私には、「信じる」という言葉の

自分なりの定義があります。



よく、彼のことを信じてみよう!とか

もう一度だけ信じてあげる!とかって話ありますよね。



私は、そういう考えになることはないんです。



信じてる人は、私にもきっと確実にいます。



でも、その人達を

信じようとして信じている訳ではないんです。



“気付いたら”信じていたんです。



なんとなく一緒に過ごしていて、ふと考えると、

あれ?私、この人のこと信じてるなって。



それと繋がっているんですが、だから私には

「裏切られる」という感覚が、

記憶に残っている限りではあまりないです。



「裏切られる」って、無理やり信じようとしていて、

相手に勝手に期待や、

この人はこういう人だ、と自分の思いたい様に思い込んでいた。



結果、それが違っていた場合に起こるものなのかなって。



私はぬるま湯に浸かった

甘ったれだから

こんなことが言えるのかもしれません。



これから、今以上にもっと

世間の厳しさを知るのかもしれません。



でも、今のこの考え、

絶対に忘れたくないんです。



「裏切られた」ということは

相手のことを自分の都合の良い様に思い込んでいた、ということ。







「信じる」って、

「守りたい」という感覚に

似ているかもしれません。

私だけかな?



私が、守りたい人、

絶対に守ると決めている人達も

本当に、“気付いたら”でした。



私を傷つけることで

成長するならそれでもいい。



私が傷つけることで

成長するならそれでもいい。



一緒に泣いて癒やされるなら

それでもいい。



隣りで笑うことで癒やされるなら

それでもいい。



でも絶対に、1人だと思わないで欲しい。



どんなことがあっても

1人にはならない。



1人にはさせない。



だって、あなたがいる限り

私も1人じゃない。



あなたが居てくれたから

私がいる。







「信じる」とか「守る」とか

きっと簡単なことじゃないです。



でもだからこそ、

守りたい人、信じてる人達の

存在はとてもとても

尊いんです。

愛せるんです。











なんか眠れなかったので、

私の考え吐き出してみました☆