本来の政治を求めて━━アベ政権から日本国憲法を護る

本来の政治を求めて━━アベ政権から日本国憲法を護る

最近は更新をサボっていますが、私が本来の政治とは何だ、と追求して書いた記事ばかりです。

日本政治に関心がある、政治とは何だろう、政治に疑問を感じると云う方に読んでもらえると嬉しいです。

私は、もう直ぐ還暦になる。

私は、結婚した事が無く、子どもも居ない。


私は、風景が好きだ。

早朝ウォーキングを日課にしていて(体力が衰え、今は止めてしまった)、歩きながら、きれいだなと思った風景をスマホで撮影していた。

その写真は、十数万枚に成る。



私は、結婚もできず、子どもも居ない。

子どもの頃に思い描いていた事(大学進学、結婚し、自分の家庭を持つなど)は、何も成し遂げれず、還暦に成る。

五十歳前頃から、悩みはじめ、何度も、自殺する事を考えた。

自問自答を繰り返し、何とか、生きる意味を見つけたかった。

そんな思いに駆られ、悶々とする時には、近所で、お気に入りの風景が眺める場所に立つ。

その風景を観ていると、悶々とする気持ちが、いくらから癒される感じがする。



その風景は、岩石や石の風景じゃ無い。

山や川、空や雲。

岩石や石も在るが、メインは、山の緑や空の青や浮かぶ雲、流れる川(水)だ。

山の緑は、当然だが、「生命」だ。

空(地球の大気)も、地上の植物や海の植物プランクトンが作り出したものだ。

川を流れる水も、地球の生物の生命活動が関わっている。

私を癒してくれる風景は、「生命」が作り出したものだ。



人は、両親から産まれるが、その両親も、その両親から産まれた。

自分は、何世代もの両親の繋がりの結果、今、生きている。

人(生き物)は、両親のみの子、じゃない。その両親、そのまた両親、そのまたまた両親の子だ。

また、その両親を遡ると、「種」を超える。

人は、哺乳類が、哺乳類は両生類が、両生類は魚類が、魚類は微生物の「子」だ。

地球のその何十億年の「生命」の積み重ねで、私が在り、風景が在る。

自殺する事は、私の両親、そのまた両親、そのまたまた両親への、そして、この地球にある沢山の生命への、冒涜、ではないか?

と、思えて来た。



自殺を考えている人に言いたい。

人の最大の「義務」とは、己の「命」を真っ当する事だ。

その他の義務(仕事の義務や納税の義務など)は、己の生命を真っ当する義務からすれば、二次的な義務だ。

どんな欠陥のある人生でも、この「義務」は果たさなければならない。

完璧な人生など、無い。

完璧な人間など存在しない。完璧な国なんて存在しない。

欠陥ある人生を受け入れ、それと相対し、一歩、一歩、生きて行く。


と、妻も、子どもも、孫も居ない、還暦に成る私は、思っている。