松下幸之助
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
松下幸之助
パナソニックミュージアム・松下幸之助歴史館 松下幸之助の銅像松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた日本屈指の経営者で、経営の神様とも、関係者からは社主とも称された。
自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。
目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 エピソード
3 語録
4 栄典
5 系譜
5.1 閨閥
6 記念碑等
7 脚注
8 主著
9 評伝
10 松下幸之助を演じた俳優
11 関連項目
12 外部リンク
来歴・人物 [編集]
松下幸之助, タイム, 19621894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。
1899年頃、父が米相場で失敗し破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し下駄屋を始めた。しかし父には商才もなく店を畳んだため、尋常小学校を4年で中退し9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出される。奉公先を五代自転車に移した後、大阪に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社し、7年間勤務する。
在職中に、簡単に電球の取り外しが可能な電球ソケットを考案。当時の電球は、自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、画期的な発明であった。1917年、大阪電燈を依願退職、大阪府東成郡鶴橋町猪飼野(現:大阪市東成区玉津2丁目)の自宅で、妻むめのと、その弟の井植歳男(営業担当、後に専務取締役、戦後に三洋電機を創業して独立)、および友人2名の計5人で、同ソケットの製造販売に着手。当時の電灯線電力は電球数に基づく固定料金制が主流だったため、次第に評判を取る。その後、兄弟喧嘩で電球を取り合う光景をヒントに、コンセント・スイッチ付き二股電球ソケット『1号国民ソケット』を考案。創業2年目にしてヒット商品を作り出し、経営が軌道に乗る。
事業拡大に伴い、1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)で松下電気器具製作所を創業。電球ソケットに続き、カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(1925年から「ナショナル」商標を使用開始)を考案し、これらのヒットで乾電池などにも手を広げ、1929年の松下電器製作所への改称と同時に『綱領・信条』を設定した。
1932年を『命知元年』と定めて5月5日に第1回創業記念式を開き、ヘンリー・フォードに倣った『水道哲学』『250年計画』『適正利益・現金正価』を社員に訓示。1935年には松下電器産業株式会社へと社名変更した。
第二次世界大戦中は、下命で軍需品の生産に協力。1943年4月に松下造船株式会社を設立し、海運会社出身の井植社長の下で、終戦までに56隻の250トンクラスの中型木造船を建造。次いで同年10月には盾津飛行場そばに松下航空機株式会社を設立し、空技廠の技術指導により強化合板構造の練習用木製急降下爆撃機『明星』を終戦までに7機試作、試験飛行に漕ぎ着けたものの1機は間もなく空中分解し、航空機に求められる絶対的な品質と信頼性に対する認識不足から[1]惨憺たる失敗に終わった。
戦後直ちにGHQによって制限会社に指定され、幸之助・井植以下役員の多くが戦争協力者として公職追放処分を受ける。暖簾分けの形で井植を社外に出した幸之助は、「松下は一代で築き上げたもので、買収などで大きくなった訳でもなく、財閥にも当らない」と反駁する一方、1946年11月にはPHP研究所を設立し倫理教育に乗り出すことで世評を高め、社内留保を取り崩して人員整理を極力避けたことを感謝した労働組合もGHQに嘆願したため、間もなく制限会社指定を解除され、1947年に社長に復帰する。
続くドッジ・ライン不況でも苦境に陥ったが、今度は一転してレッドパージを兼ねた直営工場の操業時間短縮・人員大量整理・賃金抑制を断行し、危機を乗り切った。この経営手法を当時のマスコミが揶揄して物品税の滞納王などと報道された。
