ヴィクトール・E・フランクル著 「夜と霧」

 

新版 池田香代子訳

「夜と霧」 ヴィクトール・E・フランクル著 

新版 池田香代子訳

 

心理学者、強制収容所を体験する。当初は実名でなく被収容者番号119104で公表するつもりであった。経験者たちの露出趣味に抵抗感を覚えていたから。匿名でなく名乗る勇気は認識の価値を高める。私自身を売り渡した。

究極の決して失われることのない人間の内なる自由 最期の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は最期の息を引き取るまでその生を意味深いものにした。

仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生、芸術や自然をたっぷり味合う機会に恵まれた生だけに意味があるのではない。

強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はある。そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は 自分のありようがかんじからめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた、

被収容者は行動的な生からも安逸な生からも締め出されていた。しかし、

行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。生きることそのものに意味があるとすれば苦しむことにも意味があるはず。

苦悩と、そして死があってこそ 人間という存在ははじめて完全なものになる。

生き凌げないなら、この苦しみすべてには意味がない。しかし、わたしの心を苛んでいたのはこれとは逆の問いだった、私たちを取り巻くすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いである。もしも無意味だとしたら収容者を生き凌ぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけでそんな生はもともと生きるに値しないのだから。

厳しい状況にあっても、また人生最後の瞬間においても、勇敢でプライドを保ち、無私の精神を持ち続けたか、あるいは知れるを極めた保身のために闘いの中に人間性を忘れ、あの被収容者の心理を地で行く群れの一匹にとなり果てたか、強制収容者ではたいていの人が,今に見ていろ、私の真価を発揮できる時が来る、と信じていた。けれども現実には、人間の真価は収容者生活でこそ発揮されていたのだ。

未来を自分の未来を最早信じることが出来なかったものは収容者で破綻した。

そういう日地は未来と共に精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、精神的にも身体的にも破綻していった。

「生きていることにもうなんにも期待が持てない」⇔ここで必要なのは 生きる意味についての問いを180度方向転換すること。「わたしたちが生きることから何かを期待するのではなく、むしりひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ。」もういいかげん、生きることの意味を問うのをやめ、渡したt自身が問いの前に立っていることを思い知るべき。

苦しみことはなにかを成し遂げること

仲間のひとりが天と契約を結んだ。それは、自分が苦しみ死ぬなら 代わりに愛する人には苦しみに満ちた死を免れさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって死ぬことも意味のないモノではなく犠牲としての深い意味に満たされていた。意味もなく苦しみ死ぬことを望まなかった。

人間が生きることには常にどんな状況でも意味がある。この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬこと、苦と死をも含むのだ。

収容所を体験して故郷に戻った人太はあれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神より他に恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ。

 

 霜山徳  旧版訳者

初版は1956年 著者フランクルはウィーン生まれ フロイト、アドラーに指示し精神医学を学ぶ。マーラーの「大地の歌」第一章「大地の哀愁にそそぐ酒の歌」

 

ふたりの日本語訳者の思い

旧版訳者 下山徳爾 1956年に「夜と霧」初版を出す

 

三十歳過ぎに西ドイツ政府留学生として在独している時、著者フランクルの「或る心理学者の強制収容所体験」という粗末な髪の書物に出合った。フランクルに会いに行き 後には 私費で訪日の夫婦でお手伝いをするなど 以後 フランクルは十数回訪日に及ぶ。

次の世代にも読み続けて貰う為、ご自分の固い文体を 新訳者は平和な時代に生きてきた優しい心は 流麗な文章になるであろう。育ちの良い文字はよい。半世紀の間、愛された本書が更に読み継がれるように心から一路平和を祈るものである。2002年9月

 

訳者  池田美代子

 

原文タイトルは「…それでも生に然りと言う」「心理学者、強制収容所を体験する」

高校生の時「夜と霧」を読んで 人間性の未聞の高みを垣間見た思いがした。

夜陰に乗じ、霧に紛れて人々が何処ともなく連れ去られ消えて行った歴史的事実を表現した言い回し。現代の私たちも 身辺におこる夜の闇とたちこめる霧に目がくらまないようにしましょう。                 2002年9月