地図を眺めていて、福島県いわき市の北辺、波立(はったち)海岸沿いの小高い丘に「三嶋神社」が鎮座していることに気づきました。

 

 

 

 

三嶋神社境内から波立海岸を望む

 

 三嶋神社の由緒等は未確認ですが、すぐ近くに「徳一(とくいつ)」開基と伝わる「波立薬師(はったちやくし)-波立(はりゅう)寺-」があるだけに気になります。

 

波立寺波立薬師堂

 

 

 

 徳一とは「法相(ほっそう)宗」の高僧で、法相宗を含む南都六宗-いわゆる奈良仏教-の僧綱が総がかりでも敵わなかった「伝教大師最澄」と互角以上に渡り合い、かの「弘法大師空海」をして「徳一菩薩」と媚びを売らせたほどの怪僧です。何故か奈良・京都から遠く離れた陸奥会津の「磐梯(ばんだい・いわはし)山-福島県-」や常陸(ひたち)の「筑波(つくば)山―茨城県-」に根本道場を開いて活動していたようなのですが、その彼が「薬師信仰」を主として衆生を救済せんとしていたらしきことはかねてより不思議に思っておりました。何故なら、法相宗の宗祖とされているのは「弥勒(みろく)菩薩」のはずだからです。

 もちろん、法相宗の大本山「興福寺-奈良県奈良市-」からして弥勒菩薩ではなく「釈迦如来」を本尊に据えておりますし、同寺の東金堂にはいみじくも「薬師如来」が、同じく大本山とされる「薬師寺-奈良県奈良市-」に至っては寺院名からして「薬師」なわけであり、法相僧徳一による薬師信仰への特化が必ずしも異例というわけではないかもしれません。

 しかし、最澄を論破したとすらいわれるほど原理主義的なこだわりをみせていた彼が、自分の開いた根本道場の本尊に法相宗の宗祖とされる弥勒菩薩ではなく薬師瑠璃光如来を据えていたことはやはり気になります。

『徳一の立場(宗教グラフ情報社)』の増子大道さんは、浄土真宗の僧侶「島地大等(しまじだいとう)」の論文「徳一の教学について―『哲学雑誌』所収―」をひいて、「徳一は法相をはじめ南都諸宗派-奈良仏教-の教学にたいしても、批判の目を向けていたと言っておられる」としたうえで、次のように語っております。

 

-引用:『徳一の立場(宗教グラフ情報社)』-

 徳一の性格からすれば当然、形式重視にはしり修行をおこたる南都仏教に同調することはできなかったわけである。また弘法は、徳一に宛てた書状-『高野雑筆集』上巻・徳一宛書状「続群書類従」十二の上所収-で、地位・名誉を捨て東国に下った慈悲深い性格をたたえており、天台側でも『私聚百因縁集』伝教の条に、

「伝教という小僧は、彼処に誨気あらむと蝟ひたりけるときに、口中の舌裂くと爾云う」

という記事を載せ、徳一の気性の激しさ、つまり意志の強い人であったことを示している。

 故に、徳一の性格の素朴さ、慈悲深さは南都を捨て東国に下らせ、同時にもつ意志の強さが南都仏教に疑問を感じさせながらも、代表として仏教の大衆化の波に乗り、平安仏教を樹立した伝教・弘法との論争をひきおこす結果を招いたのである。

 

 なにやら、徳一は必ずしも伝教・弘法-最澄・空海―といった平安仏教の高僧にだけ批判の目を向けていたわけではなく、そもそも法相を含む南都六宗にも見切りをつけていたようです。

 徳一はおそらく辺境の信仰に寄り添ったのでしょう。すなわち、徳一は比類なき学僧である以前に純粋な宗教家でもありましたから、桓武天皇の征夷政策によって疲弊していた民の心を慰撫せんがために会津なり常陸なりで活動し始めたと思われます。もしかしたら本来は「安積(あさか)―福島県中通り-」や「那須・下野(しもつけ)-栃木県-」あたりも含めてさらに広い信仰圏を構築していたのかもしれませんが、ライバル最澄の門下から急成長を遂げた天台密教僧「慈覚大師円仁」にかなり上書きされた可能性もあります。 

 いずれ、おそらく当地においては薬師瑠璃光如来こそが民を癒し得る「仏」であると徳一は判断していたのでしょう。何故なら、薬師瑠璃光如来は「常総-茨城県・千葉県-」の海道を北に追いやられていった日高見王家の守り本尊であったものと思われるからです。

 日高見王家はおそらく陸奥安倍一族の先祖でありますが、彼らは「前九年の役」で陸奥國府軍-源・清原連合軍-に滅ぼされました。殺害された頭首「安倍厨川(くりやがわ)次郎貞任(さだとう)」と並ぶ最高権力者「安倍鳥海(とりみ)三郎宗任(むねとう)」は、配流された筑前大島:福岡県宗像市-で松島明神を祀り、薬師如来を奉持していたと伝わります。同地の「安昌院」はその薬師如来を安置するために開基されたといい、松島明神を崇敬する陸奥安倍一族の守り本尊が薬師瑠璃光如来であったことを証左し得るわけですが、なにしろ彼らは「石城(いわき)國造家」の分かれ―あるいはその逆―であった可能性が濃厚です。

 波立海岸の三嶋神社はおそらく伊豆「三嶋大社-静岡県三島市-」由来の神が勧請されたのだと思いますが、それは陸奥安倍氏の祖タケヌナカワワケによる事代主神祭祀が起源と考えられます。事代主神が少彦名神と異名同神であることはおそらくほぼ確実であり、少彦名の本地仏が一般に薬師如来とされていることは周知のとおりです。さすれば、波立海岸における三嶋大明神は薬師如来と同根の信仰なのでしょう。

 

波立海岸の弁天島 蛇足ながら、この島の風景は妙に心に残ります。

 

 

波立薬師堂から望む弁天島

 

説明版に映り込む弁天島

 

 

※参考拙記事

耶麻郡磐梯町――怪僧徳一:最澄を論破した僧―― | はてノ鹽竈 (ameblo.jp)

福島県いわき市――波立寺の薬師如来―― | はてノ鹽竈 (ameblo.jp)

伊豆國の三島:その4―相模國府と賀茂三島郷― | はてノ鹽竈 (ameblo.jp)

都鳥(ととり)邑―岩手県奥州市胆沢区― | はてノ鹽竈 (ameblo.jp)