3.11

あの日を忘れない。
忘れないというよりも
私にとってあの日は
一生忘れられないだろう。



震災で亡くなられた方々の

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。





私はあの日

故郷東北を離れた東京 吉祥寺にいた。

人混みで溢れかえ賑わう街並み。

当たり前のように

普段通りの1日を過ごせると誰もが信じていた。


幸せそうな声が響き合うデパートの中で

私は買い物を楽しんでいた。

家族、カップル、友達

其々が其々の時間をあの日生きていた。



なんてことのない幸せな日常。

それが一瞬にして崩壊した。



物凄い地響きとともに

今まで体験したことのない揺れを全身に感じた。

何かを掴んでいないとその場に立っていられない。

世界が歪んで見えた。


そしてそれは物凄く長い

地獄のような時間だった。


本気で"死ぬ"と思った。





揺れがおさまりふと我にかえると

さっきまで綺麗に整頓されていた棚が崩れ落ち、

ガラスの破片が飛び散っていた。



そこら中に響き渡る阿鼻叫喚。



人の渦が一斉に

我先にと 出口に向かう。


押しつぶされる。痛い。怖い。助けて。



そうして何が起こったのか

よく分からないまま私は帰宅難民となった。



営業時間はとうに過ぎた暗いデパートの中で

人々の恐怖や怒りをひしひしと肌で感じながら

身を寄せていた。


情報は全く入ってこない。

分かることは

巨大な地震が起こったということ。



私は生まれも育ちも秋田。

幼い頃5年間仙台に住んでいたことがあった。


東北で暮らす家族や親友は生きているのか?

入院している祖父は大丈夫なのか?


東北には大切な人が沢山いる。

大切な思い出も沢山つまっている

特別な場所。



何時間も時は過ぎていくが

デパートからは一歩も動けず

詳しい情報は何も入ってこない。



しかしTwitterを開くと

信じられない言葉と写真で埋め尽くされている。



「何百という死体が海に浮かんでいる」


全身から血の気が引いていく。

嘘だ、やめてくれ。



恐怖が轟々と渦になって

次から次へと私に押し寄せた。





深夜、バスが動き始めたと知る。

凍えるような寒さの中

さらに何時間もバスの列に並んだ。



こんなことが起きるなんて

1ミリも思っていなかった私は

飲食物を何一つ持っていなかった。



3月だというのに

東京でも凍えるほど寒い。

雪がしんしんと降り注ぐ私の故郷は

大丈夫なのだろうか。

東北の冬は厳しい。

凍えるを通り越して痛みを感じるほどに。




そして私はバスに乗り、

途中から動き出した電車に乗って

朝方自宅に戻ることが出来た。



部屋に入り

恐怖と怒りに震えながら

あの日初めて私は声を出して泣いた。




その日で地獄のような日が終わるわけではなかった。


次々に入ってくる

故郷の信じられない光景と情報に

私はあの時"日本は終わった"と本気で思った。



続く余震に耳を塞ぎたくなるような情報。

明日、私も生きていられるのだろうか。

一睡も出来ない。

ずっと覚めない悪夢をみているようだった。




そして私は故郷から遠く離れた静岡で

アナウンサーになった。


いつか南海トラフ地震という

巨大地震が起こるといわれている静岡県。


定期的に行われる局の訓練はもちろん

個人的に何度も当時のニュースを見返し

シミュレーションを行なった。


轟々と押し寄せてくる悪魔のような物体が

大きな塊となって

私たちの故郷を

思い出の地をのみ込んでいく。

泣き叫ぶようなアナウンサーの魂の声。


あの時の恐怖がフラッシュバックして

何度も吐きながら


それでもいざという時に

1人でも多くの命を守れるよう

その映像を観ながら何度も練習を繰り返した。



そして今私はフリーアナウンサーとなって

故郷東北を拠点に活動をしている。



実際に現地にも足を運び

被災者の方々の生の声を聞いた。

何年経ってもなお残る

被災地の傷跡に私の胸は

大きな刃物で切り刻まれたかのように

ズシリズシリと痛んだ。



当時被災地を取材していた先輩方にも

積極的に話を聞くようにした。

皆、口を揃えていう。

あの時の光景は一生忘れない。

昨日まで生きていたとは到底思えない

黒の塊がそこら中に転がっていたと。



あれから9年たった今日。

秋田で最大震度4の地震が起きた。

秋田市はそこまで揺れなかったが

私はすぐに揺れに気づき

あの時の悪夢が蘇った。

今のところ大きな被害は出ていないことに

深く安堵したが震えは止まらない。




私はあれから地震や災害が起きる度に呼びかける。


正しい情報を素早く発信することを心がけている。


もしかするとその姿は人によっては

「大したことないのに大袈裟だよ」と

思うかもしれないし、

もちろん私自身も人々の恐怖を

無駄に煽ることはあってはならないと思っている。



ただ実際のところここ数年

3.11の出来事が地域によっては

風化してしまっているような気がしてならない。


台風で大雨が降って川が氾濫している

地震が起きた、高波が起きているかもしれない


なかなか見られない光景を

動画に撮影して注目を集めようとする人や

興味本位で観に行く人

大丈夫だと過信してしまう人が沢山いる。


その安易な行動や判断で

失われなくてよかった命が

失われてしまうことが多々起きている。



さらには信じられないデマで人を惑わしたり


相手の立場を考えずに発言をして

心に深い傷を負った方々をより

追い込んだりすることが沢山増えている。




私はアナウンサーとして

いつどんな時も

何かがあった時に

1人でも多くの方の命を守れるよう

覚悟を決めて言葉を発している。


どうかその魂の叫びに

耳を傾けてほしい。



私はいつの日か戦争と同じように

3.11を体験したことがない世代が増え

災害に対して油断してしまい

また多くの命が失われてしまうのではないかと

怖くて仕方がない。


「この程度なら津波なんか来ないよ」

「防災対策?何年か前にやったから大丈夫でしょ」



そんなふうにならないように

あなたに、あなたの心に声を届けています。



私はあの日を絶対に忘れない。

あの日を絶対に風化させない。

次の世代にしっかりと繋げて

1人でも多くの方の命を守りたい。

生きたくても生きられなかった方々のぶんも

しっかりと生きていきたい。



取り返しのつかないことに

なってしまうくらいなら

「今回は大きな被害が起きなくて良かったね」と

笑いあって過ごしていきたいと

心から思っています。



長くなってしまいましたが

私が東北を拠点にすることにこだわっている

理由の一つも3.11がきっかけかもしれません。



言葉では説明できないくらい

私の中には

東北の可能性を信じる気持ちと

何があっても嫌いにはなれない深い愛情が

東北の土地と人に対してあります。



誰にお願いされたわけでもないし

大して影響力もないかもしれませんが

それでも私は今日も明日もこの先もずっと

東北の人間として

この土地と人の魅力を発信し続けます。


それぞれがそれぞれの出来る形で。

復興支援をこれからも続けていきましょう。



3.11        相場詩織