この10年近くで父を含めず

5人の近しい親族を送ってきました。

祖父母はそれなりの年齢ですが

叔父2人(父母の兄弟)はとても早く

惜しまれる死でした。


このうち自宅で看取ったのは祖母ですが

1番古い記憶なので(2014年)

どのように手続きをして 誰が主となり

進めていったのか全く覚えていません。


父は11/3の夕方に息を引き取り、

夜に枕業に来て頂き、葬儀屋に連絡し、

簡易的な焼香代と、ドライアイスなどの手配をして頂きました。


出来る限り冷房で部屋を冷やし、

亡くなった夜は父は自宅で過ごしました。




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翌日葬儀社の方が自宅にみえて

ここで通夜葬儀の打ち合わせをしました。

事前に粗方決めていたので

ここで決めたのは、霊柩車や遺影など、

あとは改めて内容を母に確認してもらいました。


闘病期間中は 

とにかくたくさんお出かけしました。

写真もたくさん撮りました。まだ元気な頃です。

その中から遺影を選んでもよかったけど

2007年の時に撮ったものになりました。

かなり前だけど この時の顔が

1番父らしかった。

娘が言うのもなんですが、父はとっても男前なんですよ照れ

晩年はすっかり禿げちゃって太っちゃって

よく父に結婚詐欺だよねー!とからかったものでした。



霊柩車だけは事前に予約ができなかったのですが

やはり空きがなく その代わり

新車ハイブリッドカーを手配出来ました。

黒ではなくて白で、かっこいい車でした。

父は車が大好きだったから、1番いい車に乗せてあげたかった。

(後の話ですが、2人乗ることができ、

 内装も蓮の模様が大変美しい車でした)



その日は慌しかったです。

葬儀社の方が出たり入ったり

父の体を湯灌してくれたり

洋服を選んだり(私服を着せました)

色んなところから電話がかかってきました。

とにかく写真を急いでと言われたので

遺影の他に、

新聞、思い出の用紙、スクリーン用などなど

20枚以上の写真を選んだり、

この日は子供たちもいたので

妹は子守り(ちょっとぼやいてたけど)

ご飯を食べる暇もなく。


こんなに急かされて準備したっけ?

と思うくらい。自宅で看取ったからそう感じるのか?なんなのか。

この日の昼は何を食べたのか、忘れた。


やっぱり事前に決めてて良かったです。

決めてなかったからもっとバタバタしていたかもしれません。



夕方近くなって、

父は自宅を出発しました。

母と妹は既に喪服に着替え、

斎場に泊まることになるのでその準備も。

私は自宅から斎場が近いので

父と同じタイミングで一旦自宅へ戻りました。



これは11/4の話です。

この日が通夜でした。

そして私の誕生日でした。

誕生日にこんなことさせてごめんって

母に言われたけど

謝ることじゃないよ。



でも、正直もっと

もう少し先、月末だと思っていたから

誕生日オメデトって

父に言ってもらいたかったな

って、ちょっと思いました。