人が亡くなるとき

悲しみのピークってあると思う。

妹は本人と意思疎通ができなくなったとき、

そして母と私は、、



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好きな人などいないと思いますが

火葬場が嫌いです。

私の地元の火葬場は古くからあって

とても広いです。

一度にたぶん10名近く火葬できる。

火葬棟を挟んで控室が広がっていて

火葬棟はなんだか暗くて

コンクリート色

隣の炉との間隔も近い。

いっぺんに焼いてる!って感じがすごくして

好きでない。


あるあるかもしれないが

近い身内でないときの火葬というものは

控室やその周りにある自販機周辺が

親族で賑やかになる、

仕方がないが子どもたちも走り回る

(これはね、仕方ない。退屈だろうし、

長いしね)

久しぶりに会う親族って妙に盛り上がるから

談笑がすごいの。

それが、近い身内を送る身としては

不謹慎だが、不快で仕方がない。

だからいつも、控室か

外で座って泣いたりしていた。



大人しく控室で待てばいいのに

パーティかってくらいお菓子をあけて

ワイワイ食べてるのを見ると

すごく腹が立つ。



これまでの親族はすべてここで送ってきたので

またあそこに(9月に行ったばかりなのに)

行かなくてはいけないのかと憂鬱だった。

9月の祖父の火葬では

「親父、まだ俺を呼んでくれるな、、」

と父は言っていたが、

奇しくも 49日を迎える前に

連れていかれる形になってしまった。




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ところが

父の住む家(私の実家)は

市町村が異なるため、火葬場が別のところにあるとのことだった。

これは知らなくて吃驚、

母は親戚の火葬で一度行ったことがあるらしい。

それはいつも父が行っていた公園の近くで

私もしょっちゅう行くところだった。

あんなところに火葬場が?

なぜなら、公園の横だし

テニス場とかそういう屋外施設の中だったから。

ぜんぜん知らなかった。


最後に父と行った公園のすぐそばで

最初の手術をした後のリハビリも

父はここでしていたので

ここならいいかも、と思いました。


なにより、施設ができたばかりの

綺麗なところだと聞きました。




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父との最後のドライブを終え

うつらうつらしながら火葬場に着きました。

いつもの火葬場と全然違って

かなり吃驚しました。



一度に火葬できるのは3体まで。

控室は別に和室がきちんとありますが

控室ではない待合スペースは

壁が殆どガラス張りで天井が高く

品のあるシャンデリアがありました。

よく覚えてないけど、白鳥モチーフの

飾りがあったような、、

色も控えめで開放感がありました。

すごく綺麗でした。


そして

火葬前に一旦棺を置く場所も

壁はコンクリート色でもなんでもない

ベージュ色のタイル、

棺の上にはガラスの綺麗なシャンデリアがあり

すごく華やかでした。


通常であれば

ここでお経を、のはずらしいですが

地区が離れるため、来れませんと住職さんが。

(のちに書きたいと思いますが、

住職さん大嫌いです、偉そうにしていて

私と歳もそう変わらないんですが、

不愉快の極みでした)

母的には締まらなかった、と言ってましたが

私はあの住職が大嫌いなので

来なくて結構!でした。



そのまま路の方へ。

ああ、いよいよ焼かれてしまう、、

しかしここでも驚かされました。



炉の雰囲気です。

華やかな雰囲気はそのままに

天井は更に高くなり、

天井の一部が雲の形に装飾されていて

それをダウンライトが優しく照らしていました。

写真なんて撮りませんが

皆さんにご紹介したいくらい。

天国への入り口、のような

それは綺麗な装飾でした。


だから

いつもより

全然つらくなかった。

泣かなかった、と思う(覚えてない)


私のピークは

いい形で裏切られました。



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そこから待つのですが

皆さんは殆どホールの方で談笑されていました。

私はなんだか気が抜けたのか何なのか

お腹が苦しくなって

控室の和室で、父の遺影の前で横になっていました。

夕方になるので

朝から預けていた息子がとにかく元気に走り回っていました。

人も多くなくて、良かったです。


祖父の火葬のとき、

父は控室でずっと横になっていました。

私も横になっていました。

腹水がつらい、つらい、と。

あれから少ししか経たないのに

ああ、パパ死んじゃったんだな、

と気が抜けていました。



1時間半ごろ、係の方が呼びに来られました。

もうすぐ収骨ですと。

実はこれも想定外。

いつもの火葬場は

ピンポーンと鳴って

「○○家、収骨15分前です」

って自動みたいなアナウンスが流れる。

このアナウンスも嫌いだったから

ご丁寧に人が伝えにきてくれたのは

大変ありがたかった。




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収骨。

ここまで比較的穏やかでいられましたが

やっぱり骨になった父を見るのはつらかった。

叔父のとき、抗がん剤治療で骨がポロポロと

砕けたのを覚えていて

父はもっとだろうと思ってはいましたが

体格の良かった父の骨は

やっぱりポロポロと、少しの力で砕けました。

この間90歳の祖父の方が、骨がしっかりしていた。

母はすごく泣いていたし

スタッフの方のやや事務的な対応に

不快感を示していました。

スタッフの方は、まぁ普通にされてたと思いますが

泣いている遺族がいるわけだから

もっと、なんというか

間、みたいなものを配慮して頂きたかったと。



今思い出しながら書いていますが

つらかったです。

でも、心がまた分離する感じで

こんなのパパじゃない、って現実逃避していた部分もあり

最初はつらかったですが

ささっと骨を骨壷に入れました。

もう早く終わりたかった、帰りたかった。

ここから出たかった。



火葬場まで来てくださった方に母が挨拶をして

ようやく終わりました。

つらかった、つらかったですが

疲労もありました。



そこからまた旦那さんに苛ついたり

することもありましたが

その日は家族で実家に泊まりました。

みんなでパック寿司を食べました。



父は亡くなりました。

信じられなかったけど

この日、我々家族はすごく疲れが溜まっていて

みんな早々に就寝しました。

ずっと睡眠不足だったから。

そんな夜でした。






火葬場の写真を小さいですが見つけました。

公式ホームページみたいなものはなくて

本当にこの小さな画像だけでしたが、

1番右が火葬場です。

天井の雲模様の飾りは本当に綺麗でした。

ガラス張りの待合室は左の写真です。


この火葬場のお世話になれて 本当に良かったです。