学関係者も多数入会している。詳細は、学士会を参照。
大学関係者一覧 [編集]
名古屋大学の人物一覧
施設 [編集]
キャンパス [編集]
東山キャンパス(1987年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
東山キャンパス [編集]
使用学部:文学部、教育学部、法学部、経済学部、情報文化学部、理学部、工学部、農学部
使用研究科:文学研究科、教育発達科学研究科、法学研究科、経済学研究科、理学研究科、工学研究科、生命農学研究科、国際開発研究科、多元数理科学研究科、国際言語文化研究科、環境学研究科、情報科学研究科
使用附属施設:環境医学研究所、太陽地球環境研究所、エコトピア科学研究所、地球水循環研究センター、情報基盤センター
交通アクセス:名古屋市営地下鉄名城線名古屋大学駅
東山キャンパスは東西に長い長方形のような形をしており、キャンパスのほぼ中央を南北に貫く公道(山手グリーンロード)によって西地区と東地区に分けられる[20]。そのためかこのキャンパスには正門が存在しない。キャンパスの中心にはグリーンベルト(緑地帯)が東西にはしっており、西地区のグリーンベルトには中央図書館、東地区のグリーンベルトには豊田講堂がある。西地区の南側が文系地区となっており、西地区の北側は工学研究科を中心とした理系地区および教育学部附属中学校・高等学校となっている。東地区は理系地区および野球場、サッカー兼陸上競技場、テニスコートなどのスポーツ施設などとなっている[21]。また、大学を東西に貫くグリーンベルトは若宮大通(100メートル道路)の延長線上にある。名古屋市の都市計画では、若宮大通の東端を名古屋大学東山キャンパスへ接続するという想定が存在していたことが影響していたのではないという説がある[22]。
町区画 [編集]
東山キャンパスは名古屋市千種区にある複数の町区画にまたがる。東山キャンパスの所在地は「名古屋市千種区不老町」を代表として用いているが、大学の敷地内に完全に吸収されてしまっている(本部の所在地は、正確には千種区仁座町。不老町は図書館や工学部1号館、2号館、3号館、7号館などがある場所)。不老町以外にも東山キャンパス内に完全に含まれてしまい、郵便の宛先とする個所が存在しなくなった町がいくつかある。また、現在の千種区と昭和区の区界は大学のキャンパスに沿って引かれているが、この線引きのために区をまたいで分断され、両区にまたがって存在する町名もある[23]。
地下鉄 [編集]
キャンパスの真下に名古屋市営地下鉄名城線が通過しており、キャンパス内に名古屋大学駅がある。地下鉄の建設工事に伴い、精密測定機器の精度を守るために一部施設が東山キャンパス外に移転するなどした。今後、更に、東山キャンパス内を東西に通る地下鉄の新線(東部線)の構想もある。
当時の超低温物理研究室(L研)の人の話では、午前の工事による温度上昇、昼休みによる温度下降、午後の工事による温度上昇、一日の工事終了後の温度下降がはっきりと測定出来たそうである。そのほか、当時工事の施設への影響が懸念されたが、この土地は元々名古屋市から寄贈されたものであった為抗議しにくいというものもあった[要出典]。
FOREST [編集]
FOREST(フォレスト)は、東山キャンパス北東部(理系地区)の理系中華食堂・理系カフェテリアを全面改築・改修して作られた、名大生協運営の福利厚生施設の総称。理系専門書店のBooks Fronte、カフェのCafe Fronte、食堂のDining Forestから構成される。FORESTというネーミングは一般公募の結果、名大生協専務の今井信彦氏の案が採用された。「FOREST」は「For Eat Study Talk」という意味が込められている。
理系中華食堂は2005年夏に取り壊され、新たにFronte(フロンテ)が建てられた。この建物はこれまでの生協の剰余金(いわゆる利益)のみを利用して建設された。2006年5月に今まで理系書を取り扱ってきた北部書籍が移転する形で、Books Fronte、そして建物内で隣接するCafe Fronteがオープンした。Books Fronteは2006年5月現在、日本の大学生協では最大の書籍を陳列している理系専門書店である。カフェにはパソコンを利用するスペースがあり、名古屋大学無線ネットワーク実証実験(nuwnet)を利用してインターネットへ接続することも可能となっている。
理系カフェテリアは2006年の夏季長期休暇中を中心に改修され、Dining Forestとして10月2日にオープンした。
鶴舞キャンパス [編集]
使用学部:医学部医学科
使用研究科:医学系研究科
使用附属施設:医学部附属病院
交通アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線鶴舞駅、JR中央本線鶴舞駅
鶴舞キャンパスは昭和区鶴舞町と千種区花田町にまたがっており、東山キャンパスの8分の1程度の広さを持つ。北部には研究棟や図書館の医学部分館などがあり、南部には附属病院の病棟や診療棟などがある。また、キャンパスの東側には名古屋工業大学、南側には名古屋市公会堂などがある鶴舞公園が隣接しており、北側は若宮大通に面している。
大幸キャンパス [編集]
使用学部:医学部保健学科
使用研究科:医学系研究科
使用附属施設:大幸医療センター
