中学3年生の頃から「歴史小説を書きたい。『項羽と劉邦』や『三国志』の物語を自分でも書きたい」と思ってきました。
若かりし頃はただひたすらに知識を集めることに夢中で。片っ端から関連書籍を買って、知らなかったことを知って悦に入っていました。
そんな風に知識を集めていると、なんだか学者になった気分になって。
実際歴史学者や歴史小説家、それだけでなく歴史ゲーム製作者や番組のディレクターやなんかも、もともとは「オタク」から始まったんじゃないかとは思います。
好きこそ物の上手なれ。そのノリでいつのまにか「歴史」が仕事になってた。そんなものなのではないかと。
「歴史」というジャンルは【オタク】と【専門家】の垣根がとても曖昧なんだと思います。
ただ、私も2月に『刎頸の交わり』という故事成語の物語を書いたり、「項羽と劉邦シリーズ」の1巻目を出したりするようになってから敢えて「歴史」が「仕事」になる瞬間はどこなのだろうと考えてみました。
「ただの歴史オタクと、歴史を仕事にしている人の違いは何?」
私なりの考えとしては、
ただ知識を集めてそれを並べているのがオタクで、
知識を集めて飲み込んで消化して知識に別の価値を与えて世に出すのが「歴史を仕事にしている人」。
……ではないかなと思いました。
本当にオタクと専門家の境目が曖昧な世界だから、私から見たら「仕事にしている人」でも本人としては「オタク」であることもあるし、逆に仕事として名乗っている人のことをオタクだと言う人もいるかもしれません(ただし後者はだいたい歴史インテリ気取りの権威好き。割とつまらない人たちだったりはする)。
一昔前は「オタク」はなんだか暗いイメージがあったけれど、ここ数年でどのジャンルでもオタクと専門家の垣根はなくなりつつある気がします。特に歴史はそれが顕著になりやすいジャンルかもしれません。
時勢がそうだから、もっともっと自由にたくさんの人が歴史を楽しめたらいいなと私は思います。
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