私が小・中学性のころ、つまりもう20年くらい前、「トリビアの泉」という番組があった。

 

 

当時の私も大好きな番組だったし、番組放送翌日はクラスでその話題で盛り上がったものだった。

 

 

番組の中で使用される「へぇ〜ボタン」も人気で、クラスの中でどうでもいい雑学を披露した人間が出現した際にはみんなで「へぇ〜」と言ったりもした。

 

 

その番組の冒頭では番組のコンセプトと絡めてアイザック・アシモフという作家の言葉を紹介していた。

 

 

「この地球でトリビアを増やすことに喜びを感ずるのは人間のみである」

 

 

「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」

 

 

(ウィキペディア引用)

 

 

実際あの番組を見ながらテレビの前で「へぇ〜」と言うのは私にとって一種の快感だった。

 

 

あれから20年ほど経った最近、私はなんとなくそのアイザック・アシモフの作品『鋼鉄都市』を読んだ。

 

 

一人の刑事がの殺人事件の捜査しながら人類がこのまま種として存続し続けるためにはどうしたらいいのかを模索する物語。

 

 

アシモフが提唱したロボット工学三原則のルールに従って製造されたロボットを中心に描かれるこの物語は複雑でスリルのある物語だった。

 

 

人類のロボットに対する劣等感舐め尽くすことを通して見えてくる人類の美しさ、そして優位性。

 

 

そういう点ももちろん魅力的だったが、それ以上に私は作品の中でのロボットのセリフが強く印象に残った。

 

 

「しかし、あなたが好奇心という用語でほんとうにいっている知識の無目的な拡大は非能率です。わたしは非能率を避けようとするように設計されているのです」(アシモフ『鋼鉄都市』)

 

 

このセリフで昔大好きだった番組「トリビアの泉」を思い出した。

 

 

そう、無意味で非合理的なことをしてしまうことこそ人類の人類たる所以ではないか。

 

 

一見無意味に見える知識(トリビア)を自ら求め、そこから快感を得ることこそが人類ではないか。

 

 

今作家・モデル・ライターとして仕事をしていく中で何度も言われてきたことがある。

 

 

「こんなものに意味はあるのか。価値はあるのか」

 

 

アシモフの『鋼鉄都市』を読んだ私は、そして昔「トリビアの泉」を楽しんで見ていた私は、今なら胸を張って言い返せる。

 

 

「意味があるのかないのかにこだわるなんてつまらない人間だな!無意味なことをあえて楽しんでこその人類だ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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