もうしばらく前のことですが、コロナのワクチンを打ちました。
 
もともととっとと打っちゃいたい派だった私ですが、一妊婦として怖いと思う気持ちもわかる。それでも打とう、と思った理由を書いてみようと思います。
 
まずは妊娠関係なく、ワクチンそのものについて。
 
・夫そまり含め、理系研究者たちが打った、高齢の親を含め家族に打たせた。(そまりもだけれど、エビデンスにうるさい彼らが打つのだから、それなりに信頼できる意味あることなのだろうと。フランスのボスも早々にお母さんに打たせていたし)
・カリコのインタビューを読んでちょっと感銘を受けたのと、mRNAについてちょっと理解できた。(カリコ、現代のキュリー夫人かって感じでかっこいい。)
 
それから、妊娠中に打つことについて。
 
・産む前に死にたくない。(これに尽きる。)
そりゃ10年後20年後、自分やお腹の子にどんな影響がでるかわからないワクチンを打つのは不安である。けれど打たずに感染して産む前に死ぬことほど残念な話はない。(打っても無事に生まれてくることは何万、何十万もの前例がある。打たずに死ぬ例もたくさん前例がある。)
 
そして私には、川上未映子さんのエッセー『きみは赤ちゃん』で胸に刻んだ言葉がある。「赤ちゃんを産むのは完全に親側の身勝手である」みたいな内容の言葉。(もちろん人それぞれ事情はあるだろうし、テキサス州みたいに気づいたときにはもはや中絶できなかった、みたいなこともあるでしょう。←あの法律も馬鹿げてると、クリスチャンのわたしでも思う。)
 
でも、少なくとも私たちの場合、強制されて子どもを作ったわけでもなければ、聖母マリアみたいに突然受胎させられたわけでもないんだから、そもそも子どもを持つこと自体、私たちの意思があってこそのこと。それを神さまがゆるして、与えてくれた命。
 
「はじめから親のエゴなんだから、親が死んだら元も子もないな。」という言い訳があるので、そんなに迷うことなく、私は打ちました。これが論理的に筋がとおっているのかはちょっとよくわからないけれど。
 
そして、10年後20年後のワクチンのなにかしらの影響も心配だけど、それよりいまこれを書きながら食べているトルティーヤチップスの添加物を気にすべきだろうな、と自分でも思っています。
 
あと、毎日毎日消費しているプラスチック製品に、無駄遣いしている電気。マイクロプラスチックの問題や地球の気温が1度上がることのほうが恐ろしい。
 
話がずれた気もしますが、ワクチンのことを考えながら、お腹の子に将来「なんで産んだの?!」とか言って詰め寄られたときの答えまでいろいろ思い巡らしてしまいました。
 
「私たちが欲しかったから」と胸を張って言おう、と。私たちがあなたに会いたくて、私たちがあなたのいる人生のほうが楽しそうだと思ったから、はい、私たちのせいですよすみません、みたいな。
 

 

結局、なにが正解かわからないし、10日後には考えてることは変わっているかもしれませんが、と最後に書き残しておきます。

 

(写真は足が短くてかわいいミャウちゃん。)