鎮静させてから、

しっかり眠るようになりました。

でも たまに うぅーと声を出して

ベッドの手すりに手をかけて、

握りしめて立とうとする。

でも立てない。

一度手を触ったら、ものすごい力で握りしめられた。

逆に、母が起きようとする父の手を触ると

すごい力で振り解かれて、悲しそうな顔をした。

ちがうよ、無意識だよ

ただ起きようとしただけだよ、といって励ます。


目を開けることはなくて

たまにそんな動きを繰り返す。

そこからは、なるべく誰かひとりがそばにいるようにした。


夜になって 

(もう記憶が曖昧なんだけど)

看護士さんが来てくれた。

脈が弱くなってる、あとは尿は出てない。

酸素吸入器カニューラしてるけど

口を開けてるから意味ないかもと

急いで業者にマスクタイプを持ってきてもらう。

そもそも置いとけよ!って苛立つ。


しかしマスクを嫌がり外すので

何度も付ける。それも繰り返す。

起きあがろうとするときは

顔を真っ赤にさせる、そのあとは体温も高いけど

徐々にまた、低くなっていく。


そんなのをずっと繰り返していたけど

夜中になる頃はほぼそれもなくなる。

誰ひとりろくに寝てなくて

交代で2人ずつそばにいるようにした。

わたしは不思議と眠くなくて

ずっといた。朝方が山だと言われたけど

父は朝になっても息をしていた。


朝になると妹も起床したので

交代でシャワー浴びたり、コンビニのからあげくんとかつまんだり。


昼を過ぎて夕方ごろ 何か食べようってなって

ミニタイプのカップ麺と冷凍チャーハンを3人で分けて食べようとした。


ふと 母が

「パパがひとりになる」って言って

寝室へ行った。


ああ!呼吸が!

すぐきて!と言われた。


すぐ行くとさっきまで

呼吸の間隔はちゃんとあったのに

もうすごく弱くなっていた。

心臓に耳を当てる、聞こえない。

妹は聞こえるって言うけど

リビングで流れる、YouTubeのオノマトペがうるさくて聞こえない。


父の開いた口から

青汁みたいな色の液体が出ていた、

溜まっていて、ティッシュで吸っても吸っても出てくる。


最期に長く、一度息をして

そしてしなくなった。



11/3 16:41だった。



叔父の時は

長い呼吸の感覚になってから

たぶん1週間とかそれに近いくらい

長く生きていたけど 父は早かった。


私の誕生日を避けてくれたのかなって思ったけど

もうここまできたら、いっそ誕生日で良かったのに

って思う気持ちもあった。



そのあと訪問医を呼んで死亡確認をしてもらった。

ご臨終です。母が泣き始めた。妹も泣いていた、

たぶん 私だけが泣いてはなかった。


訪問医の先生は優しい方で、

私たちが息を引き取ったと確認した時刻を

死亡時刻にしてくれた。

これは、有り難かった。



そのあと看護士さんが来てくれて

父をきれいにしてくれた。

そのあとの父の顔はびっくりするくらい

穏やかで 本当に眠っているみたいだった。



この10年足らずで

近い身内を5人送ってきたが

ダントツで、いちばんいい顔をしてた。






死に顔は撮ってない

頭の中でだけ。

私の中の父は やっぱりこんな顔ではないから。

死んだ後は眠っているみたいだったから

記録に残したい気持ちもあったけど

そんなの見返すこともないだりうし

元気な顔や仕草をずっと記憶していたいから

手だけ、撮った。母も手を握りしめて、

そこだけ 撮っていた。


生温い父の手。



あーー終わったんだな

って感じだった。