ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

 年末年始、ニュースの主役は帰省ラッシュにUターンラッシュだ。苦労して帰省して、数日でまた戻ってくる。電車は混んでいるし、道路は渋滞する。大変だなぁといつも思っている。

 

 孫を迎えて喜ぶ祖父母と、年が明けて別れを惜しむ子や孫をニュースで見ていて、本当にこういうことってあるのかと、毎年思う。というのは、私も亡夫も東京生まれの東京育ちで、帰省というものを経験したことがないからである。

 

 私の両親は岡山から出てきて結婚したが、年末年始に帰省をしたことがない。父親が帰省を嫌ったからだ。別に両親と不仲だったわけではない。

 

 混んでいると決まっている時に行き来することを、合理主義者の父親は馬鹿らしいと考えていたのである。同じ理由で初詣にも行ったことがない。せっかくの正月に、わざわざ人混みに出ていく必要はないという考えだった。

 

 とは言っても、私の亡夫にも実家がある。東京の下町である。結婚して数年は、私も正月に行っていた。が、そのうち文化が合わないのが苦痛になり、夫と子どもだけで行かせるようになり、やがてそれもなくなった。

 

 東京育ちなら、文化の差などないと思われるかもしれないが、東京の文化は多様である。地域によってかなり違う。夫は典型的な下町文化の中で育ち、私は正反対の山手育ち。いや、中央線サブカルチャー育ちと言った方がいいかもしれない。

 

 高校も大学も中央線沿線。一時ブームになり、もはや定着した荻窪ラーメンは放課後、普通に食べるものだったし、「まんだらけ」などでサブカルの聖地となった中野ブロードウェイには、小学生の頃から通っていた。高円寺や阿佐ヶ谷にはライブハウスがたくさんあった。

 

 私は長く新宿区に住み、新宿が大好きだった。新宿というと西口の高層ビル街、おしゃれになった南口、それに新宿通りのある東口、さらに最近、トー横キッズで注目されている歌舞伎町などを連想させるらしい。

 

 しかし、新宿にもまた多様な文化がある。料亭の街・神楽坂、出版社が集まる飯田橋、学生が集まる水道橋やお茶の水、昔からのお屋敷街であり、二二六事件の舞台となった四谷。

 

 今はコリアンタウンや国際通りと呼ばれている百人町は、かつて鉄砲隊百人同心が暮らしていた。たんす職人が集まっていた箪笥町もあり、新宿の魅力は尽きない。そもそも昔は内藤新宿と言った。甲州街道最初の宿場町なのである。

 

 だから山手線沿線に引っ越す時は、都落ちしたような寂しさを味わった。さらに都落ちして、ギリギリ23区とはいえ私鉄沿線で暮らすようになった今から思えば、山手線沿線は悪くなかった。

 

 亡父の家族とはもう、ほとんど連絡も取らない。最後に会ったのは、亡父の父親が死去した時である。以後はメールのやりとりが数回、電話で声を聞いたのが一回ぐらい。義理の父の納骨関連の用事だった。

 

 かくして同じ東京生まれでも、うちと亡父の家族とは再び他人に戻ったのである。東京育ちでも、他の地域だったらもう少しいい関係が築けたかもしれない。しかし台東区と新宿区、下町と中央線沿線とではあまりにも文化が違う。

 

 それでも私に、文化の違いを超える気持ちがあれば、なんとかなったのだろう。でも私にはそういう気持ちがなかった。中央線サブカルチャーへの愛着がすごく強かったし、それが私の文化的基盤でもあったからだ。今では全てが夢のように思える。

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