1950年以降、長者番付で10回全国1位を記録(1955年~1959年、1961年~1963年、1968年、1984年)。また40年連続で全国100位以内に登場した。この時期の幸之助は「億万長者」であり、一生で約5,000億円の資産を築いたと推定される。
1951年テレビ事業視察のため長期外遊し、翌1952年に蘭フィリップスと技術導入提携(後に松下電子工業として分社化、1997年4月松下電器に統合)。
1954年には戦前からの宿願だったレコード事業参入のため、当時の資本金相当額を投入して日本ビクターを子会社化したが、経営上の独立性を保証した[2]。
1960年に初の和歌山市名誉市民に選定される。1961年に会長に就任し第一線を退くが、ヒット商品欠如が岩戸景気後の反動不況と相俟って赤字に転落。
1964年には家電品の廉売を巡り、当時のダイエー社長・中内功と30年に亙る戦争が勃発した。
社内外の引き締め目的で熱海ニューフジヤホテルを借り切り、全国の販社・代理店と直談判する機会を設けたものの、新興スーパーマーケットとの競合による売行不振、熾烈なノルマや販促グッズの押し付け、欠陥テレビの修理費負担などが問題化して紛糾し、丸3日間に亙って逆に吊し上げられた(全国販売会社代理店社長懇談会、いわゆる『熱海会談』)。
このため『共存共栄』と自筆した色紙を配布し沈静化を図る一方、営業本部長代行を兼務しトップセールスとしての現場復帰を余儀なくされた。
1967年7月、公正取引委員会からヤミ再版制度の排除勧告を受けたものの、これを拒否したため批判を浴びた。
1970年にはナショナルショップの後継者育成目的で松下電器商学院(現:松下幸之助商学院)を設立。後に中村邦夫が立ち上げる「スーパープロショップ」の母体となった。
1973年、80歳を機に現役を引退し、相談役に退いた。
1974年には明日香村名誉村民となる。1979年、私財70億円を投じて財団法人松下政経塾を設立し、政界にも影響力を及ぼそうとした。
1989年4月27日に肺癌のため、松下記念病院に於いて死去。享年94。法名は光雲院釋眞幸。
エピソード [編集]
浅草寺大提灯浅草寺(東京都台東区)の雷門と大提灯は、100年近く仮設状態のままになっていたところ、1960年に幸之助がポケットマネーを寄進して現在の形に再建された。提灯の『雷門』の下加輪には『松下電器産業株式会社 松下幸之助』と金文字で大きく刻んだ一際目立つプレートが貼られているが、これを『パナソニック』へ書き換える予定は無い。
トヨタ自動車中興の祖・石田退三を師と仰ぎ、尊敬しており、自社の役員さえも石田の元に勉強させに行かせるほどであった。
自転車屋奉公時代、店主に度々タバコを買いに行かされた。その際一々買いに出かけるより纏め買いして置けば、直ぐタバコを出せる上、単価も安くなるため、これを利用して小銭を溜めた。しかし丁稚仲間から告げ口され、店主から大目玉を食らう。この頃から商才を顕すと共に、独り勝ちは良くないとも気づく。
同郷の後輩の八尾敬次郎は、幸之助の成功を追って上京し、浅草の蓄音器屋の丁稚から身を起して、八欧電機、後のゼネラル(現:富士通ゼネラル)を創業。八尾は終生幸之助を敬愛していた。
小売り業者の立場から、松下商法を辛辣に批判し続けた宮路年雄(城南電機)も、同郷の後輩に当る。
1932年、事業拡大のため門真市に本社・工場を移転した。当時門真市から枚方市にかけての地域は大阪市内から見て鬼門に当たるとして開発が遅れていたが、東北に細長く延びる日本地図を指して「日本列島はほとんどが鬼門だ」と述べて断行した。
創業地の大阪市大開に思い入れがあり、本籍を大阪市大開から動かさなかった。
スバル・360に発売前から興味を示し、初期ロットを本人名義で購入したが、自動車製造進出のための研究に供したのみで、結局断念した。現車は分解され行方不明。
同時期に勃興したコンピュータの将来性を見抜けず、「得体が知れん」「ソロバンで十分」との理由で厳しく諌めたことで、同社はこの分野への参入機会を逸した。
米タイム誌国際版の表紙を飾った2人目の日本人実業家である(1人目は日本郵船の各務鎌吉が戦前に)[3]。
1965年の第16回NHK紅白歌合戦に審査員として出場した。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)に松下電器館を出展。話題になったタイムカプセルには、全国の小中学生の手紙や、当時の物品が埋蔵された(30周年の2000年に一度発掘開封、中身を虫干ししている)。
酷暑にも関わらず、入場2時間待ちで並ぶ一般客の行列に日陰が無いことに気付き、「松下館」と大書した紙製の帽子を配布するよう担当者に指示した。これが会場外でも宣伝になって、松下館は更に人気を呼んだ。またタイムカプセルのミニチュアをカラーテレビの景品として頒布し、販売強化に繋げた。
