(その1 からの続き)
だから、「低い」会社に入る事を避け、少しでも「高い(=大きい)」会社に入るべく、日本人は幼い頃から気の狂った様に受験競争に勤しむ。
子どもたちへのそのストレスは尋常では無く、子どもたちはストレスのはけ口を求め、「いじめ」にはしる。
強いストレスから逃れる為、常にいじめる対象を求め続け、ターゲットが居れば集団で襲い掛かる。
また、大人達が「上」の者には平身低頭で「下」の者には居丈高に接するのを、子どもたちは見ているから、弱い者いじめを止めるものが何も無い。
また、日本の教師は競争を煽るばかりで、「公正」「正義」の価値観を持ち合わせていない。
日本の教師は、いじめ被害者に「いじめはいじめられる方も悪い」と、指導する。
令和の「士農工商」は、江戸時代よりも酷いのではないか?
劣悪な職場環境(長時間労働、「サービス残業」、単身赴任など)、「競争」「競争」「競争」の教育環境。
そんな劣悪な環境の政府当局への蜂起(異議申し立て)を未然に防ぐ為に、庶民の「差別意識」を活用して、現代版「士農工商」よろしく「派遣」「パート」などの身分制もどきを作り、「上」(=政府当局)へのうっ憤を、「下」(=派遣、パート)への「いじめ」で発散させる。
日本では、いじめに依って「社会秩序」は形成されている。
子どもたちは、そんな日本社会の現実を知っているから、また受験競争の強いストレスからも、「いじめ」を止めない。
<むすび ~どうすればいいか~>
どんな会社や職業に就こうが人間らしい暮らしが送れる様に、制度(法律)を作る。(生活できる最低賃金など)
職業差別が緩和されれば、気の狂った受験競争も緩和され、子どもたちは強いストレスから開放される。
「いじめ自殺」は無くなるのではないか?
要は、「人権」が大切にされる社会を作る。
零細・中小企業に勤めていようが、偏差値が低かろうが、その人の「人権」は尊重される。
そんな日本社会をみんなで作って行く。
その取っ掛かりは、「政治のリーダーシップ」だ。
差別を助長したりする選挙候補者には投票せず、「公正」や「正義」を重んじる候補者に投票する。
私見だが、この制度(法律)作りには女性が向いていると思う。
世の半分は女性だ。「国民の代表」である政治家も半分は女性であるべきだ。
日本では、「オヤジ政治」が幅を利かせ、政治を歪めていると思う。
女性の政治参加がもっと進められるべきではないか?
この様な事が、規制緩和や民営化でない、本当の「改革」ではないだろうか?