言語の恣意性
「言語の恣意性」の説明で言われてるのはまず「単語の恣意性」
「単語の恣意性」とは、単語の成り立ちというものはある程度は追跡できても、結局のところはわからないってこと
「私」とか「我」とか「I」とか「なんで?」って突き詰めても、それは「恣意的にそうなってる」ってしか言えないってわけ
で、その他の恣意性について、よく教科書に出てる例文がこれ↓
1. I eated too much.
2. I ate too much.
3. I had too much to eat.
「eated」でなくなんで「ate」かってゆーと、それもこれが「文法の恣意性」の話
ここでの「文法」は「用法上の慣習的整合性」って意味
「共通性」って意味だと、恣意=例外なわけで、概念的におかしくなってしまうわけ
んで、なんで「2. I ate too much.」でなく「3. I had too much to eat.」かってゆーと、それが「表現の恣意性」の話
同じ概念でも、表現方法自体が言語毎に恣意的に異なると
そもそも、「食いすぎた」という概念を表すには「3. I had too much to eat.」だけ知ってればいいわけで
単語とか文法とか表現とか細かいこと言わずに、まとめて「言語の恣意性」と言ってしまえと













