栗原(くりはら)――宮城県栗原市――は、東北地方の歴史を調べようとする際に必須のエリアであろうと私は考えております。
 ヤマトと蝦夷の激突の歴史で、ヤマトを本格的に震撼させた事件の第一号は「伊治公砦麻呂(これはりのきみあざまろ)」の反乱であったと考えますが、これは栗原において発火した事件です。
 また、機会があれば語ろうと思いますが、高橋克彦さんの言葉を借りれば「豊臣秀吉に喧嘩を売った男」、すなわち南部藩の反乱分子「九戸政実」が処刑されたのも、何故か政実の本拠――岩手県北――ではなく、かと言って京でもなく、この栗原でした。
 この処刑について、私は伊達政宗はもちろん、栗原という歴史的な反乱分子の巣窟に対して、見せしめ、つまりデモンストレーションであったのではないかと想像しております。
 ある意味で、東北の蛮賊とヤマトの戦争は、初めも終りも栗原が舞台であったと言えるのかもしれません。
 そして、そのようなエリアに「武烈天皇伝承」があることも捨ておけないところです。

 とにかく栗原は魅力的なのです。

 そんなこんなで、ここ数年で、私は果たして何度栗原を訪れたでしょうか・・・。
 ある時、毎度のように栗原市内を縦横無尽に走り回っていると異様な光景が目に写りました。
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 はて、目の錯覚でしょうか。私には街道沿いの道端、極めて不自然な場所に電子レンジらしきものが置かれているように見えました。
 一旦通過したものの、しばらく私の角膜に写しだされた残像が消えず、ついにその場所まで引き返してしまいました。

 間違いありません。

 とある家の敷地入口に紛れもなく“電子レンジ”が置いてありました。
 どなたかが置き忘れたのでしょうか。あるいは家電製品回収にでも差し出されたものなのでしょうか。
 ところが、よく見るとレンジの下に専用の台座があり、それだけにとどまらず、しっかり金具で固定されておりました。
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 かつて、トーテムポールというものがありました。
 インディアンなどは、自らのトーテム――祖霊神――を集落の入り口などに設置し、各々誇示していたと聞きます。

 この御宅のトーテムはもしかしたら電子レンジなのでしょうか・・・。

 なんという時間軸の混沌でしょう・・・。
 もしかしたら、野蛮であると蔑まされてきた蝦夷は、はるか遠い昔に電子レンジを発明していたのかもしれません・・・。
 これまでもたくさん私の好奇心を煽ってくれた謎多き栗原ではありますが、これほどの神秘に出会ったのは初めてかもしれません。
 偉大な歴史のいたずらに思いを馳せて、目を閉じて悠久の時間に浸っていたとき、停車している私の車を大変邪魔そうに郵便局の車が通り過ぎていきました。
 「あ、すみません」
 と言っても聞こえなかったでしょうが、軽く頭を下げました。
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 もしかしたら・・・・。

 ポスト?

 ・・・・・・・・。

 かつて、私の知人が洗濯機を買い替えた後、古い洗濯機を玄関ポーチに置きっぱなしで宅配ボックス化しておりましたが・・・・。
 いえ、そんなものと等質にしては失礼です。この御宅のここには、台座を作成し、金具で固定するといった積極的な意思が見受けられるからです。
 エコロジーが叫ばれる現代、これは実に素晴らしい模範的行為と言えるかもしれません。

 いずれ、謎は未だに解けておりません。

 やはり栗原は偉大なのです。