今年で生誕90周年のジェームズ・ディーン(ジミー)は、1931年2月8日、アメリカはインディアナ州マリオンで生まれる。6年後、家族はカリフォルニア州サンタモニカへ移住。たった9歳で母親を癌で亡くした。父親の再婚後、ジミーはインディアナ州に住む叔母夫婦に預けられる。

高校では演劇を学び、その後再び移住したカリフォルニアのUCLAでも演劇を専攻する。在学中に「マクベス」のマルコム役に抜擢されたことを機に、大学を中退して本格的に俳優を目指す。

ペプシコーラのCMやTV番組に出演しながら、名門の俳優養成所アクターズ・スタジオに入門する。そこで設立者のリー・ストラスバーグから、役柄の内面を自然に表現する『メソッド演技法』を習得し、その拗ねたような母性本能をくすぐる表情や憂いを帯びた風貌と相まって、次第に注目される存在になった。


1953年、ジョン・スタインベック原作の『エデンの東』の映画化に着手していたエリア・カザンは、脚本家ポール・オズボーンの推薦を受け入れて主人公のキャル役にジミーを抜擢。

スタインベックはこの配役に反対だったと言われるが、愛に飢えた 少年の魂の叫びを即興演技で見事に表現したジミーは『怒れる若者世代』を代表する演技派として広く知られることとなる。



同年に公開された『理由なき反抗』では、自らをコントロールできずにいる不良少年らしい言動によって、親世代との対立を心ならずも深めてしまう若者を演じきり、俳優としての立ち位置を確立する。

この2作で定着したイメージから払拭するために選んだのが『ジャイアンツ』だった。 この作品で彼は、牧童から一転して石油王に成り上がっていく男の不幸な結末を、老けメイクで熱演した。


だが、この映画の撮影がアップした直後の1955年9月30日、愛車のポルシェでカーレースに向かう途中、州道の交差点を曲がろうとしていた車に激突!24歳の若さでこの世を去る…

『理由なき反抗』は彼の死後1ヶ月後に公開された。翌年の第28回アカデミー賞では『エデンの東』の演技によって、さらにその翌年には『ジャイアンツ』で主演男優賞候補にノミネートされている。

故人として2年連続のオスカー候補という記録は、未だに破られていない。結婚を考えていたという俳優仲間のピア・アンジェリとの熱愛や、レーサーになることを本気で考えるほど熱中していたモータースポーツなど、僅か四年間の華々しい活躍期間であった。



映画界にとどまらず、『理由なき反抗』で彼が表現した生き方やスタイルは、エルヴィス・プレスリーやエディー・コクランなど、後に一時代を築いたロックンローラーにも、強く影響を与えた稀代の映画スターだといわれている。

さて、ここから先はあくまで私の推論である。彼の演技の異常なまでのリアリティーは、幼少期の寂しすぎる環境から来るものではなかったか?わずか9つで母親をガンで亡くしたというのだから、甘えたい盛りの幼な子にとってはあまりにも過酷な試練である。

私事だが、わたしの場合は8人の大家族だったということもあり、周囲には誰かしら面倒を見てくれる人がいた。それでも、ある日の夕方母が大切な会合のために長時間家を開けるという時になって、わたしはとにかく行かないでくれと大泣きに泣きながら、母のスーツの上着のポケットを両手で必死につかんだまま全体重をかけ、ついには破いてしまったのである。確か4、5歳の頃のハプニングだったが、いまだに鮮明に覚えている。

まだ生きている母親の不在さえ、耐え難いほど辛く寂しいものなのに、もう既に天国へ行ってしまった母親を恋しがる孤独なジミーの寂しさはどれほどのものであったか…筆舌に尽くしがたい。

再婚後の父親の仕打ちも見逃せない。どんな父子関係だったか知らないが、まだ年端もいかない息子を叔母夫婦に押し付けるとは何事か。どんな事情があったとしても手元に置き、亡き妻の分まで息子に愛情を注ぐべきだったのではないだろうか?

どんなに渇望しても満足な愛を得られなかったジェームス・ディーン。
母親の早すぎる死による欠落感。無神経な父親による愛の欠乏感…。これらは、どれほど時が経とうがどんなに努力しようが、もう二度と絶対に得られないものである。

彼が演技の世界にのめり込んでいったのは、現実の世界では決して得られることのない肉親の愛を、俳優として登場人物になりきることによって、演技をしている間だけは愛情不足を補ってくれる相手役(特に父親役)に求めているような印象を受ける。

「自分はこれほど愛しているのに、あなたはなぜ愛してくれないのか!」とでもいうような爆発的な感情を、全身全霊で表現しているように思えてならない。

演技を終えた後の何とも言えない空虚感が彼を襲った事は容易に想像できる。胸にぽっかりと大きな穴を開けたその虚無感が、あまりにも早すぎる哀しい最期に影響を与えたかどうかは、今となっては誰も知るよしがない…






画像はPinterestより拝借しました。深謝します。


2021年2月28日 仙堂詩織