趣味は株式投資。ナショナル証券を自らの肝入りで1948年に設立したが、この分野で大成するには至らなかった。
終生紀州弁で通した。晩年は声量が落ち、筆頭秘書が通訳を務めた。
郷里の和歌山市に、友人達から贈られた「松下幸之助君生誕の地」の石碑(同郷の湯川秀樹の揮毫)と、幸之助がポケットマネーで寄付した和歌山市立松下体育館や、和歌山城西之丸庭園(紅葉渓庭園)内の茶室・紅松庵がある。
東京ディズニーシーのインディ・ジョーンズ・アドベンチャーのキューライン(cue line―並ぶ列)に展示中の、インディ博士の作業卓上の新聞に、幸之助の顔写真が載っている。パナソニックが同アトラクションのスポンサーであるため。
語録 [編集]
「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、通行人が之を飲んでも咎められない。それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵たらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る」(『水道哲学』)
「商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり」
「企業は社会の公器である」
「商人に好況、不況は無い。何れにしても儲けなくてはならぬ」
「商売人が、事業をやって儲けないということは、戦争に行って負けたのと一緒です。医者だったら誤診と一緒です。絶対に許されないことです。」(『熱海会談』にて)
「二階に昇りたい、何とかして昇りたい、二階に昇ることが唯一の目的だ、と熱意のある人はハシゴを考える。」
「他所(よそ)さんの品もんのええ所を徹底的に研究して、何か1つか2つ、足せばええんや。」(二番手商法、マネシタ電器と揶揄された所以)
「ご苦労さん。ええもんが出来たな。さあ、今日からこの商品が売れなくなるような新商品をすぐに作ってや。」(新製品内覧会で)
「ベータは100点満点。でもVHSは120点や[4]。」(子会社の日本ビクターで高野鎮雄に)
栄典 [編集]
称号 - 和歌山市名誉市民(1960年)、明日香村名誉村民(1974年)、早稲田大学名誉博士(Doctor of Laws)、同志社大学名誉学位
位階勲等 - 正三位勲一等旭日桐花大綬章(それ以前に、勲一等瑞宝章 紺綬褒章 藍綬褒章)
爵位 - マレーシアタン・スリ(伯爵相当)
その他、オランダ経済提携親善功績章受章。
創設に関わった賞としては「日本国際賞」など。
系譜 [編集]
松下房右衛門
保田興一郎 とく枝 松下政楠 平田東助 前田利昭 三井高棟
井植歳男 むめの 松下幸之助 平田栄二 静子 前田利定 慶子 三井八郎右衛門
井植敏 幸子 松下正治 平田克己 宣子
井植敏雅 ヒロ松下(弘幸) 松下正幸 敦子
閨閥 [編集]
義弟の井植歳男は創業期からのパートナーだったが、GHQの公職追放処分への対抗目的で、暖簾分けされ三洋電機を創業し独立。
長女幸子の婿養子に旧華族(伯爵)で日本画家の平田栄二の次男正治をむかえた。正治の祖父東助は旧米沢藩士で桂太郎内閣では内務大臣を務めた人物である。また、正治の母方の家系・前田家は上野七日市藩藩主の家系。正治の兄弟・平田克己の妻・宣子は三井惣領家に連なる。
系図外だが、三井高棟の孫・博子はトヨタ自動車の元社長・豊田章一郎の妻であるため、豊田家とも遠縁の関係にある。また、幾人かの婚外子を残し、全員が相続人になっている。
記念碑等 [編集]
大阪市東成区内にある松下幸之助起業の地の石碑
松下幸之助創業の地(パナソニックグループ発祥の地)の案内看板
野田阪神付近にある松下幸之助創業の地(パナソニックグループ発祥の地)への案内看板
商店街にある松下幸之助創業の地(パナソニックグループ発祥の地)への案内看板
脚注 [編集]
^ 納入部品を検査不合格にしたところ、「しゃぁない、ほな、2割引でどうだす?」と持ち掛けられる有様だった。
^ 1931年にはテイチクに出資しているが、RCAビクターへの強い憧憬があった。
^ Time:1962年2月23日
^ VHSは当初画質で劣ったが、部品点数・調整箇所が少なく、製造原価が安い。また軽量で客が店頭から持ち帰れるため、配送費も掛らない。後に3倍モードが追加され、録画時間でも優位に立った。
主著 [編集]
『PHPのことば』(PHP研究所・甲鳥書林、1953年4月) - 一般向けで初の著作
『道をひらく』(PHP研究所、1968年5月) - 450万部を超える大ベストセラー。カラーテレビの景品として頒布された大阪万博松下館タイムカプセルの模型にも、数cm角の豆本化されて内蔵されている
