父が亡くなり2週間が経ちました。

毎日毎日、いつもいつも頭の片隅にあり

自分に言い聞かせるかのように

死んだんだな、死んだんだな、

と思っています。



昨日は久しぶりに回転寿司に行きました。

家から1番近いこのお店、

最後に来たのは父ときた、7月4日以来。



少しずつ日常に戻ろうとしてますが

やっぱり、ふと、

罪悪感みたいなものを抱きます。

あとは長生きしている方を見るだけで

つらくなります。

(心狭くてすみません)




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父が亡くなったことは

たまたまタイミング良く連絡をくれた友人以外には

特に報告することでもないので話してない。

知ってるのは職場の方です。

なので職場でふだん仲良くしてくださっている方からは

ちらほら連絡頂きました。


他にも

父が亡くなって、通夜や葬儀で

色んな言葉をかけられましたが

遺された身として

ああこの言葉はつらいな、とか

この言葉嬉しかったな、というものを

初めて感じたので

それを書きたいなと思いました。



嬉しかった言葉はすごくシンプルです。

「訃報を聞いて、会いたくなって連絡したよ」

会いたくなって、っていうのが

もうそれだけで嬉しかったです。

すごく元気になれました。



ちょっとつらかった言葉は

これは妹も割と言われてて

2人でうーん ってなったんですが


「お母さんを支えてあげてね」

とか

「これから色々乗り越えていくことあるけど」

とか

「旦那さんが支えてくれるよ」

とか

この辺りの言葉はあんまり嬉しくありませんでした。


お気遣い頂いて お声がけ頂いて

それだけで有難いし恐縮なのですが


母を支えていかなければならないのは

父が癌になったときから

妹とずっと話していたことなので

またそれを念押しされるみたいでつらい。


旦那さんが支えてくれる

これは義母に言われたことですが

父が大変だったときに

あんまり支えてもらえたと思ってないので

義母には言われたくなかったです。


それから

これから色々乗り越えていくことあるけど

って

これは結構何度か言われて

1番嫌だったかも。。

父の闘病、そして最期の看取り

すごくつらかったのに

それを乗り越えたのに

これからまた何か乗り越えないといけないことあるの?


って思ってしまって

(もちろん相手に悪気ないのは知ってるし

 すごく好きな方だから、気遣ってくれたんだろうって分かってるつもりだけど)


このへんの言葉は嬉しくなかったです。



大切な人にかける言葉って難しいんだな

って、私も勉強になりました。

言葉っていらないのかも

ただ会って抱きしめたりとか

そんなのだけで、すごく伝わります。




父が亡くなった日は

旦那さんも何も言わずに抱きしめてくれました。

寝てなくて、ふらふらしていたけど、

これは少し救われた思いでした。




日々罪悪感は消えませんが

少しずつ日常に慣れていかなくてはいけませんね。