子どもが大好きで小学校からの夢だった
保育士になること叶えて、
やっと保育士なったのですが、
そのはじめてクラスを持ったクラスに
乳製品、卵、小麦粉、大豆、そばの
アレルギーをもつ園児がいました👶🍼
大学では、
座学でのアレルギーの知識しかなく、
アレルギーの人に出会ったことがなかった私💦
ニュースで、アレルギーの子がチヂミを
チーズがのっているものを誤食したことで、
アナフィラキシーを起こして死亡したニュースを
見たことの印象的でがとっても強くて、
「園長先生に気をつけて!危険なのよ😨」
と言われ除去しなきゃ危ない、命にかかわる、
アレルギー=アナフィラキシーと
怖くて、神経質になっていました💦
外で落花生をむくお手伝いがあると、
近寄らせてはだめという認識から、
離れて遊びを見守ればよかったのに
触れることで症状を起こすことが怖くて、
室内遊びにしたり、
食事は完全に別ということが
完璧主義だった私にカチッと
入ってしまいました😣
学んだとはいえ、
最低限のことしか出来ませんでした💦
食事に関しては
色んなことに制限がかかっていたので、
アレルギーだから、給食、おやつは
当たり前に別なんだという認識でした😥
大変だな、怖いな、危ないなと
自分が事故をおこさないか、
安全に保育できるか、自分本位で、
アレルギーの子や親御さんの気持ちを
考える余裕さえなかったです😔💦💦
視野が狭くて安全に過ごすことが、
できているので、お母さんも安心
と思ってました😣💦
また、自分の担任していた
園児は2歳だからと、年齢もあって、
みんなと同じものが食べられないこと、
制限があることに対して、
なにも感じていないと、
勝手な認識のまま保育を続けていた私でした。
だんだんと、
「給食が別」を嫌がるようになった彼女、
みんなで給食へ行く列に並ぶようになり、
「〇〇ちゃんはこっちじゃないよ」と声を
掛けられると泣いたり、怒ったり、
感情を表すようなりました😫😤🥺
それは、
みんなといっしょに食べたい😣
という思いからだったということ、
言葉にできない感情を行動に示している事に
気づき胸が痛くなりました😔
給食は補助の先生が見てくれていて、
自分は担任として大勢の子どもをみて
いたから関われず、部屋に帰ってくると
元気がない事が増えました😔💦
これではダメだなと思い、
お部屋に帰ってきてからそばで
「これおいしかったよ💕
先生といっしょだったよ☺️🍙」
「〇〇ちゃんが
かっこよく食べるのみたいなー🥺✨」
と共感したり応援の声を掛けると、
進んで食べるようになり
一緒に食べられなくても、
声掛けを工夫したり
相手の気持ちを考えて言葉をかける事で、
自信がついたり、アレルギーだからでは
と悲しい気持ちや、縮こまった心を
和らげらことができると感じました。
おやつは、部屋で机を離して食べていました。
アレルギーの子は米せんべいとゼリーが
ほとんどで別の机で食べていました。
おやつをみんなが食べている時は
食べられないのでお昼寝の布団から
起きてこなくなることもありました。
彼女の、「いつもこれやん😕」
と言った、一言と表情が今でも忘れられません💦
給食の調理員さんに、
「今日はいっしょに食べれるでな〜」
と言われているのを聞き、私たちの当たり前は
当たり前ではないことだと痛感しました。
しばらく経って、
同じクラスにアレルギーを持つ子が
もう一人入ってきました。
1人から2人になった時、その子の
表情が明るくなったり笑顔が増えて
みんなで
いっしょに食べること、
共感して食べられること
の嬉しさを小さいながらでもとても大きい
と感じました。
これらのことを通して、
小麦がないものってなんだろうと思った時に
グルテンフリーに興味が沸きました。
小麦粉を抜こうと思った時、
スーパーで裏表示を見て小麦粉が
入っていないものが全然なくて
アレルギーフリーはもっと大変だ😣
ということに気がつきました。
アレルギーでも食べれるお菓子を探したり
スーパーへ行ってもそういったコーナーはなく、
乳製品、卵、小麦粉、不使用のものは
なかなかないことにも気づいた。
自分のクラスの子だけではなく、
もっと多くのお母さんや子どもたちが
悲しい思いをしていると
感じた瞬間だったんです😣😣💦
アレルギーがあってもなくても
みんなでいっしょに食べられる
いっしょに食べても壁を感じない
お菓子と空間が
あればいいのになと思いました🌈
10年ほどおかし作りはずっと
好きで続けてきたが、
保育士という立場では、声を掛けてあげる事、
そばで共感することしかできないと感じた。
そこから
/
お菓子を作って販売しよう😊🍪
\
思うようになりました。