この記事は自己嫌悪だったり

暗いので、

不快な気持ちになる方はスルーしてください。






連日、やっぱり日常を送ることに罪悪感があって

妹に話してみた。

でも、それは妹にはない感情のようで

普段、遺影や遺骨に手を合わせているからじゃないかな?と言われる。

私の家には良くも悪くも、

父の存在を放つものは何もない。



私が罪悪感を抱くときは

楽しいときだ。

私自身が楽しいとかではなくて

例えば

家族で外食しているとき、

美味しいものを食べているとき、

そんなときに、罪悪感を抱く。



誰に対しての罪悪感なの?

と、妹に聞かれて

やっぱりそれが

父なのか世間なのかはよく分からない。



インターネットで

色々調べてみて なんとなく

ああこれかな、というのがあった。




もしかしたら

父の大腸癌の治療方針のことかもしれないなって

思った。




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父の癌がわかった2019.5

私は仕事をバリバリしていたし

ショックだったけど

心のどこかで寛解するって信じていたから

そこから2020年の年末近くまで

治療方針や病状について、自ら調べたり、

病院に着いて行ったりはしていなかった。


この頃、私は妊娠していて

産後少ししてから

父が腹膜播種になっていたことを知りました。

これは心配させないように父母が隠していたことで

このことに関しては

なんで隠していたんだ、と未だに憤りを感じます。




息子は生後3ヶ月くらいだったと思いますが

このときから

父の心身の負担になっているであろう

祖父のお世話を交代し

(ヘルパーさんとのやり取りや買い出し)

父の癌がどうにかならないか自分なりに調べ、

診察やケモにも毎回同行して

主治医に色々尋ねるようになりました。



○まずは、このスタート時点が遅れたことに後悔があります。




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大腸癌は使える抗がん剤の種類が

ここ数年でかなり増えたので

効かなくなれば次、効かなくなれば次

の繰り返しですが

やっぱりそれでも終わりは来ます。



当時、私がしたことは



1.地元にある最先端医療が受けられる病院を調べたり

(しかしこれは前立腺癌に奏効するもので、

 転移大腸癌は適応外)

2.九州で1番大きな病院の治験を調べたり。

 (電話問い合わせしましたが、寛解後の再発が条件だったので、こちらも適応外)

3.セカンドオピニオンの手配(地元で1番大きな大学病院)

 日時の設定。

4.保険内治療として温熱療法(バイパーサーミア)の手配

5.ゲノムの手配

 ここから、該当した治験が

 東京の国立がんセンターしかなかったため

 初診を受けさせるべく段取りをしました。

6.万が一のための免疫療法下調べ

 丸山ワクチンやらフコイダンやら

 そのへんです。私にとっては気休めですが

 その気休めも一応、どうやれば受けられるのか下調べくらいはしました。

7.父抜きで主治医に会いに行き、

 ケモ続行できないか、あとどの抗がん剤が残っているのか、お薬を話し合って決める。

8.父の体調をちょこちょこ聞きながら

 悪そうであれば病院に電話。



父は病気のことを自分で調べたりしない人でした。

すべて医者任せ。

あと これは良いのか悪いのは分かりませんが

良くも悪くも、お酒と煙草をやめたり、

健康に気を使ったものを食べたりなどは一切せず

今まで通りの生活を送っていました。


家族の誰もが

何か治療方針を調べたり考えたり提案したりは

しませんでした。


私がしてやった、とか

そういうのを言いたいんじゃないんです。

これらは

育休中で比較的時間もあった私が

頼まれもしないのに勝手にやったことです。


このおかげで

延命に繋がったかどうかも分からないし

何もしなくても3年半生きていたのかもしれない。

確かめようがない。




ただ、

私が治療方針を決めてしまった気がして

そしてそれがどれも効かなくなり

何百万もする免疫療法しか手段がなくなり

それはするつもりがなかったけれど

もっと 踏み込んで調べていれば

そこまで高くなくて良い治療があったのかもしれない。

とか、

一度電話問い合わせした治験のことも

もっとしつこく問い合わせたら変わっていたかな、とか

何も調べようとしない家族に嫌気がさした時期があって

たとえばフコイダンを用意して、とか

そういう些細なことも、私は嫌でした。

なんでもかんでも私に言わずに

自分たちでやってよ!考えたくない!

って母に言ったこともあります。


フコイダンは

わたしは本人の気休め程度にでもなれば、

と思い、安く購入できるときに買って渡していました。

いよいよすることがなくなり

そのフコイダンに依存したい父母の気持ちは分かりますが

そのくらい自分達で買えよ、私にいちいち言うなよ

っていう気持ちが溢れた時期がありました。



たぶん

家族みんなが父の治療方針や

何かあったとき、全て私に言うようになっていました。

これは仕方がないことだし

頼まれもしないのにあれこれ自ら

好きでやったことだから

私に言うのは自然な流れなのかもしれないけど。



病気と向き合わずに

人に任せっきりの父に腹が立ったこともありました。




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私の抱く罪悪感の正体は

出だしが遅れてしまったこと

治療方針をほぼ私が決めてしまったこと

何も効かなくなり、途中投げやりな態度をとってしまったこと


これらなのではないかと思いました。



もっと、効かなくなった時に

調べていれば(保険外治療になるけど)

もっと、早く、父の治療や病状を把握していれば。



父は死ななかったのかもしれないって

思うようになりました。



疑えばキリがないけど

そもそも手術したときに肝臓転移は切らなかったし

それは後に調べた上で、そういう判断もあるということは

理解はしたが

心のどこかで、病院が失敗したんじゃないの?

って疑う気持ちもある。



でもそこを当時確かめなかったのも自分。






やっぱり私の罪悪感は

父に対してのものなのかもしれない。





どうやったら

この罪悪感はなくなるのか

なくならないかもしれない。

こんな気持ちがあるから

美味しいものを食べたり

家族で出かけたりするだけで


ああ これパパも食べたかったよね

パパも行きたかったよね


って気持ちになる。

あんまり笑ったりしちゃいけないかな

って気持ちになる。



どうすれば

この罪悪感なくなるのか分からない。

時間が解決してくれるのかな、、