エリート
川村二郎著 「学はあってもバカはバカ」
本文抜粋
学のあるバカはお客様を見下ろす人間も含まれる
インテリが煙草をやめたことに関する 英国のジョーク
インテリは殆ど吸わなくなりました。しかし、ジェントルマンは相変わらず吸っています。
お勉強の出来た人っていうのは、自分の身を安全地帯に置いておいて、
それであれこれ言う、
冷酷非情で見るからに 貸しはがしで事業を挙げた銀行マンのような顔つきをして
使う言葉も「認識」「真摯」「遺憾」とか日常生活でまず使わない【漢語】を好む。
【漢語】の次世代では 【カタカナ】外来語で自分映えをする=誰もが解りやすい日本語を放れようとする
前例に忠実で、原点主義を好む傾向がある
君が代が国家になったのは明治政府ができて、
国には国歌というものが必要となった時、旧薩摩藩士と旧幕臣が決めた
<古今集の詠み人しらずの歌>であった
足し算の時代は終わった これからは わたくし的 引き算の時代へ
コンクリートはいらない
プッシュポン、ワープロさえ使わない海老沢さんに(プッシュポンでは失礼なので)
パソコンのマニュアルを書いて貰う
海老沢さん以下全員(NEC本社会議場での技術者たち)が、
私のことを飛行機事故から奇跡の生還をした人間のように迎えてくれたことで
実験が大成功だったことを知った。
文章(おもしろいかどうか)と料理(おいしいかどうか)は似ている(受け取る側)
高級官僚や大会社で出世した人たちが不祥事を起こすとエリートという言葉はやみに使わないように。
「ノブレス・オブリージュ」=「高貴なる者の義務」と記される
同じように崇高な意味を持つ 重い言葉。
マスコミは東大法学部を出て中央官庁や銀行に入った人間にいとも簡単に時自動的に「エリート」と書く。
しかし、
彼らの中に、潔く責任を取った者がいただろうか、
私の知る限り 彼らはいざという時 真っ先に逃げた者たちである
言い訳に長けたただの保身の従である。
そういう人間に「ノブレス・オブリージュ」の意識のあるわけがなく
そういう者をエリートと呼ぶのは 明らかに誤りだと私は考える。
を日本語にすれば「武士もののふ」ではなかろうか
著者の受験時には偏差値という言葉は使われていなかった、
偏差値を知ったのは大学で統計学を学ぶようになってからだ。
マークシートで頭の良しあしが分る筈がない
人間の能力を偏差値という数字で評価するなどということは、
神をも恐れぬ所業、言語道断、
人間に関する数字で意味を持つのは身長、体重、肺活量、握力、背筋力それぐらい