続きです。




小学校高学年くらいになると、母親から殴られるとかはだいぶ亡くなり。

その頃、1番下の弟が生まれ。(数年前に早世)


久しぶりの赤ちゃんのお世話をしている母は穏やかでした。


ただ、その頃には自分の世話等はほとんどやってもらえず、洗濯すらも洗うも干されずカビていてり、ご飯も毎日スーパーの惣菜とか、お弁当屋さんの物とかで。


叔母やおばあちゃんからお年玉を貰うと母親に「あんたはいいね!こっちはお金無いのに!」となじられ。


お母さん困ってるんだ、どうしよう…と悩み、貰ったお年玉からお金を出して「お母さん、これあげるよ」って渡したら「はぁ?バカにするな!」っ切れられたのは何となく覚えてますショボーン


我が母ながら最低。


本当はあげたくないのに我慢して、母親の為と思ったのに、まさかそこで切れられるとは思わず、ギャン泣きしましたね。


でも子供だったので、そーいう事もおじいちゃんには愚痴ったりしてなかったと思います。


おじいちゃんにはただ「来たよー」って言ってお菓子貰ったり、一緒に時代劇見たり。


ただおじいちゃんちで寛いでた気がします。


漫画もないし、スケベなポスター貼ってあるし、炊飯器には麦ご飯と何故か食パンが米だらけになって入ってるし笑い泣き


今日カレーだぞっておじいちゃんが言うから、やったー!って喜んでたら、カレイの煮付けだったり。

でもおじいちゃんが煮しめのこんにゃくを上手にクルッと飾りにしたり、リンゴむいてー!と頼んだら、ウサギのリンゴどころか、ペンギンにしてくれたりラブ


口下手だけど、ユーモアも有り、優しいおじいちゃんでした。


孫は私以外に10人は居たけど、私にだけ優しかったのが最大の謎ですが笑い泣き


他の孫らには「うるさい!こっちくるな!」等、不機嫌全開で孫たちは近寄らず。


父には姉が3人いて、それぞれ沢山子供を産んでます。


わたしが初孫という訳じゃないし、わたしの父とおじいちゃんは実の親子なのに他人のように生活していたらしく。


なんでわたしに急に父性本能みたいのが爆発したんでしょうかね?


ビビっと来たのか、なんなのか分かりませんがその後、わたしが思春期となり、母親と毎日衝突してて、母親の人生の不満は全てわたしのせい!と暴れたり進路は市内五本指に入る高校に入れ!とか、男子と仲良くするな!色気づくな!等、ヒステリックな毎日に。


子供ながら、どうして自分の母親は皆んなのお母さんみたいに優しくないんだろうか。

若くなくていいから、優しいお母さんが良かったえーんそう思ってた矢先、おじいちゃんがおかしくなりました。


おじいちゃんの家のお隣さんから電話が来て

「おじいちゃん夜中叫んでるよ、うるさいし、なんか様子おかしいよ」と。


おじいちゃん、わたしを溺愛しているけど、その辺のばあさんにモテモテで、よくおばあちゃん同士がバチバチやってたり、彼女のように振る舞うおばさんにおじいちゃん家から追い出されたり。


その中のおばさんに騙されたらしく、有金プラス年金通帳を担保に借金してしまい、そのお金を渡して逃げられたとかで急激なストレスで痴呆のような、おかしい状態に。


モテモテなのに、騙されるってね。


ずっと別居していたじいちゃんが我が家に。

孫ながら、自分ちにおじいちゃんが来た!ってワクワクしたけど、おじいちゃんがおかしい人になってたショボーン


口下手で物静かだったのに、ずっとおしゃべりしてる。

ブツブツ不機嫌で、ごはんまだかとか、あいつが悪い!とか。


とにかく独り言が止まらない。


寝る時に、あんな仲の悪いひいばあちゃんの部屋に布団しいて、1人にさせないで珍しく親子で同じ部屋で寝て。


なんか、どうしちゃったんだろうと思いながら寝ると、急に外から大声が。


母親がわたしを起こしてきて「ランドセルもって!外に出れるようにして!」と。


なにごと?と目を擦りベッドから降りると一階で事件が起きていて。


おじいちゃんが自分の布団に火をつけ、窓を開けて「火事だー!」と叫んだらしく。


燃え始めた布団を小柄なひいばあちゃんが抱えて風呂場に運び、残り湯に沈めて消したらしいガーン



当時我が家にはわたし家族5人、いとこ家族7人くらい、ひいばあちゃん、おじいちゃんが居ましたが全員飛び起き、火は消えたがどうしたもんかと会議したそうで。


その間わたしは母親の指示でおじいちゃんの見張りをしながら話を聞く役を。


おじいちゃんはずっとオレンジジュースに、パックンチョを沈めてて「あいつら火をつけたら逃げて行った。ざまあみろ」とか「家の前に居たんだよ、俺の事なんかごちゃごちゃ言う奴らが。」とか、幻視に幻聴が酷かったし、興奮していて落ち着きが無かったです。


わたしは可愛がられていたので、おじいちゃんを怖いとは思わず、何言ってるのか分からないがとりあえず「うん」と何でも聞いてました。


ただ、何回も「ごはんまだ?腹減った」と言うから、お菓子とかジュースあげるけど、実際はお腹いっぱいだから食べず、コップのジュースにパックンチョを沈めていくので、勿体ないけどどうしようもないなと思って眠いの我慢して深夜までおじいちゃんの相手をしてました。


その後はしばらく同じ家に居たけど、市内でも有名な精神病院にかかり、脳が騙されたショックで白い部分出来たとか何とかで。


投薬治療とかで治った記憶。


騙したおばさんはどこかに消えて、おじいちゃんの通帳は借金をひいばあちゃんが立て替えて取り戻し。


通帳が手に戻ると急に前のおじいちゃんに戻ったような記憶が。


でもそこら辺からおじいちゃんが急に弱り、入退院を繰り返すように。

まだ50代だったはず。


そんなおじいちゃんを心配しながらひいばあちゃんが90過ぎて老衰で亡くなり。


ややして、何十年も前に離婚したじいちゃんの相方が余命宣告されたとかで、最後は娘たちの側でと札幌から市内の病院に移動してきて。


離婚した元夫婦が同じ病院に入院。


元おばあちゃんは、夏祭りの仕事をしていたので、毎年港祭りの時期に我が家に短期間滞在していたので多少会話はしてました。


へんな家族でしたね泣き笑い


おじいちゃん見舞ったり、元おばあちゃん見舞ったり。

その間父親は自分の両親とはさほど会話せず。


じいちゃんはすっかり元の優しいじいちゃんに戻ってましたが、足の指が壊死して変色したとか、白髪が少し黒く戻ったとか、肺が苦しいらしく5分の距離も歩けないとか。


見るから弱ってたけど、わたしには分からなくて特に気にせず暮らしていたら、退院して我が家に来る事になり。


ちょっと元気になり、昔みたいに料理したりテレビ見て笑ったりしてました。


そんのじいちゃんをうちの母は世話するってより基本好きにさせてて。


医者からダメと言われていた事も、特に止めず欲しがるままに与えてました。

タバコもあげてたし、塩分濃度も無視で。



続きます。