おはようございます晴れ

最近、とっても嬉しいことがありましたキラキラ

高校時代から、詳しく言えば中学の終わり頃から、
ずっと連絡の取れなかった友人が、
今も元気にしていることが分かったのです^^*

彼女とは、栃木に居た小学生から中学生の間、
毎週東京まで、習い事の為に遠征していた時の
友達であり、ライバルでした。

でもあの頃の私には、彼女がライバルだという意識はなかった。
ライバルと認めていれば、こんな風にならなくて済んだかもしれない。
でも私は、むしろ「友達」という感覚だった。
それ故、妬みや僻み、そういった感情が大きくなり、
挙句の果てに私は、彼女を嫌いだと、認識していました。

「友達だけど嫌い」
思春期の、特に女の子では、多くの人がこの感情を
経験したこと、あるのではないでしょうか?
嫌いだけど、一緒に居る人がいなくなっちゃうから…
嫌いだけど、好きなフリをしなくちゃ…
嫌いだけど、嫌われたくないから…
思春期に、いや、大人になった今でもこの考え、
私の見ている狭い範囲では、あるように思います。

当時の私は、その感情がどんどんふくらみ、
彼女に本当に最低なことをしました。
絶縁を申し出て、今までのことは全て嘘だったと…。
あの時の彼女の気持ちを思うと、
謝っても謝ってもすまされないでしょう。
そしてそれ以来一度も、連絡をとっていません。

絶縁したら清々するだろうと、幼かった頃の私は思っていました。
ところが、8年経った今でも、彼女の存在を忘れることが出来ません。夢さえ見ます。
嫌いなはずなのになぜ気になるのだろう?
何故ずっと後悔し続けてるのだろう?
簡単なことでした。
「嫌い」じゃないからです。
私が嫌いだったのは、彼女の鏡にうつる、
私自身の欠点や怒りだったのです。
それを見たくなかったから、ずっと目を背けてきた。
でも同時に、彼女の魅力的な人間性に、強く惹かれていた。
2つのジレンマに、ハマってしまっていただけでした。

だから、彼女が現在社会人としてしっかり働いている、という話を聞いた時、
涙が流れました。
大げさかもしれませんが、今まで生きているかさえ
分からなかったからです。
彼女は彼女の人生を、ちゃんと歩いているということを知れただけで、心の底から嬉しかったです。

直接話が出来たわけではないのですが、
時がきたらきっと、また出逢えると信じています☆

その時は、色んなことを
話さなきゃ。