『続・道をひらく』(PHP研究所、1978年1月)
『商売心得帖』(PHP研究所、1973年2月) - 85万部
『経営心得帖』(PHP研究所、1974年7月) - 45万部
『指導者の条件』(PHP研究所、1975年12月) - 55万部
『社員心得帖』(PHP研究所、1981年9月) - 45万部
『人生問答(上・中・下)』(共著:松下幸之助・池田大作)潮出版社
評伝 [編集]
『同行二人 松下幸之助と歩む旅』(北康利、PHP研究所、2008年)
松下幸之助を演じた俳優 [編集]
渡辺いっけい ドラマ「田原総一朗の人間発掘スペシャル 故・松下幸之助の経営戦略に迫る」 テレビ朝日(2001年)
仲代達矢 映画「陽はまた昇る」(2004年)
藤村俊二 ドキュメンタリー「世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS」 テレビ東京(2008年)
宝田明 映画「破天荒力 箱根に命を吹き込んだ男たち」(2008年)
関連項目 [編集]
和歌山県出身の人物一覧
歌のない歌謡曲
松下政経塾
パナソニック - 旧・松下電器産業
PHP総合研究所
PHP研究所
陽はまた昇る (映画)
石清水八幡宮
パナソニックショップ - 旧・ナショナルショップ
系列電器店
阪神間モダニズム
稲盛和夫
司馬遼太郎 - 対談記録が司馬の対談集「土地と日本人」(中央公論社、後に中公文庫)に収録されている。
神宮茶室
坂崎幸之助(THE ALFEEのメンバー、幸之助の名前は本名ではなく芸名。自分の名前が嫌だったことから家の隣が電器屋だったので幸之助と付けた。)
森戸辰男
パナソニック ドラマシアター - 旧・ナショナル劇場
椿大神社(境内末社に松下幸之助を祀る「松下幸之助社」がある)
外部リンク [編集]
創業者・松下幸之助 一日一話(パナソニック公式)
松下幸之助 成功塾~道をひらく
松翁論語 - 松下幸之助に学んだ経営
東成まちかどツアー、松下幸之助起業の地(大阪市東成区ホームページより)
『松下幸之助創業の地』(福島区「大開町と松下幸之助に関する事業」委員会ホームページ)より
松下幸之助 「経営百話」(mora 音声コンテンツ)
早稲田大学|大学案内|名誉博士学位贈呈者一覧
先代:
- 松下電器産業・パナソニック
社長
初代:1935年 - 1961年 次代:
松下正治
[表示]表・話・編・歴パナソニックグループ
[表示] パナソニック
IT教育研究所 | eネット事業本部 | AVCネットワークス社 | エナジー社 | オートモーティブシステムズ社 | コーポレート情報システム社 | 国際商事本部 | システム創造研究所 | システムソリューションズ社 | セミコンダクター社 | デザインカンパニー | ホームアプライアンス社 | モータ社 | ライティング社
[表示] パナソニック電工
朝日電装 | アロービジネスメイツ | 池田電機 | 池田デンソー | イコマライティング | 石垣電材 | ヴイ・インターネットオペレーションズ | エヌピー・エック | エフ・テクノ | M・NES | 大谷ライティングガラス | オームズ | 沖電気防災 | かごしま電工 | 神奈川電材 | 紀南電工 | 九州サンクス | キューテック | クボタ松下電工外装 | 群馬電材部品 | ケイミュー東京外装 | ケイミュー東住建 | ケイミュービューセラ | ケイミューホームテック | 興陽電機 | 五光電機 | 佐用池田電機 | SUNX(サンクス) | 首都圏電工 | 新和照明 | 誠和産業 | 中国機材設備 | デンザイ東亜 | 中谷電気 | ナショップシステム | パナソニック電工朝日 | パナソニック電工インテリア照明 | パナソニック電工インフォメーションシステムズ | パナソニック電工AWE | パナソニック電工エイジフリーサービス | パナソニック電工エイジフリーショップス | パナソニック電工エイジフリー・デイサービス | パナソニック電工SPT | パナソニック電工エンジニアリング | パナソニック電工帯広 | パナソニック電工尾張 | パナソニック電工解析センター | パナソニック電工香川 | パナソニック電工化研 | パナソニック電工北関東 | パナソニック電工北九州 | パナソニック電工岐阜 | パナソニック電工クリエイツ | パナソニック電工群馬 | パナソニック電工ケアサービス | パナソニック電工建装照明 | パナソニック電工郡山 | パナソニック電工滋賀 | パナソニック電工システムソリューション | パナソニック電工施設照明 | パナソニック電工制御 | パナソニック電工制御テクノ | パナソニック電工創研 | パナソニック電工竜野 | パナソニック電工知的財産センター | パナソニック電工テクノサービス | パナソニック電工テクノストラクチャー | パナソニック電工電子材料販売 | パナソニック電工電路 | パナソニック電工東海 | パナソニック電工名古屋 | パナソニック電工ネットワークス | パナソニック電工バス&ライフ | パナソニック電工バス&ライフ水戸 | パナソニック電工ビジネスサポート | パナソニック電工ビルマネジメント | パナソニック電工ファイナンス | パナソニック電工福祉センター | パナソニック電工物流 | パナソニック電工防災システムズ | パナソニック電工ホームエンジニアリング | パナソニック電工ホームソリューション | パナソニック電工四日市 | パナソニック電工ライティング・デバイス | パナソニック電工ライフテック | パナソニック電工リビング沖縄 | パナソニック電工リビング関東 | パナソニック電工リビング九州 | パナソニック電工リビング近畿 | パナソニック電工リビング四国 | パナソニック電工リビング首都圏 | パナソニック電工リビング中国 | パナソニック電工リビング東海 | パナソニック電工リビング東北 | パナソニック電工リビング北陸 | パナソニック電工リビング北海道 | パナソニック電工ロケーションシステムズ | パナソニック電材京都 | パナソニック電材システム | パナソニックホームエレベーター | 福西電機 | 松尾産業 | 松阪精電舎 | マルタカ電工 | 八州電気工業
[表示] パナホーム
入江工営 | ウエキグミ | 神奈川西パナホーム | 京都パナホーム | 埼玉西パナホーム | 山陽建設 | 松栄パナホーム熊本 | 昭建 | 高橋工業 | 中央建設 | 中央ホーム | ナテックス | パナホーム愛岐 | パナホーム伊賀 | パナホーム大分 | パナホーム北関東 | パナホーム北九州 | パナホーム滋賀 | パナホーム静岡 | パナホームセキショウ | パナホーム多摩 | パナホーム知多 | パナホーム東海 | パナホーム長崎 | パナホーム長野中央 | パナホーム兵庫 | パナホーム不動産 | パナホーム和歌山 | ビ・ホーム畳工業 | 姫野組 | ワカバヤシ
[表示] 国内グループ会社
あ - の IPSアルファテクノロジ | アクティブリンク | 朝日乾電池 | アムテック | アルファメッドサイエンス | eスター | ePlatz | イブリダセル | AJT | エクセルインターナショナル | エクセルソフト | エコロジーネット | SiM24 | MT映像ディスプレイ | ガンバ大阪 | キャリアコンシェルジュ | クリエイターズグループMAC | 健康管理センター | サイファイフォールディングス | 産業衛生科学センター | 新日本工業 | スマック | 住信・松下フィナンシャルサービス | スローネット | 中部エコテクノロジー | 辻中電化工業 | 東京健康管理センター | 東芝松下ディスプレイテクノロジー | ナベック | 日本テレネット
パナソニック あ - お パナソニックITS | パナソニックITソリューションズ | パナソニック アドバンストテクノロジー | パナソニック アプライアンスセーフティサービス | パナソニックETソリューションズ | パナソニックEVエナジー | パナソニック インダストリーセールス | パナソニック映像 | パナソニックAVCディスクサービス | パナソニックAVCテクノロジー | パナソニックAVCマルチメディアソフト | パナソニック エクセルスタッフ | パナソニック エクセルテクノロジー | パナソニック エクセルプロダクツ | パナソニック エコシステムズ | パナソニック エコシステムズ大阪 | パナソニック エコシステムズ小矢部 | パナソニック エコシステムズ共栄 | パナソニック エコテクノロジー関東 | パナソニック エコテクノロジーセンター | パナソニックSSファシリティーズ | パナソニックFSエンジニアリング | パナソニックMCE | パナソニックMCGS | パナソニック エレクトロニックデバイス | パナソニック エレクトロニックデバイス ジャパン | パナソニック エレクトロニックデバイス日東 | パナソニック エレクトロニックデバイス山梨
