先日、ひし美ゆり子主演『鏡の中の野心』を紹介したとき、監督の小林悟氏の記事を書こうかな…と書いたので…(^^
https://blogs.yahoo.co.jp/y_sirais/29102422.html

映画監督・小林悟。
2001年、71歳で没するまでに450本以上の映画を監督したスゴイ人。
35ミリフィルムを使った劇場映画の監督本数としては史上最多の作品数を誇ります。

学生時代にアルバイトで映画業界に足を踏み入れ、やがて新東宝の小森白監督に付き腕を磨きました。

そして1959年、菅原文太主演『狂った欲望』(協和プロ製作、新東宝配給)で監督デビュー!

イメージ 1

続けて同年、大空真弓主演『十代の曲り角』(富士映画製作、新東宝配給)や…

イメージ 2

池内淳子主演『危険な誘惑』(富士映画製作、新東宝配給)を撮ります。

イメージ 3

翌60年には「まぼろし探偵シリーズ」(富士映画製作、新東宝配給)の第二弾『まぼろし探偵 恐怖の宇宙人』、

イメージ 4

第三弾『まぼろし探偵 幽霊塔の大魔術団』などを監督。

イメージ 5

しかし翌61年に新東宝が倒産。
四代目社長を務めた大蔵貢は1962年に大蔵映画を興します。

ここで小林は日本におけるピンク映画第1号作品『肉体の市場』(協立映画製作、大蔵映画配給/1962年)を監督し大ヒット!

主演はそれまで久木登紀子名義で日活の女優だった香取環。
その後も約600本ものピンク映画に出演した重鎮です。

イメージ 6

共演は新東宝の女優だった扇町京子。
1965年には志摩みはる主演『やくざ芸者』を監督。
日本で初めての「成人映画界の女性監督」となりました。

イメージ 7

『肉体の市場』は完全な形でのフィルムは現存しておらず2005年公開のドキュメント『ピンクリボン』(アップリンク配給)でその一部を見ることができます。

イメージ 8


同じ1962年、さらに『沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り』(大蔵映画製作・配給)を監督。
主演女優は『肉体の市場』同様、香取環と扇町京子。
https://blogs.yahoo.co.jp/y_sirais/28743576.html

イメージ 9


一般映画では1966年にはで天知茂主演・『黒幕』(創映製作、松竹配給)を撮りますが…

イメージ 10

その後もピンク映画を量産していきます。

イメージ 11
『女の反応』(東京プロ製作、六邦映画配給/1966年)


イメージ 12
『みだれ髪』(大興映画製作、六邦映画配給/1966年)


しかしピンク映画に飽きた彼は1968年から数年、海外へ渡りいくつかの映画やテレビの監督として活躍。
帰国後は…やっぱりピンク映画でした(^^;

1972年には前述した『鏡の中の野心』(東活プロ製作、松竹配給)をウルトラセブンのアンヌ隊員でおなじみ、ひし美ゆり子主演で監督。

イメージ 13


92年にはVシネマにもチャレンジ!
『ザ・ブラインドキャット』(ファントムプロダクツ製作)を監督します。

イメージ 14

主演は高橋めぐみ。
盲目の按摩師で悪い奴らを懲らしめます。女座頭市現代版(^^

イメージ 15

彼女の理解者でもある刑事には牧冬吉!白影っ!!

イメージ 16

特別出演には淡谷のり子先生や…

イメージ 17

この作品のテーマ曲を歌ってる中村晃子。

イメージ 18

チンピラ役で俳優兼スーツアクターの大滝明利も出てる(^^

イメージ 19

他にもウルトラマンレオのスーツアクターが殺陣として参加。
ちょこっと俳優としてもでてます。

さて、小林悟監督。冒頭で小森白監督に付いていたと書きましたが…
小森白監督の『大東亜戦争と国際裁判』などに主演したアラカンこと嵐寛寿郎の甥っ子である山本竜二も出てます(^^;

イメージ 20

その後も次々にピンク映画を撮り続け97年には小林ひとみ主演『小林ひとみ 快楽熟女とろける』(大蔵映画製作・配給)を監督。

イメージ 21

イメージ 22

そして、2001年の川奈まり子主演『川奈まり子 桜貝の甘い水』(小林プロダクション製作、オーピー映画配給)が遺作となりました。

イメージ 23

イメージ 24

平成ゴジラのスーツアクター・薩摩剣八郎も出てます(^^;

イメージ 25

そういえば小林監督、かつての新東宝監督仲間である石井輝男が監督した『地獄』(石井輝男プロ製作、オーピー映画配給1999年)では製作総指揮として活躍してました。

イメージ 26

こっちにも薩摩剣八郎が出てるぞ~

イメージ 27

ちなみに美術・造形は原口智生!

氏の亡きあと、最多監督数を追っているのが、かつて小林監督の助監督についていた小川欽也監督。
すでに400本以上を監督し、83歳の今でもピンク映画を撮り続けています。
ちなみに1959年ニッサンプロで連続テレビ映画『大海獣ゲボラ』のパイロット版を撮影したのが小川監督。

残念ながらゲボラはオクラ入りとなり翌年『怪獣マリンコング』として結実します。(残念ながらマリンコングに小川監督は参加していません)

小林監督といい、小川監督といい、なんらかの形でテレビ特撮黎明期にかかわっているんですね~