交通アクセス:名古屋市営地下鉄名城線ナゴヤドーム前 矢田駅・砂田橋駅、ゆとり~とラインナゴヤドーム前矢田駅・砂田橋駅、JR中央本線大曽根駅
大幸キャンパスは東区大幸南にあり、鶴舞キャンパスの半分強の広さを持つ。北部には保健学科本館・南館・別館、中心部には大幸医療センター、南部には運動場などがある。また、キャンパスの東には愛知教育大学附属名古屋小学校・中学校、南西にはナゴヤドームがある。
豊川キャンパス [編集]
使用学部:なし
使用研究科:なし
使用附属施設:太陽地球環境研究所、ジオスペース研究センター
交通アクセス:名鉄豊川線諏訪町駅、JR飯田線豊川駅
学生食堂 [編集]
東山キャンパスには生協の運営する北部食堂・南部食堂・フレンドリィ南部・Dining Forest・レストラン花の木・Cafe Fronte・IBカフェと、外部業者の運営するユニバーサルクラブなどがある。鶴舞キャンパスには医学部食堂・医学部喫茶・カフェクレインが、大幸キャンパスには大幸食堂があり、いずれも生協の運営である。
購買 [編集]
東山キャンパスには北部購買・南部購買・南部書籍・パンだが屋・プランゾ・Books Fronte・理系ショップ・農学部購買・共同教育購買が、鶴舞キャンパスには医学部購買・医学部書籍が、大幸キャンパスには大幸購買書籍があり、いずれも生協の運営である。
ファミリーマート名古屋大学店 [編集]
東山キャンパスに2006年7月24日開店したファミリーマート名古屋大学は、日本初となるコンビニエンスストアと国立大学の産学連携の試みの一環として設置された[24]。店内では通常のコンビニエンスストアとしての機能を持つほか、研究発表用の「マルチスタディールーム」が設けられている。今後、ファミリーマート社員が講師として講義を行う予定もある[要出典]。
講堂 [編集]
名古屋大学豊田講堂
対外関係 [編集]
他大学との協定 [編集]
8大学工学系研究科長懇談会
附属学校 [編集]
名古屋大学教育学部附属中・高等学校
脚注 [編集]
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^ 読売新聞編集局編 (2001). ノーベル賞10人の日本人―創造の瞬間. 中央公論新社. ISBN 978-4121500304.
^ 国立情報学研究所. "博士論文書誌データベース" (日本語). 学術研究データベース・リポジトリ. 国立情報学研究所. 2008-10-12 閲覧。
^ 朝日新聞 (2008-10-8、2008-10-9). “朝日新聞2008年10月8日朝刊、2008年10月9日朝刊” (日本語). 朝日新聞.
^ 三遊亭円丈 (1987). 雁道ー名古屋禁断の書ー 17ページ. 海越出版社. ISBN4-906203-50-7.
^ 名大史ブックレット6 草創期の名古屋大学と初代総長渋沢元治
^ "名古屋大学ホームページ 学術憲章". 2009-04-06 閲覧。
^ "名古屋大学ホームページ 運営の基本姿勢". 2009-04-06 閲覧。
^ 「洋学医庠」設立建議書と呼ばれ、この建議書そのものが名大の直接の淵源とされる(鈴木要蔵家記「種痘所用留」。名古屋市史資料・鶴舞図書館所蔵。)。
^ 八月創立説と呼ばれる(「明治四年 旧藩書類綴」。徳川林政史研究所所蔵他。)。これに対し、同仮病院が廃藩置県直前の5月に開設されたとする五月創立説がある。以前の通説的見解であったこともあり、現在でも名大は創立記念日を1871年5月1日においている(「愛知県公立病院及医学校第一報告」明治13年)。
^ 県史23「愛知県の歴史」三鬼清一郎編。山川出版社。308頁。
^ 「名古屋帝国大学創立概要」(昭和18年)、10~18頁。
^ 文部科学省 学制百年史 総説 六 戦後の教育改革
^ 名古屋大学プロフィール2008
^ 名古屋大学博物館館長挨拶(トップページ⇒職員紹介⇒館長挨拶)参照。
^ 名古屋大学プロフィール2008
^ 第一回名大祭実行委員会からもパンフレットにて指摘されている。名大史ブックレット7 名大祭 -四〇年の歩み-参照。
^ 名大史ブックレット7 名大祭 -四〇年の歩み-
^ 名大史ブックレット3 名古屋大学スポーツの歩み
^ 名古屋大学グランパスHP Q&A参照。)
^ 名古屋市 美化推進重点区域 四谷通地区
^ 名古屋大学キャンパスマップ
^ 加藤弘二「なごや特捜隊 名大に正門なぜない? 戦争挟み計画から消滅」『中日新聞』2008年9月29日付朝刊、市民版(第18面)
加藤弘二 (2008-09-29). "中日新聞:名大に正門なぜない? 戦争挟み計画から消滅:愛知(CHUNICHI Web)" (日本語). 2008年10月13日 閲覧。
^ 宮東町、八雲町、山手通はいずれも両区にまたがって存在する。昭和区には郵便番号が置かれているが、千種区側では郵便番号が存在しない。日本郵便 郵便番号検索 愛知県名古屋市千種区日本郵便 郵便番号検索 愛知県名古屋昭和区
^ コンビニと国立大学初の産学連携しての研究も 「ファミリーマート名古屋大学店」 開店ニュースリリース 2006年 FamilyMart
Wiki関係他プロジェクトリンク [編集]
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最終更新 2009年5月31日項