パナソニック か - と パナソニック カーエレクトロニクス | パナソニック介護サービス(サンセール香里園) | パナソニック交野 | パナソニック環境エンジニアリング | パナソニック関係会社共栄共済会 | パナソニック企業年金基金 | パナソニック吉備 | パナソニック教育財団 | パナソニック共済会 | パナソニックグループ労働組合連合会 | パナソニック健康保険組合 | パナソニック コミュニケーションズ | パナソニック コンシューマーマーケティング | パナソニック コンシューマーマーケティング沖縄 | パナソニック サイクルテック | パナソニックCC技術サービス | パナソニックCC九州 | パナソニックCCグラフィックス | パナソニックCCシステムコンサルティング | パナソニックCCソフト | パナソニックCCソリューションズ | パナソニックCCテストラボ | パナソニックCCプロダクトサービス | パナソニック四国エレクトロニクス | パナソニック システムソリューションズ ジャパン | パナソニック情報システム | パナソニック スカラシップ | パナソニック ストレージバッテリー | パナソニック セミコンダクターエンジニアリング | パナソニック セミコンダクターオプトデバイス | パナソニック セミコンダクターシステムテクノ | パナソニック セミコンダクターディスクリートデバイス | パナソニック セミコンダクターデバイスソリューションズ | パナソニック ソリューションテクノロジー | パナソニック・ダイキン空調開発センター | パナソニックWSエンジニアリング | パナソニック テクニカルサービス | パナソニック テクノトレーディング | パナソニック テレコム | パナソニック デンタル | パナソニック トレーディングサービスジャパン
パナソニック な - わ パナソニック ネットワークサービシズ | パナソニック ネットワークマーケティング | パナソニック パーツサプライ | パナソニック バッテリーエレクトロード | パナソニック バッテリーエンジニアリング | パナソニック ビジネスサービス | パナソニック ビジネスシステムズ | パナソニック ビデオカメラ研究所 | パナソニック ファイナンス・ジャパン | パナソニック ファクトリーソリューションズ | パナソニック フードアプライアンス | パナソニック フォト・ライティング | パナソニック プラズマディスプレイ | パナソニック プロダクションテクノロジー | パナソニック ペンションファンドマネジメント | パナソニック保険サービス | パナソニック補聴器 | パナソニック ポリテクノロジー | パナソニック マーケティングスクール | パナソニック メディカルソリューションズ | パナソニック モータエキスパート | パナソニック モータ松阪 | パナソニック モバイル開発研究所 | パナソニック モバイルコミュニケーションズ | パナソニック溶接システム | パナソニック溶接システム加賀 | パナソニック ラーニングシステムズ | パナソニック ライティング香川 | パナソニック ロジスティクス | パナソニック ロジスティクスサービス ジャパン
は - ほ PHP総合研究所 | ピーディーシー | ファンコム | Brothers&Co. | POOLIKA | プログレッシブピクチャーズ | ベンテック | ボイススピリッツ
松下 松下エコウェル | 松下介護老人保健施設 はーとぴあ | 松下看護専門学校 | 松下記念病院 | 松下幸之助頌徳福祉会 | 松下幸之助商学院 | 松下幸之助花の万博記念財団 | 松下国際財団 | 松下社会科学振興財団 松下資料館 | 松下政経塾
ま - わ マナ精密鋳工 | 山形パナソニック | ユージェーティーラボ | ユニトピアささやま | 若山精密工業
[表示] 主な製品ブランド(現行製品)
VIERA | DIGA | LUMIX | D-dock | Let'snote | TOUGHBOOK | VIERAケータイ | EVOLTA | パルック | Strada
[表示] スポーツ活動
パナソニック女子陸上競技部(パナソニックエンジェルス) | パナソニック電工インパルス | パナソニックトライアンズ | パナソニック・パンサーズ | パナソニック野球部
[表示] 関連項目
パナソニックショップ | パナソニックセンター | パナソニック リビング ショウルーム
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E5%B9%B8%E4%B9%8B%E5%8A%A9
" より作成
カテゴリ: パナソニックグループの人物 | 和歌山市の歴史 | 日本の実業家 | 日本の発明家 | 日本の技術者 | 和歌山県出身の人物 | 東成区 | 門真市 | 1894年生 | 1989年没
最終更新 2009年6月11日 (木)