松本さんのツイッターを見て、先週の悲しかったことを思い出したので少し書いてみます。
あくまで私の個人的感情ですのでご理解を。
新幹線で子供がうるさい。
子供に罪はなし。
親のおろおろ感なしに罪あり。
確かにおっしゃる通り。
何も気にしない親がいると、イラっとしますよね。分かる分かる。
注意するにしても、
「あの人に怒られるからやめなさい」
っていう注意の仕方もキライ。
あの人が起こる前にお前が怒れ!
親だろ!
なんて事は多々あるものの、子供が煩いのはある程度は仕方ない。
ただ問題なのはそれをドコマデ許諾し、ドコカラ注意するか。
そして、その価値観がそれぞれ違う上、この感じ方の幅が広いというのが親と傍観者における最大の壁。
親にとっては煩いのはツネだし、だからこそ、恥ずかしながらその煩さに気付けず、顰めた面構えをみてその事実を認識し、初めて注意することもある。
でも、注意してても、少しづつ声は大きくなってしまうもの。
その都度注意するも、30分も無声音で喋らせるなんて到底無理な話。
でも、親としては注意し続け、長時間に及びそうな場合はその場をソソクサと退散する他ない。
電車内で怒ったら悲劇。
一両づつ車両を移動して、ダメだと思ったら途中下車。
コレに、何で子供連れてのるんじゃいと言う人もいるから、世間の目は冷たい。
(実際、連れていただけで言われた)
ガン治療のため病院行くんですが??
思わず言ってやりたかったさ。
2歳児3歳児がいて、どこにも預けられない場合はどないせいと。
でも、松本氏の言うように、それを当たり前として何の注意も出来ない親がいることも事実なので、主張出来ないのもイタイところ。
ゆとり世代の賜物か、新しい教育論なのか、静かかどうかに限らず、何事においても叱らない親が増えていることも認める。
でも、あまりの世間の目の冷たさに落ち込むこと、泣きたくなることも事実なのだ。
先日も、とある道を歩いていたら素敵な店を発見。
中に入りたいと思うも、店員の子供の見る目の冷たいこと。
コレ、すぐ分かるんですよね。
子供がスキかキライか。
微笑ましいと思っているのか、鬱陶しいと思っているのか。
それなので、サーっと店内を周り、ホンノ数分も滞在せずに外に出て。
子供にも静かにするよう言い聞かせて。
その時の店員の子供を追う目線も厳しかったから、すぐに切り上げ、店頭へ。
ガラスのショーウィンドウになっていて、そこから色々な代表の品が見えるので、そこで少し立ち止まり。
イヤ、、、、そんだけ視線が痛かったらスグ退散すればいいのは分かっていたのよ、だけど、子供連れでショッピングなんてそうそうできないし、その場所に次行けるのがいつかなんて分からない。
少し欲しいなと思ったものもあったので立ち止まってしまったのが運のツキ。
「ねぇ、ママ、あれステキ~」
キラキラした小物を指差す娘。
すかさず出てくる店員。
「ガラスが汚れるから触らないで!」
!?
確かに、、、、指先がガラスにふれている、、、気がする?
だけどさ、大人だってそれくらい触れない?
と思うレベル。
ただ、店の商品を指差して、褒めているだけで、そのガラスを叩いている訳でもない。
大人はよくて子供はダメなの?
でも、注意されたら親として怒らざるを得ませんよね。松本さんの思うように、イヤだと感じたらそれが正当なものだから。
えぇ、叩きましたよ、子供達を。
さながら勧進帳のように、店員が可哀想かと思うくらい思いっきり2発。
お店をでて、子供達には、少しでも触れることをイヤがるお店があること、親の言うことはすぐ聞くこと、そして時には大人の事情があることを説明。
ドコマデ理解したかは定かではありませんが、一応の納得はしていました。
だけど、帰宅してから悶々と悔しさが込み上げてくる。
松本さんのようにお金を払ってる人が不快に思うのは仕方ないかもしれない。
だけど、仮にも商売する立場でのその注意はいかがなものか。
煩いのでもう少し静かに、、、なら分かるよ?
でも、子供がキライだからこれ見よがしの注意のような。
ガラスが汚れる?
毎日吹いてないんですか?
思わず嫌味すら言ってやりたくなる。
それは、きっと、叩いた時の子供の切ない目が蘇るから。
その場で思いきし叩いた事が正当だったとは思わない。(注意だけでも良かったはず)
でも、ヤルカラにはしっかり店員の目の前で怒っておかないと、店員の子供に対する心象は悪化するばかり。
清少納言じゃないけれど、きっと、子供たちは「言はで思うぞ」が分かるはず、と信じて。
でも、先にも述べたとおり、個々により価値観が違うのだから致し方ない。
ドコマデ許諾し、ドコカラ注意するかのか。やはり親と傍観者における壁は縮まらないのかもしれない。